#31
カイルが過去に屠った使徒の一角、神々の黄昏に堕ちた竜──星骸の獣ライゼマーン。竜種の頂点、その遺骸から鍛えられた剣が、死の空間を穿った。
斬撃は空間そのものを裂き、死霊の群れを一掃する。魔術すら焼き切る軌跡を残し、礼拝堂の天井に深々と残響が走る。
死者の王グリマタルは初めて詠唱を止める。死者の書が一瞬、沈黙したのだ。
カイルが剣を払って再び姿を現した時、冥府から呼び出された死者の半数が灰に帰していた。
「……星骸の力か」
グリマタルの声には苛立ちよりも興味があった。
彼は古の戦争において勇者に打ち倒された使徒の一角。地下の儀式場で行われたネクロマンサーたちの儀式によってこの世に喚び戻された存在だ。
「愚かなる者よ。かの竜を屠り、何を得た? 剣は力をもたらすが、世界の理は変わらぬ」
「そうだな。だが、その理に一太刀くれてやることくらいは、できるだろ?」
返す言葉と共に、カイルが一閃する。
死者の王の胸元に、斜めの深い裂傷が走った。冥界の瘴気が吹き出す。だが、それでもなおグリマタルは倒れない。
その肉体は既にこの世の理に属していない。死してなお、魂の残滓によってこの現世に存在する異端。
しかし、確かに彼の力は削がれた。カイルによって負わされた深手により、魔力の奔流は乱れ、空間の歪みが収束しはじめていた。
「……なるほど。理解したぞ。お前という存在、その剣の成り立ち。これは、我にとっても未踏の地だ」
死者の書が再び頁をめくり始める。だが詠唱は続かない。
グリマタルは静かにその場に転移の陣を描いた。黒煙が空間を喰い、視界を奪う。
祭壇に瘴気が集い、死者の王が再び詠唱を始めようとした瞬間だった。
「カイルさん!」
結界の中から叫んだのはエリカ。彼女は焦燥を帯びた目で死者の王の胸元を見据えていた。
「胸元の結晶……たぶん核です!魂をつなぎとめてる!」
カイルがわずかに目を見開く。視線を向けると、ひび割れた黒い鎧の胸部、肋骨の奥でわずかに脈打つ白銀の結晶体があった。
その瞬間、エリカの隣で膝をついていたフィオナが目元をぬぐい矢をつがえた。
「風よ──誰よりも早く、誰よりも鋭く、誰よりも確かに届く者よ。
目に映らず、音もなく、ただ“真”を射抜け──颶風穿天」
栗色の髪が揺れる。魔力を帯びた矢が唸りを上げ、空気を裂く。
グリマタルの障壁が弾こうとしたが、カイルの斬撃で生じた鎧の裂け目に矢が滑り込む。
「……っ!?」
不死の王の胸に、魔力の矢が突き立った。
対アンデッド用に用意していたミスリル製の矢じりは結晶に届き、ひび割れる音が響いた。剣では届かなかった部分――それが、物理的に存在する“核”だった。
完全な破壊には至らなかったが、膨大な瘴気が一瞬で揺らぎ、死者の書が頁を乱す。グリマタルの姿が歪み、崩れかける。
「貴様ら……。またしても勇者が我が行く手を阻むか。実に、厄介だ……」
それでも、彼は倒れない。だが確実に、限界に近づいていた。
肉体の半分は灰色に朽ち、瘴気の流れは逆流し始めている。
死者の王は静かに片手を掲げ、指を鳴らす。黒き転移陣が足元に浮かび上がった。
「逃げるつもりか」
カイルが疾駆する。踏み込んだ足場が砕ける中、最後の斬撃を放つ。
しかし、黒の幕が降りるほうが僅かに早かった。剣は空を裂き、残滓だけが飛び散る。
死者の王の気配が、礼拝堂から完全に消えた。
「惜しかったな」
カイルが剣をゆっくりと背中の鞘に収める。
エリカの傍らでは、フィオナが弓を降ろし、呼吸を整えていた。
「今の矢、ちゃんと届いたよね……?」
「確かに届いてたさ。だが、取り逃がしたのも事実だ」
エリカが膝をつき、焦げた祭壇に残された死者の書を拾い上げる。
「元の世界に帰る……手がかりになるでしょうか」
「アズレインに渡すか。専門家じゃあないが博識だしな」
カイルは短く答え、霊薬を取り出し口に含むと顔の聖痕が薄らいでいく。
「もし…機会があれば今度こそあたしの矢で、息の根を止めてやる」
フィオナが憤然と言い放つ。
炎の匂いと死霊の残滓が、まだ礼拝堂に漂っていた。




