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#50

 数日ぶりに、扉を叩く音が響いた。

 朝の陽はまだ斜めに差し込み、地下の空気はほんの少しひんやりとしている。

 カイルは炉の火を整えながら、聞き慣れた声に「開いてる」とだけ返す。

 軋む扉の向こうから現れたのは、見慣れた顔――エリカだった。

 整えられた衣服に、胸元に抱えた手提げ袋。表情は真剣で、どこかそわそわしている。


「失礼しまーす……あ、やっぱり作業中でした?」


「見りゃ分かるだろ。……で、今度は一体なんだ? あまり頻繁に来るなと言ったはずだ。アズレインがうるさいんだからな」


 エリカは困ったように笑いながら、一歩踏み出す。


「昨日お願いした道具のこともあるんですけど、もうちょっとだけ相談があって……」


 そう言って手提げ袋から布包みを取り出し、作業台の一角に広げた。

 中には、紙片と香油の小瓶が整然と並んでいた。


「……今度は何の研究材料だ?」


「洗髪ですね。こっちの世界って、お風呂ってあんまり普及してないですよね?」


「まあ、一般家庭に風呂があるのは王都とか一部の都市だけだな。この街は水道や下水道は整備されてるから辺境の村なんかに比べればまだましな方だぞ」


 エリカは軽く頷き、広げた紙を指差した。


「だから、せめて髪だけでもきれいにできる方法を作りたくて。私の世界では“シャンプー”っていう泡の立つ液体を使ってたんです。作成方法を思い出せる範囲でまとめてきました」


 手書きの図面には、調合に必要な素材や作り方、使用法まで細かく記されていた。

 カイルは少し驚いた顔でそれを眺め、手に取る香油の瓶の匂いを嗅ぐ。


「……素材さえ揃えば、似たものは作れるかもしれないな。香料と水分の調整は試行錯誤だな」


「本当ですか!?」


 ぱっと表情が明るくなるエリカ。その反応に、カイルは軽く肩をすくめる。


「お前、ほんと調子いいよな。昨日も頼みに来ただろ」


「だって必要なんです。こっちで暮らしてると、すぐ髪がゴワつくし、煙とか汗のにおいも落ちないし……。少しでも快適にしたくて」


 真剣な視線に、カイルはひとつだけため息をつき、手を止めた。


「……わかった。試してみる。ただし材料は揃えて持ってこい。香料や油は高いんだ。あと、知り合いの商人を紹介してやってもいい」


「商人さん……?」


 エリカは目を輝かせ、懐から紙片を取り出した。すでにメモを取る気満々だ。


「料理用の油とか香辛料も、探してたんです。ギルドの売店は獣脂ばっかりで……植物性の油やスパイスって、どこから仕入れてるんですか?」


「油は南方の交易商が持ってくる。質はいいが高い。ギルドに卸されてるから多少は安く手に入るかもな。香辛料はこの街の東にある店で取り扱ってるはずだ」


「本当に? ありがとうございます……!」


 エリカの表情が、ぱっと綻ぶ。

 誰かに何かを頼むこと、それを受け止めてもらえること――彼女にとってそれは、世界に溶け込んでいく確かな感触だった。


「……お前、俺をなんでも屋かなにかと思ってないか?」


「そうかもしれません」


 即答に、カイルは吹き出しそうになりながら首を振った。


「遠慮がないやつだな」


「でも、カイルさんは優しいからなんだかんだ言っても手伝ってくれてますよね」


 その言葉に、カイルは軽くエリカの頭を小突く。


 材料を手に入れ帰ってきたエリカが追加で図面を渡す。カイルが確認すると手渡された図面には新たにシャワーやドライヤーなどの形状や構造が描かれていた。

 出会った頃に比べれば随分と馴れ馴れしくなったものだと呆れていた。


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