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#61

 その朝、街の空は重たく曇っていた。

 風は低く這い、湿り気を含んだ空気が石畳を舐めるように流れていく。


 人々の足取りもどこか急ぎ足で、通りを駆ける子どもたちの声さえ、今日はひどく控えめに聞こえた。

 ギルド本部の上階、アズレインは執務室の窓からそんな街の様子を見下ろしていた。


 手元には報告書の束。目を通しながらも、視線の半分は外の風景に向いていた。


「……予兆があるな」


 風の流れ、木々の揺れ、そして胸の奥に広がる名状しがたいざわつき。

 それは、過去に幾度となく死地に立った彼にとって、紛れもない“前触れ”だった。

 控えめに扉がノックされ、エリカとフィオナが報告書を手に現れる。


「調査結果です。まとめてきました」


「ありがとう。……遅くまでご苦労だったな」


 アズレインは報告書を受け取りながら、二人を順に見た。


「君たちの判断は的確だった。無駄な犠牲を出さず、必要な情報を持ち帰った。その意義は大きい。だが、当然これで終わりではない」



 視線が再び窓の外に向く。


「最悪の場合、この街が戦場になる。近頃周辺の魔物の活動が極端に少なくなっている。そして冒険者や近隣の村の住人の失踪も立て続けに起こっていることも無関係だとは考えづらい」


 室内の空気が一瞬、静止した。

 冷たい沈黙を破ったのは、フィオナだった。


「防衛体制は?」


「すでに手を打っている。周辺村には非難勧告を出した。防壁の補強も開始済みだ。ギルド所属の冒険者には段階的な召集をかけている」


「カイルさんたちは?」


「別依頼の報告が今朝届いた。街には戻っている」


 エリカは少しだけ表情を緩め、胸をなで下ろした。


「……よかった」


「勇者一行のほうは?」フィオナが重ねて尋ねる。


「リュシアたちは東側の防備区画に待機中だ。指揮系統をどう統合するか、こちらから打診しているところだ」


「一枚岩になれればいいけど……」


 フィオナの口調には、僅かに警戒が混じる。


「勇者たちは確かに力を持っている。だが、目的が“魔王討伐”に特化している以上、利害の一致は難しいだろう」


 アズレインの声には、経験から来る慎重さがあった。


「私たちは……どう動けばいいんでしょうか?」


 エリカの問いに、アズレインは書類から顔を上げ、まっすぐに二人を見た。


「君たちは臨機応変に動け。だがこの街が戦場となった瞬間、最終的に自分の命を預かるのは自分自身だ。判断を信じて行動しろ」


 その言葉に、エリカとフィオナは揃って小さく頷いた。





 その日の午後、ギルド内の酒場は異様な静けさをまとっていた。

 冒険者たちの会話はどこか途切れがちで、笑い声も少なかった。


 カイルは窓際の席に腰を下ろし、黙々と昼食を口にしていた。

 向かいの席では、マリーがスプーンを手に、スープをくるくるとかき回している。


「……なんか、街が落ち着かないね」


「情報が出回り始めてるんだろう。勘のいいやつは、もう街を出てる」


「じゃあ、あたしたちも逃げ出す?」


「“守るものがないなら”な」


 カイルの声は淡々としていたが、その裏には確かな意思があった。

 マリーはその言葉に答えず、しばらくスプーンを見つめたまま。


「俺は街に残るさ。街を出たとしても巻き込まれない保証はないし、そもそも俺はこの街からは離れるつもりはない」


 静かに、それでも力強く語るその声に、マリーは口元を引き結び、やがてぽつりと呟いた。


「ふーん、守りたいものがあるってか。じゃあ、あたしも協力するよ」


 カイルは何も言わず、ただ一つ頷いた。

 その沈黙に込められたものが、マリーにはちゃんと伝わっていた。

 そして夜が来る。


 それは、嵐の前の静けさ――


 決戦の前に訪れる、最後の安息だった。


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