#33
ギルドの扉が、軋む音と共に開かれた。月の光を背にして現れたのは、疲れた様子のカイルと、やや遅れて足を踏み入れるエリカだった。
夜も更けているというのに、執務室の机に向かっていたアズレインが顔を上げる。帳簿を閉じて立ち上がると、すぐに彼らの気配に気づき、静かに問うた。
「……何があった?」
カイルは無言のまま、腰から革袋を取り出す。その中には、焦げた羊皮紙の切れ端が入っていた。アズレインが受け取って広げると、不気味な文様と古代語が浮かび上がる。
「《死者の書》の一部だ。依頼内容にはなかったが、予想外の敵と遭遇した」
「予想外の敵とは?」
「……忘れられた地下聖堂だったか。調査の結果、あそこはネクロマンサーどもの根城だったよ。しかも奴らの儀式が成就して――死霊王を呼び出すことに成功していた」
アズレインは眉をひそめる。声は静かだったが、空気が冷たくなったように感じられた。
「冗談ではなさそうだな。それで、討ち取ったのか?」
「いや……深手は負わせたが、逃した。どうやら完全な状態じゃなかったらしくてな…命拾いしたよ」
その言葉に、アズレインは僅かに表情を動かす。だが、二人が無事に戻ったという事実だけでも、十分に常識を逸していると理解していた。
グリマタル――深淵より出づる死霊王。その名は知る者も稀な伝説の怪物。討伐されたという逸話も、信じがたい神話の類だった。
アズレインの視線が、エリカへと向けられる。
「君も、現場にいたのか?」
「……はい」
エリカは少し躊躇しながらも、しっかりと頷いた。
「最初にいた金等級のパーティの皆さんが全滅した後、礼拝堂の片隅に結界を張って……一部始終を、見ていました」
「そうか……」
「恐ろしくて動けませんでした。でも、何とか結界だけは張ることができて……。あの怪物の存在感は、言葉では伝えきれません」
その指先はかすかに震えていた。単なる恐怖ではない。魂を圧し潰すような重圧の記憶が、身体に残っていたのだ。
「まさか、そんな事態になるとはな。だが……不幸中の幸いだったとも言える」
アズレインはちらりとカイルに目をやる。「こいつが同行していなければ、間違いなく誰も生きて戻れなかっただろう」
「よくもまあ気楽に言えたな」
軽く悪態をつくカイル。それを聞いたエリカは、二人の関係性を測りかねたのか、ぽかんとした表情でやり取りを見守っていた。
「この娘には素性を明かしたのか?」
「ああ。明かしたというより、出会ったときに言い当てられた。それに……戦いでは霊薬の力で、一時的に力を解放した。礼拝堂では、古い顔なじみにも遭遇したしな」
金等級の冒険者パーティについて、アズレインは他ギルドの依頼だったため、その存在を把握していなかった。
「そうか……因果な話だな」
「どうあがいても、運命からは逃げられない。そんな出来事だった。もう関わることもないと思っていたんだがな……」
カイルが深く椅子に身を沈め、大きく息を吐く。
「もう夜も遅い。二人とも、今日はギルドの宿舎に泊まっていくといい」
アズレインは疲れたように息を吐き、焦げた羊皮紙を封呪の木箱に収めた。
「……俺は遠慮しておく。それより治療を頼みたい。あと……呪いに効く魔法薬の調合法、知っているか? できるだけ早く、いつもの場所に来てくれると助かる」
ふらつきながら立ち上がったカイルの体を、アズレインの目が射抜く。カイルの首筋には黒く走る呪痕が熱を帯びて浮かび上がり、呪いの進行が視覚的に現れていた。
勇者の加護をもってしても、無事では済まなかったのだ。星骸の獣の外皮を使った革鎧がかろうじて身体を支えていたが、それも限界だった。
「おい――」
「カイルさん!?」
カイルが部屋を出ようとした瞬間、その身体が糸の切れた人形のように、ばたりと床へ崩れ落ちた。
駆け寄るエリカの声と、咄嗟にその身を抱き上げるアズレインの姿を最後に、カイルの意識は闇の中へと沈んでいった。




