#6
東の空が白み始めた頃、カイルは墓地の外れに立っていた。背には、泥と血にまみれた小さな体。少女は眠っていた。疲労と恐怖に心をすり減らし、泣き疲れた果ての浅い眠りだった。
歩き出す。乾いた足音が、まだ霧に包まれた道に吸い込まれていく。
街の門が見えてきた頃、遠目に見張りが気づき、慌ただしく駆け出してきた。
衛兵の一人が、少女の姿に気づいて言葉を詰まらせた。彼女と顔見知りであったのだろうか、その隣にいた若い兵士は、すぐさま少女の名を呼ぶ。
「リセ! 無事だったのか……!いったい何が…」
少女は反応を返さなかった。まだ目を閉じ、うなされるように眉をひそめている。
カイルは軽く頷くだけで、衛兵たちの言葉に答えなかった。その足でそのまま街へと入る。
通りには、早朝の仕込みを始めた商人たちの姿がちらほらとあった。だが、彼の歩みを見た者は皆、手を止め、口を噤んだ。背の少女の姿を見れば、問いかける言葉も失せた。
彼が向かったのは、ギルドでも、酒場でもなかった。まずは少女の母がいる場所へ。衛兵の一人がすでに走って伝えに行っていたらしく、古びた診療所の前に、女が駆け出してきた。
「リセ……! リセぇぇ……!」
少女の母が声を上げ、崩れるように地面に膝をつく。カイルはその場に少女を下ろし、母の腕に抱かせた。
目を覚ました少女が、うっすらと目を開けて呟いた。
「……おねえちゃんは?」
その問いに、「残念だ」とだけ呟き、踵を返した。
街の騒ぎはすぐに広がった。失踪していた姉妹の片割れが戻り、もう一人が亡くなったこと。異形の怪物が墓地で発見され、冒険者がこれを討伐したこと。
ギルドでは、彼の名を口にする者がいたが、その数は決して多くはなかった。
カイルはそのまま、酒場の二階にある自室に足を運んだ。血に塗れた刃を布切れでぬぐい、油を塗る。研ぎに出そうかとも一瞬考えこむが、壁に立てかけてあるもう一振りの剣と黒い革鎧を見つめ、埃にまみれた今の装備を脱ぎ捨てる。
一介の冒険者が身に着けるのにはいささか不釣り合い、否――――かつて勇者だったころに成した偉業、その対価に手に入れたものだった。
久しぶりに鞘から抜き放たれた刀身は赤と黒。怪しく光る刃はいつ見てもおよそこの世のものとは思えない。冒険者として生活し始めてからは身に着けることのなかった革鎧を身に着けたのは昨夜の件があったからだろうか。
「おはよう。ルイナ」
朝早くにも拘らず、カイルが酒場へ降りると給仕のルイナが駆け寄ってきた。疲れた様子のカイルを心配しながら声をかけるが、すぐに普段の装備と違うことに気づき矢継ぎ早に質問攻めにした。
見かねた女将に止められるまで父のいない少女の話し相手になっていたカイルだったが食事を済ませると女将に硬貨の入った革袋を手渡す。宿代や飲食代にしてはいささか多すぎる中身に女将が酒場を後にしようとするカイルの背を追った。
「ちょっと、お代はいらないっていつも…!」
「なに、居心地が良くて気に入ってるのさ、ここが。ルイナは良く話し相手になってくれるし。女将は世話を焼いてくれる…まあ酔っ払い同士の喧嘩はいささかうるさいが」
女将も女手一つで酒場を経営している以上、些細なトラブルなど日常茶飯事。だが女性の手に負えない荒くれものや酔っ払いの対応をしてくれるカイルには日ごろ女将も感謝していた。
「いってらっしゃい!」
背に元気なルイナの声を受け、軽く手を挙げて応えるカイルの足は冒険者ギルドへと向かった。