#63
空がほんのり朱を帯びはじめた頃、町の東門に立つ者たちは、息を潜めて迫る脅威を待っていた。
勇者リュシア・ファルステラは、門上から広がる視界の先――黒い波のようにうごめく霧を見据える。
その奥には、形の定かでない影が幾つも蠢いていた。
「確認しました、前方に三百……多少の誤差はあるけれど」
後衛の魔導士が魔力感知を走らせ、即座に数値を読み上げる。
「早いわね。ティルフィア、結界の状態は?」
「維持中。ただし、これ以上は無理よ。街全体を守るだけで、ほとんど魔力を持っていかれてる」
ティルフィアの言葉に、リュシアは一度だけ頷いた。
それでいい。今ここで戦う者たちの背後に、確かに守られるべき場所がある。
ならば、自分たちはただ前を向き、立ち塞がればいい。
「全隊、構え!」
純白の外套が夕風に翻る。勇者の声に応じて精鋭たちが武器を構え、静かに戦の幕が上がった。
兵たちは恐れていなかった。勇者がそこに立っている限り、自分たちは敗れないと信じられる。
それが、勇者という存在の重さであり、希望だった。
そしてそのとき――
森の奥で、獣のような咆哮が響いた。霧が裂け、腐臭を孕んだ風と共に“それ”は現れる。
骸骨のように干からび、ねじれた肢体を持つ異形の者たち。人でも魔でもない、ただ歪んだ存在。
それは、かつて命を持っていた者たちの、成れの果てだった。
「前衛、防衛線を死守!範囲魔法、発動準備!」
リュシアは腰の剣を抜き放つと、静かに祈りの言葉を紡ぐ。
「光よ、穢れを祓え――この剣に主の祝福を。聖光纏刃」
その瞬間、剣が祝福の光をまとい、低く空気を震わせた。
リュシアが地を蹴る。次の瞬間、蒼白の閃光が闇を割いた。
――光の奔流。
一閃。その剣が走った軌跡に、不死なる群れが触れた途端、光に呑まれて塵と消える。
奇跡の力は確かに、不浄なる存在に対して絶対的な浄化の力を持っていた。
だが、それでも群れは止まらない。
後ろから次々に湧き出すように、腐れた兵が押し寄せてくる。
幾度切り伏せようとも、終わりの見えない悪夢のように、足元から這い出てくる。
「回復班、急いで! 次波、来るわよ!」
後衛の神官が治癒の光を走らせ、負傷者を立たせていく。
傷つき倒れた者を癒やし、また前線に送り出す。
連携は機能している。戦線は崩れていない。
しかし――
(妙ね)
リュシアの眉がわずかに動く。
この敵は確かに数こそ脅威だが、動きには明確な戦術も統率も見えない。
ましてや、グリマタルが率いるはずの軍勢にしては、あまりにも単調すぎる。
「ティルフィア、後方の索敵網はどう?」
「今のところそれらしい反応はないわ」
「そう……」
何かが足りない。この規模で押し寄せるのに、大きな存在の気配がない。
だが、今はその答えを探している余裕はない。
「――いいわ。まずは数を減らす。あとは、その時に考える」
リュシアは再び剣を構えた。視線の先、不死なる波はなおも押し寄せてくる。
「敵前列、殲滅開始! ここから先には一匹も通すな!」
「了解!」
兵たちの声が、勇者の言葉に重なる。
その声に呼応するように、再び聖剣が光を帯びる。
この瞬間、勇者の剣はただの武器ではない。
それは皆を導く希望であり、命をつなぐ盾だった。
そしてその背後――
街全体を包む結界が、淡く、しかし確かな光を放って揺れていた。
その光が、まだ知られざる“もうひとつの戦場”を静かに照らし始めるとも知らずに。




