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#57

 

 馬車が町を離れて数日。

 森を抜けた先、かつての戦場に続く険しい山道は、徐々に重苦しい沈黙に包まれていった。木々のざわめきは遠のき、空気は湿り気を帯びて肌にまとわりつくようだった。


「……このあたり、覚えてる?」


 エリカが声を潜める。

 フィオナは背の弓をそっと握り、鋭く頷いた。


「うん。間違いない。あの地下聖堂のすぐ上よ。前にグリマタルと遭遇した、あの場所」


 やがて一行は馬車を降り、草を分けて崖沿いの道を進んだ。

 そこには古い石の階段が口を開けていた。半ば崩れかけた階段は、かつて神聖な施設だったとは思えぬほど風化し、今では誰にも知られぬまま眠っていた。

 “忘れられた地下聖堂”――それが、この場所の名だった。


 調査隊の中には、東方勇者リュシアとその側近である魔女ティルフィアの姿もある。

 リュシアは純白の外套をまとい、剣の柄に軽く指を添えながら無言で進んでいた。

 ティルフィアは手に持った魔力探知具――水晶盤の針が揺れるたび、表情を変えずに周囲の魔力濃度を確認していく。


 やがて、聖堂跡の吹き抜けへと通じる石廊を抜け、一行はかつての祭壇跡へと出た。

 そこに広がっていたのは――忘れられるはずのない光景だった。


 かつて清らかな祈りが捧げられていたはずの祭壇は、今や魔力の染み込んだ瘴気の中心に変貌していた。

 天井は崩落し、聖堂内には自然光が差し込んでいたが、それすらも鈍い灰色に濁っていた。


「……ひどい」


 エリカが思わず声を漏らす。

 ティルフィアが静かに頷いた。


「ええ。だが、今は“儀式の痕跡”に上書きされてるわ」


 彼女の指先が空中をなぞる。目には見えない符文が、淡く反応して揺れた。


「これ……ただの召喚痕じゃない。意図的に、しかも誰かに“見せるために”残されてる。観察者の到来を、最初から前提にした布陣……」


「……罠ってこと?」


 フィオナの問いに、ティルフィアは即答した。


「罠というより“誘導”。好奇心を試すような……あるいは、こちらの反応を計っているのかもしれないわ」


 そのとき、リュシアが声を発した。


「誰かが――あるいは“何か”が、明確な意思を持ってこの地に痕跡を残している。件の死霊の王の仕業と考えるのが妥当でしょうけど」


 彼女の眼差しは鋭く、すでに剣の柄に力がこもっていた。


 ティルフィアは聖堂中央へ歩みを進め、崩れた祭壇の跡に指を這わせた。

 魔力が淡く波紋のように広がり、地面に浮かび上がったのは――

 赤黒く蠢く、花弁のような円陣模様。死霊の術式の名残。


「……死霊の陣。しかも、これは“再召喚”の準備段階。陣そのものが未完成……だけど、基盤は出来上がっている」


 エリカは無意識に息を呑んでいた。


「触れるな。これは私たち自身が“触媒”として組み込まれる可能性がある」


 ティルフィアがそう断言すると、記録係が顔を青くして頷いた。


「……戻る。報告が最優先。ここでの調査は一時中断」


「了解」


 ティルフィアが記録係に指示を出し、後方を確認する。


 その間も、エリカはじっと地面を見つめていた。

 あの日、グリマタルと対峙した時の記憶――恐怖と絶望、それでも仲間と共に立ち向かった一瞬が、鮮明に蘇る。


 そして今、目の前にあるのは、それが“終わっていなかった”という事実。


 風は止み、地下聖堂には一切の音がなかった。

 ただそこに、確かに“何か”の気配が残っていた。





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