#52
翌朝。
ギルドの中は、いつになく穏やかな空気に包まれていた。
受付カウンターの奥、職員専用の休憩室からは、珍しく小声のささやきが漏れている。
「ねえねえ、昨日のシャワー……使った?」
「使いました! もう、びっくりするくらい髪が軽くなって。あの泡のやつ、なんて言ったっけ……シャンプー?」
「そう、それ! 洗ったあと、髪の毛がサラッサラになるの。香りも良くて……」
「マリーさんが“文明開化”って言ってたの、ちょっと分かるかも」
その中心にいたのは、受付嬢のシーナだった。
彼女は昨日、試作品をこっそり試させてもらった数名のひとりで、至って真面目な顔をしていたが、髪の艶がいつもより明らかに違っていた。
それに気づいた女性冒険者がひとり、興味を示す。
「シーナさん、髪、今日なんか違いません?」
「ふふん、実はね――ちょっと秘密の道具を使わせてもらったの。ギルド寮の浴場に新しい設備が入ったのよ」
「えっ、ギルドの浴場?そんな話聞いてないけど……」
「職員向けの試験運用中らしいけど、すっごくよかったの。シャワーっていう装置で、泡の出る薬剤と一緒に髪を洗うのよ。名前は……“シャンプー”だったかな?」
「しゃんぷー……?」
その聞き慣れない単語に、近くにいた女性冒険者たちが一斉に耳をそばだてる。
「泡で髪を洗うって何それ、気になる……」
「ねえ、それってどこで買えるの? 私も使ってみたい!」
「販売はまだしてないみたいだけど、作ったのは……」
瞬く間に、シャンプーとシャワーの話は女性冒険者たちの間に広がっていった。
「なぁお前……また妙なことしただろ?」
ギルド執務室で書類整理をしていたアズレインが、呆れ半分の目で言った。
カイルは黙って椅子にもたれかかり、視線を天井に向ける。
「今回は依頼されたんだ。もともとナターシャにせがまれてたし」
「まあ、お前が私財を投げ打って作ったんだから、特に文句はないが」
「元々金儲けの為に作った訳じゃないし、騒がれてもな」
「何を言っても無駄さ。ギルドの職員の口は思ったより軽いらしい。受付を見て見ろ、偉い騒ぎだ」
「俺のせいなのか」
「それはそうだろう」
さらにタイミング悪く、廊下から元気な声が響く。
「おーい、カイルいる!? この前の泡のやつ、もう一本分けてくれない?」
マリーの声だ。噂を一夜にして広めた元凶。
アズレインは苦笑を漏らしながら、机に肘をつく。
「人気が出るのは悪いことじゃない。けど、こうなると管理が必要になるぞ。製法を君しか知る者がいない以上、どうしたってお前に人が集中する。……無論お前がそれを嫌がるのは分かっているが」
「分かったよ。別に商売するつもりもないし、製法を薬剤師に教えよう。それと設備の作成法についてもな。作り方さえ教えれば鍛冶屋でも作れるはずだ。魔石を使用する以上、どうやっても値は張るが…作成方法についてはあんたが考え付いた事にでもして、ギルドの利益にでもすれば良い」
「そうか。ではお言葉に甘えるとしよう」
言外に何かを含んだアズレインの目を、カイルは真正面から受け止めず、ただ窓の外に目をやった。
泡立つだけの薬剤に、これほど騒がれる日が来るとは――




