#5
血と泥が混ざった地面に、グールたちの骸が転がる。かつて人だったものの成れの果ては、もはや動かず、ただ夜風に晒されていた。
カイルは肩で息をしながら、黒ずんだ剣の刃先を軽く払った。返り血と泥が落ち、鋼の輝きがわずかに戻る。
「……数が多けりゃ良いってもんじゃねえぞ、亡者ども」
鋭く辺りを見渡す。老婆の姿――あのネクロマンサーは煙のように掻き消えていた。だが、完全に逃げたわけではない。カイルは直感的に理解していた。奴はこの墓地にまだいる。しかも、儀式とやらの中心に。
その時――
かすかな泣き声が風に混じって聞こえた。
剣を構え直し、カイルは音の方へと足を向ける。霧が厚く、足元さえ見えづらい。だが、あの声――それは、確かに今朝いなくなった少女のものだった。
古い祠の裏手。そこに、ぽつんと一人、少女が座っていた。
ボロを纏い、素足を血で汚し、顔には恐怖と疲労が滲んでいる。年の頃は十歳ほど。見覚えがあった。ギルドで母親に抱きついて泣いていた、あの妹だった。
「……おい」
カイルは慎重に声をかける。敵の罠である可能性もある。だが、少女はカイルの姿を見るなり、顔を歪め、震える声を漏らした。
「……たす、けて……おねえちゃん、変わっちゃった……」
その言葉と共に、足元に転がる祠の影から、何かが這い出した。
それは“姉”ではなかった。だが、少女がそう認識したのは間違いでもない。
肉の塊のような身体に、少女の顔が浮かんでいる。否、浮かんでいる“ように見える”だけだ。だが、そこには確かに魂が宿っていた。
「融合儀式……」カイルが小さく呟く。「なるほど、そういうことか……」
ネクロマンサーたちの禁術の一つ。死者を単なる操り人形にするだけでなく、生者と混ぜ合わせることで、より強靭で複雑な“肉の兵”を作る。失敗すれば即死、成功すれば人間ではない何かが生まれる。
“それ”が、呻くように唸った。
聞き取りづらいがその声には、確かに少女の記憶が滲んでいた。いや、声だけではない。伸びた腕の先、指が震え、助けを乞うようにカイルへと伸びていた。
「……クソッタレが」
カイルは剣を振り上げる。わずかだが挨拶を交わす程度の親交があった彼女の姿に躊躇いはあった。だがそれでも、彼の中には揺るがぬ一点があった。
――苦しみながら生かされるより、死んだほうがマシなこともある。
「ここで終わらせてやる」
刹那、“それ”が叫んだ。無数の腕が飛び出し、墓石を砕きながら襲いかかる。スピードはグールの比ではない。強化された筋肉、魂を喰って肥大化した神経反応――まさに魔物と化した少女の亡骸だ。
カイルは躱す。躱しながら踏み込む。腕の一本を切り落とし、逆に背後へと回る。足を斬り、バランスを崩した瞬間――
「眠れ」
一直線に、心臓へ剣を突き立てた。
異形は呻き、のたうち、そして――静かに崩れた。
その中心には、小さなペンダントが落ちていた。泥に塗れても、銀の輪に刻まれた姉妹の名だけは、はっきりと読み取れた。
空を見上げる。霧の中、月がわずかに顔を覗かせていた。
――ネクロマンサーは消えた。だが、これで終わりではない。カイルは知っていた。奴らは儀式を始めたばかりなのだと。
静かに剣を鞘に戻し、カイルは少女を背負った。
「お前は姉貴の分まで、生きろ……」
彼の背で、少女は小さく、嗚咽を漏らしていた。
夜は、やっと明けかけていた。