#34
魔石の光が淡く差し込む医療室で、カイルは重たいまぶたをわずかに開いた。揺らぐ視界の中、まず目に映ったのは、木材の節が残る無骨な天井板だった。
意識が戻るにつれて、全身を包む鈍痛が波のように押し寄せてくる。呼吸のたびに胸がきしむようで、四肢には石のような重さがまとわりついていた。とくに右腕――あの呪詛の刻印が走った部位は、今なお焼けるような熱を帯び、微細な震えすら感じられる。
「ようやく起きたか」
低く渋い声が耳元で響いた。隣の椅子に腰かけていたアズレインが、手にしていた書物を静かに閉じ、カイルの顔を見下ろしている。
「三日ほど眠っていた。身体は……まだ呪いの影響下にあるが、命に別状はない」
「……面倒をかけたな」
かすれた声を絞り出しながら、カイルはわずかに上体を起こした。包帯にぐるぐると巻かれた右腕が視界に入る。指先には力が入らず、少し動かすだけで灼けるような痛みが走った。
「礼拝堂での呪い……。どうやら星骸の外皮でも、完全には防ぎきれなかったみたいだ」
「当然だ。相手は伝承にある化け物――《死霊王グリマタル》。数百年、いや千年を超える呪力の奔流に触れて、生きて戻っただけでも奇跡だ」
アズレインは立ち上がり、部屋の隅にある棚から一瓶の薬を取り出して手渡した。金色の液体が瓶の中でとろりと揺れている。
「この場所で揃う素材から最も近い処方を試した。古いレシピだが、効果はあるはずだ」
「助かるよ。……本当に、命拾いしたな」
カイルは薬瓶を慎重に受け取ると、苦笑を浮かべながら小さく頷いた。
「……エリカの方は?」
「宿舎で休ませた後、診断させたが、身体に異常はなかった。衰弱してはいたが、結界を張っていたおかげで直接の被害は免れたようだ。もっとも、精神的な負担は大きかっただろうがな」
その声には、アズレインには珍しく労りの色が滲んでいた。
「彼女はお前が目を覚ますまで、『龍のまどろみ』で待つと言っていた。動けるようになったら顔を見せてやれ」
「……そうか」
カイルは目を細め、しばし天井を見つめた。あの死霊王――グリマタルとの邂逅は、最悪の形での“偶然”だった。誰かが仕組んだものではない。少なくとも、その時点ではそう思っていた。ただ、足を踏み入れた場所が、たまたま地獄の入り口だった。それだけの話だ――そう、自分に言い聞かせようとしていた。
「だが、偶然とは思えない奇妙な符合もあった」
静かな声でそう言い、カイルは視線を天井からアズレインへと移した。
「そうか」
アズレインは無言で窓の外へ目をやった。夜の庭園に咲き誇る花々が、魔石の光を受けて淡く輝いている。
「ならばこそ、深入りするな。この生活が惜しいのなら…“追えば呑まれる”ってな」
「わかってるさ。勇者としての俺の役目は……もう終わった」
カイルは再び身を沈め、目を閉じた。脳裏には、闇の中で燃え盛る死者たちの眼光がちらついていたが、それもやがて静かに胸の奥へと沈めた。
「そういえば」アズレインが少し声音を緩めて言った。「あの娘、エリカもただの異界から迷い込んだ少女ではなさそうだな。神官としては未熟だが、お前の素性を見抜いた“あの力”……そして、相対した者の力量を見通す目は本物らしい。少し試させて貰った」
「俺も最初は半信半疑だったけど……礼拝堂での一件で確信したよ」
アズレインは鼻を鳴らし、わずかに笑みを浮かべた。
「それと昨日、よそのギルドの金等級の冒険者が、お前を訪ねてきた。栗色の髪の……ハーフエルフの少女だったな」
「フィオナか」
カイルは眉をひそめた。エリカと出会ってから止まっていた時がまるで動き出したかのようだ。
「なるほど。昔の知り合いというのはその子のことだったか……まあ、いい。今はそれよりも身体を治せ。……ああ、それともう一つ」
アズレインが立ち上がりかけてから、ふと何かを思い出したようにカイルの肩に手を置いた。
「この場所のことを、むやみに他人に教えるな。それから――俺の秘蔵の酒を飲んだらしいな。動けるようになったら、代わりにこき使ってやる。覚悟しておけよ」
からかうように笑い、白髪を搔きながらアズレインは部屋を出ていった。
「……分かったよ」
そう小さく呟き、カイルは目を閉じた。




