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#59

 焚き火の明かりが揺れ、夜の冷気をほんのわずかに和らげている。

 調査隊の面々は交代で休息を取り、周囲には見張りが配置されていた。

 エリカは湯気の立つカップを両手で包みながら、見張りから戻ってきたリュシアに声をかけた。


「……リュシアさんって、“どうして”勇者になったんですか?」


 その問いに、ティルフィアの筆が止まる。リュシアも少しだけ目を細めた。

 それでも否定せず、静かに言葉を選んだ。


「なろうと思ってなれるものじゃない。――でも、そう願っていたのは確か」


 彼女は火の向こうに視線を落とし、ゆっくりと続ける。


「訓練院にいた頃は、剣の振り方すらおぼつかなくて。毎日必死に食らいついて、それでも心が折れそうだった。そんなとき、戦功録に載っていた“とある勇者”の逸話を、繰り返し読んでた」


「勇者……ですか」


 エリカは静かに問い返す。


「伝説級の存在だった。災厄竜の討伐。辺境の防衛線。ひとつひとつの記録が、物語のように語られていて……でも、それは確かに“あった”戦いで、“実際に生きていた誰か”の足跡だった」


 彼女の声には、敬意とも羨望ともつかない、混じり合った思いがにじんでいた。エリカはそれが今はすぐ身近にいる存在の事だとは気づくことなかったが。


「その背中に、憧れたの。そうなれたらと……いや、“そうなりたい”って、あの頃の私は本気で思ってた。選ばれた時、少しだけ――その人に近づけた気がして、心から嬉しかった」


 ティルフィアが火に薪をくべながら、ちらりとリュシアを見た。


「へえ……あなたにも、そんな時期があったんだ。てっきり、生まれた時から女王様気質かと」


「子どもだったのよ。今でも完璧には程遠い。強がってばかりで、怖さも、弱さも、実はずっと抱えてる」


 リュシアは自嘲するように微笑んだ。けれど、それはどこか清々しくもあった。


「でもね、あの人の記録は……消えてしまった。戦死ということだけど、その偉業だけは消えなかった。私がこうしてこの地を踏んでいるのも――あの人がいたからだと思ってる」


 名を語らずとも、確かな敬意がその言葉にあった。


「伝説は、今の私にとって背中。越えることなんてできないかもしれない。でも、少しでも近づきたい。……そう思うの」


 焚き火の火花が一つ、空へと跳ねた。


「……リュシアさんが、そんなふうに話すなんてちょっと意外です」


 エリカが苦笑まじりに言った。


「もっと、完全無欠で……いつも揺るがない人だと、勝手に思ってました」


「完璧な人なんていないわよ。皆、何かに支えられて、何かを信じて、ようやく立ってる」


 リュシアはカップを見つめたまま、静かに微笑んだ。

 ティルフィアが手帳を閉じ、言葉を添えた。


「……つまり、“信じる背中”があるかどうか。それだけで、人は迷わず歩けるってこと」


「ええ、私もそう思うわ」


 火が静かに燃え続ける。エリカは小さく頷いた。


「……私も、守りたい人たちができました。だから、もう怖がってるだけじゃいられないって」


「それでいい」


 リュシアの声は、温かく、力強かった。


「大切なものを守りたいと思えるなら、あなたはもう、十分勇敢よ」


 その夜の会話はやがて自然と終わり、焚き火は静かに小さくなっていった。

 だがそれぞれの胸には、かつての背中と、今の足元を照らす小さな灯が、確かにともっていた。


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