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#62

 それは、何の前触れもなく訪れた――はずだった。

 辺境の町にしては早い夕暮れ。

 空の一部がわずかに染まりはじめる頃、最初に異変に気づいたのは、町外れの見張り台にいた若い衛視だった。


「……霧?」


 彼の目に映ったのは、丘陵地の地表を這うように迫る、不自然な濃霧。

 風の流れと逆行しており、ただの自然現象とは思えなかった。

 数刻のうちに霧は街の周辺に広がり、視界を奪い、空気を変えた。


 同時に、街のあちこちで、動物たちが鳴き騒ぎ、馬が柵を蹴り、犬が吠え、鳥が群れをなして逃げていった。

 アズレインは、異変の報告が届くや否やギルドに集合命令を発した。


「手の空いている冒険者は、街の防衛準備に入れ。一般市民は速やかにギルドの職員が避難所へ誘導する」


 彼の指示は端的で、迅速だった。受付嬢や他の職員たちもすでに避難誘導の訓練を受けており、混乱は最小限に抑えられていた。


 それでも、空気には緊張が漂っていた。

 ギルドの一室では、エリカが身支度を終え、フィオナとともに外の状況を窺っていた。


「来ると思った?」


「うん……でも、思ったより早かった」


 フィオナは唇を噛み、手にした新しい弓を見つめる。

 弦はぴんと張られ、魔力の通りもよい。だが、こんな形でカイルに新調してもらった弓を使うとは思っていなかった。


「ティルフィアさんは?」


「リュシアと一緒に街の東門へ向かったって。霧の出現地点に陣を張るつもりらしい」


「西側は衛視とギルドマスターが向かってるらしいし、外壁には魔導士や弓手が配置されているって聞いたけど」


 ふたりが会話していると、後方の廊下から足音が近づいた。


「おい」


 聞き慣れた声に振り向くと、そこにはカイルがいた。背には剣。黒い外套を身に纏っている。


「東方の勇者、名は何と言ったか…エリカ、お前の目で見てどうだった?グリマタルに対抗できるほどの何かを感じたか?」


 エリカはしばらく視線を合わせたまま、ゆっくりと口を開いた。


「ええ、と…カイルさんと同じく神の加護は視えたんですが、カイルさんのように複数の加護は持っていませんでした。地母神の加護、私達神官が起こす奇跡を司る神の加護だと思います」


「そうか」


 ほんの少しだけ、カイルの顔に微笑のようなものが浮かんだ。


「本当に有能な能力だな」


「えぇ…そうですかね?フィオナにも精霊の加護が視えます。特別な存在、ですよね」


「ちょっと、私は!?私には何か視えないの!?エリカぁー」


 カイルの背後からひょっこりと現れたマリーが口を尖らす。


「お前にも酒神の加護がついてるよ、きっとな」


「間違いないわね」


 適当にカイルとフィオナにあしらわれるマリーを見てエリカから思わず笑顔がこぼれた。非常時にもかかわらず、いつもと変わらない調子の一党が頼もしく思える。


「霧……いや、これは」


 すぐそばまで近づいていたのだ。

 “あの気配”が。

 まるで、死者を道連れに這い上がってきたような、重い魔力。


 遠い昔に討伐された存在。


 その背後には、無数の魔物と、既に死して動く者たちが列をなしていた。

 まるで“死”そのものが、ひとつの意思を持って押し寄せてくるかのように。



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