#32
戦いが終わるとしばらく祭壇の傍で座り込んでいたフィオナが、ようやく顔を上げる。頬には血と煤がこびりつき、栗色の髪も乱れていた。
「仲間のものだろう。お前が持って帰ってやれ」
カイルが金属片を差し出した。薄汚れ、焦げた布切れに包まれたそれは、認識票だった。凄惨な戦いの結末、彼が拾い上げた唯一の遺留品。戦場となった礼拝堂には死体すら残ってはいなかった。
フィオナはそれを受け取ると、指先でそっと触れ、何も言わず目を伏せた。小さく、かすかに唇が震える。
「あたし、仲間を守れなかった」
その声に、嘆きと悔恨が滲む。
カイルは少しだけ視線を逸らし、ゆっくりと腰を下ろした。外傷を負った訳ではないが、体が軋む。だが今、体の痛みよりも彼が気にしているのは、目の前の少女のことだった。
「誰かを守るってのは簡単なことじゃない。この結果はお前のせいなんかじゃない」
フィオナが顔を上げる。涙が頬を伝い、彼の姿を見つめていた。
「なんにせよお前は生き残った。きっとそれには意味がある、少なくとも俺はお前だけでも無事で良かったと思ってるよ」
カイルに頭を撫でられフィオナはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……カイル、ありがとう」
彼女はそれだけ言うと、立ち上がった。認識票を握りしめる手に、迷いはなかった。
「あたし、これ以上泣いてる顔見られたくないから…行くね。気持ちの整理がついたら会いに行く。今度はどこかへ消えないでよ?」
そう言ってフィオナは、礼拝堂を後にする。彼女の背中が闇の中に消えていく。カイルはその姿が見えなくなるまで、黙って見送った。
「……ったく。強がりばかりは昔から変わらないな」
肩を回しながら、カイルも遅れて歩き出す。やがて崩れかけた礼拝堂を出たところで、彼を待っていたエリカが声をかけた。
「カイルさん……フィオナさん、大丈夫でしょうか」
「時間が必要だろうな。……だが、あいつは乗り越えるさ。あいつは、強い」
二人並んで夜道を歩く。湿った森の香りと、遠くで鳴く鳥の声が、わずかに現世の温もりを思い出させた。
しばらく沈黙が続いたが、エリカがふと問いかけた。
「フィオナさんとは、ずっと一緒だったんですか?」
カイルは少しだけ歩みを緩め、夜空を仰いだ。星が雲間からのぞいている。
「いや、初めて会ったのは、俺が勇者だった頃だ。もう、何年も前になる」
「えっ……?」
「旅の途中、フィオナのいたエルフの里に滞在したことがあってな。人間とエルフの混血だったせいで、あいつは酷く嫌われていた。教会の孤児院で、掃除ばかりさせられて」
カイルの口元に、わずかに笑みが浮かぶ。
「けど、裏庭で泣きながらこっそり魔導書を読んでる姿を見て……放っておけなくてな。少しだけお節介をした。魔法の初歩と、戦い方……二年くらいは旅の拠点にしてたからな」
エリカは驚いたように目を見開いていた。
「それじゃフィオナさんにとって、カイルさんは師匠みたいな存在だったんですね」
「……さあな。あいつが俺をどう思ってるかは知らん。だが、あの時の女の子が、今は冒険者だ、それも金等級の。それは誇らしく思うよ」
そう言って、カイルは歩を進める。体の節々が痛むが、それを誰にも悟らせない足取りで。
エリカはその背を見つめ、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「カイルさんって、優しいんですね」
「本当にそう思ってるのか?」
「ええ。もちろん」
その笑みに、カイルは小さく肩をすくめた。
夜の静寂が、再び彼らを包んだ。だがその歩みは、少しだけ軽くなっていた。




