#47
陽が真上に昇り、訓練場の砂はじりじりと熱を帯びていた。
遠くでは水場で訓練生たちが掛け合いをしている。声に緩みが出ているのは、疲労と暑さのせいだけではない。
カイルは日陰に腰を下ろし、黙って空を仰いだ。
――勇者か。
その言葉は、聞くたびに胸の奥を鈍く抉る。
他人が軽々しく口にするたび、笑えもしない痛みが胸を撫でていった。
思い出すのは、まだ幼い頃。
親の手を引かれるままに歩き、そして別れを告げられた日。
連れて行かれたのは灰色の石造りの屋敷。冷たく、無機質で、ただ「教育」だけが存在する空間だった。
「あなたは勇者です。神託により選ばれた存在。剣を取り、魔を討ち、民を導く光となるのです」
淡々とそう言い放った神官の声は、まるで記録でも再生しているかのように感情がなかった。
カイルはまだ、何もわかっていなかった。ただ――戻れないということだけは、本能で悟っていた。
この世界には、“勇者”と呼ばれる者が複数いる。
神に選ばれた存在、“聖痕”を与えられし者たち。
人族に限らず、亜人や異界の血を持つ者も含まれ、等しく“勇者”の名のもとに使命を課せられる。
だが、勇者とは称号であり、肩書きでしかない。
血筋でも、希望でもなく――選ばれた瞬間に、すべてを捨てて戦士へと作り変えられるのだ。
剣技、魔法、戦略、統率、礼儀作法、さらには死を受け入れる覚悟。
それらを叩き込まれる毎日。
一歩でも遅れれば、斬られるのは自分。
仲間を守ることを教えられながらも、その仲間が命を落としたときには、涙を飲み込み、ただ前に進めと命じられる。
「勇者とは、決して折れぬ剣であれ」
「涙は、民のために残しておけ」
「弱さは敵に見せるな。仲間に見せるな。己にすら、見せるな」
そんな言葉を、少年だった自分は信じるしかなかった。
他の生き方を知らないまま、“勇者”として育てられたのだから。
――あの頃の俺が、今の俺を見たら、どう思うだろうか。
自然とそんな思いが浮かんでくる。
今の自分は、教える側になっている。
剣を握る少年少女を見つめ、走らせ、倒させ、また立ち上がらせる。
相手は冒険者だが昔自分がされてきたことを、今はしている立場。
その矛盾が、ほんの少しだけ胸を刺す。
「……なんの冗談だよ」
吐き捨てるように言って、木剣を膝の上に置いた。
目を閉じれば、今もあの灰色の屋敷の匂いが、ふいに鼻をかすめる気がした。
そのとき、足音が砂を踏んで近づいてきた。
「カイルさん、そろそろ午後の訓練、始めても大丈夫ですか?」
声をかけてきたのは、年若い訓練生の一人――ラットだった。
魔法の才能には恵まれなかったが、それでも剣だけは諦めずに振り続ける少年だ。
その目の奥にある真っ直ぐな意志が、昔の自分をどこか思い出させる。
「ああ。始めるぞ。ただし……素直すぎるのも考えもんだ。弱いなら、もっと汚く戦え。なんなら魔法を使っても構わない」
「はいっ!」
少年が嬉しそうに駆けていくのを見届けながら、カイルはゆっくりと腰を上げる。
“勇者”という名に、もう縛られるつもりはなかった。
だが――その名を捨てた自分にも、誰かを導く理由があるのなら。
剣を握る意味が、まだここにあるのなら。
陽光が、木剣を持つ手にふたたび熱を戻す。
彼は静かに、訓練場の中央へと歩き出した。




