#37
ギルドの喧騒が、夜の帳と共に街に溶けていく。
陽が落ちてから数時間。ギルド内にある歓談のために設けられた酒場。テーブルの上には空になった酒瓶がいくつも転がり、奥の座敷では騒がしい笑い声が飛び交っていた。カイルは、その騒ぎの一角に目を細めていた。
「……いたな、案の定」
奥の隅、火照った頬をテーブルに伏せている女の姿――乱れた赤髪に、男物の外套。派手な衣装に包まれた肢体は、誰が見ても“冒険者”のそれだったが、その姿勢と周囲に置かれた酒瓶の数が、すべてを物語っていた。
カイルはその背へと歩み寄ると、無言で肩を叩いた。
「……んぁ?」
濁った声が反応し、赤髪が顔を上げる。艶のある双眸が揺れ、酒臭い息が近くの空気を濁らせた。
「……あー……なぁんだ、カイルじゃん……久しぶり……来てくれるなら言ってよぉ、準備したのに」
「準備?なんのだよ」
「違うよぉ……こう、なんていうか、気持ちの準備……ね?」
にやけた笑みを浮かべる赤髪の女――マリー・アンヴェール。
かつて名のある傭兵団に所属し、腕一つで生きてきた剣士。だが、今はギルドの端に名を連ねるだけの銀等級の“なんちゃって冒険者”として日々をやり過ごしていた。
彼女には致命的な問題がある。
――酒にだらしなく、女にもだらしない。
挙句、自堕落な生活が祟り、金もない。
そして現在、彼女はカイルに多額の借金を抱えていた。
「起きろ。少し話がある」
「うぇぇ~……明日にしようよ、明日……私、今日は死んでるの……完全に酔ってるから」
「いつもだろ」
「う……うるさいなあ。女の子の繊細な事情に踏み込むなよ~。っていうかさ、そういう用事なら体で返してもいいよ?」
ぐいっとカイルの胸元に身を寄せ、挑発するように笑うマリーに、カイルは額を押さえた。
「その冗談、三年前から全然面白くないぞ。大体お前男嫌いだろ」
そう。彼女は極度の男嫌いだった。見ず知らずの男に体を触られようものなら刃傷沙汰で命が幾つあっても足りないというのは冒険者、この街に住む人間なら常識だった。
「え、まじで? 私、ずっと本気なんだけど……」
「はいはい、まず水を飲め。話はそれからだ」
カイルは店員に合図して水差しを受け取ると、酔ったマリーの口元に無理やり押し付ける。ぐびぐびと喉を鳴らして水を飲み干したマリーは、ようやく顔色が少し戻った。
「……で、何の話? 借金返済の件?」
「それもあるが、今回は“仕事”の話だ。俺の代わりに、若い冒険者の助力を頼みたい」
「……あんたが?」
「そうだ。お前に貸した金、帳消しとは言わないが……働き次第で考慮はしてやる」
マリーは眉を上げ、椅子に座り直した。その動きは酔いが醒めてきた証でもある。
彼女は腕を組み、カイルをじっと見つめた。
「……ずいぶんあたしを買って出たな。そりゃ、剣の腕だけなら負けないけどさ……私、そういう“保護者”みたいなのは向いてないぜ?」
「知ってる。でも俺がいない間は前衛がいないからお前にこうして頼んだ」
「フーン…随分心配性だな……珍しくお前が人と組んでるってのは聞いたよ。あのちっこい華奢な神官だろ」
「よく知ってるな」
「そりゃ、街の噂くらい耳に入るよ。カイルが世話をやいてる女の子ってさ。……まさか、二股とかしてる?」
「しない」
「つまんない男だな」
茶化しながらも、マリーの目にはどこか真剣な色が混ざっていた。
「……わかったよ。どうせヒマだったし。ちょっとだけ“お姉さん”してやるか」
「助かる。あんまり期待はしてないがな」
「うわぁ、最低」
マリーはそう言って笑い、からかうようにウインクした。
いつの間にかグラスに注がれていた酒をマリーに押し付けられ、仕方なく乾杯することになったカイルは人選を間違えたかと後悔した。




