#3
墓地に吹く風は、肌を刺すほど冷たかった。
夜半の霧があたりを包み、月明かりすら鈍く揺れている。街の外れにある古びた共同墓地。誰も訪れぬ場所に、今夜だけは灯がある。
カイル・グレイヴスは、片手にランタンを、もう一方の手には魔物全般に有効な魔法銀製の剣を握っていた。着ているのはいつものように布と革の混ざった地味な装備。だが、それで十分だった。彼にとっては。
「……死体が歩くなんざ、冗談にしちゃ悪趣味すぎる」
吐き捨てるように呟きながら、足元を照らす。そこに、濡れた泥と腐った肉の匂いが混ざっていた。
今朝、街の少女が消えた。母親が泣きながらギルドに駆け込んできたのを、カイルは見ていた。だがその時、腰を上げる気はなかった。なぜなら、消えた子供に懸賞金はかかっていないし、騎士団も動かない。つまり、誰も本気で探す気がない。
だが、母親の腕の中で怯えていたもう一人の少女――泣き腫らした目でカイルを見つめてきた彼女の姿が、脳裏から離れなかった。
あれは……助けを乞う目だった。ああいうのだけは、昔から弱い。
「ったく、ガキと女には甘いな、俺は……」
そう自嘲しつつ、霧の中を進む。古びた墓石が斜めに並ぶ中、地面に奇妙な崩れがあった。墓のひとつが、内側から破られている。
――やはり、ここか。
剣を構える。直後、地面から泥と腐臭が跳ね上がり、黒ずんだ腕が飛び出した。
人の骨と腐肉が繋ぎ合わされたような異形の存在――死体喰い。
半ば溶けかけた人間の顔を持ち、獣のような手足で地面を這い回る。瞳はなく、だが確実に「生きた匂い」だけを追っている。
「……せめて、もう少し綺麗にしてから出てこい」
呆れたような独り言と共に、足を滑らせるように踏み込み、剣を振るう。
カイルの剣は、重さを活かした横薙ぎ。小手先の技術ではなく、地力と経験で振り抜かれた一撃は、グールの肩から胸までを裂いた。
しかし、グールは止まらない。叫びもせず、肉が割れても構わずに飛びかかってくる。
鋭い爪が彼の頬を掠めた瞬間、カイルは後退するように身を反らせ、反動を利用して再び斬撃を放つ。脇腹から腰へ、肉と骨を裂く音が夜気を震わせる。
泥と共に倒れた死体の横で、もう一体が墓石の陰から姿を現した。腐った修道服を纏い、唇の裂けた老婆の顔が、にやりと歪んだ。
人間からの変異種、死霊術師だ。
死体を操るだけでなく、自らも不死に身を堕とした存在。かつての戦場で幾度も見た。
「……そういう手合いか。懐かしいな」
夜風が、カイルの黒髪を揺らす。瞳の奥で、かつての金色の光がかすかに揺れた。
老婆の口が裂けるように開いたとき、数体のグールが周囲から這い出てきた。
カイルは剣を逆手に持ち直し、吐き捨てる。
「相手が死人だろうが生者だろうが、邪魔をするなら斬るだけだ」
闇に咲いた火花のように、剣が走る。
――夜は、まだ終わらない。