#28
その存在が一歩踏み出すたび、礼拝室の床が軋んだ。赤黒い瘴気が渦を巻き、辺りを侵食してゆく。
「離れて!」
フィオナが仲間に向けて叫ぶがグリマタルは骨の手を天へと掲げた。次の瞬間、詠唱すら伴わぬ一撃が放たれる。紫紺の光の矢が十重二十重に放たれ、空間そのものが崩れた。
「みんな――!」
フィオナと行動を共にしていた仲間たち。斬りかかる戦士、盾を構えた聖騎士、呪文を唱えていた術士が一瞬で貫かれ、燃え尽きる。悲鳴も届かぬ速さで、命の灯は消えていった。
「そんな、嘘……!」
フィオナの叫びが虚空に散る。地面が割れ、祭壇の魔法陣が不気味な脈動を始める。彼女自身も魔力の奔流に呑まれかけた。
その瞬間、眩い蒼の光が全身を包んだ。
「黎明は影を溶かし、真実を照らす。我らの歩みを神の光が覆わん——暁の帳!」
エリカの声が飛ぶ。彼女が詠唱していた奇跡の術が、エリカを中心に周囲を覆っていた。魔力の奔流が弾かれ、地を焼く衝撃波が霧散する。
だが、エリカの膝が折れる。その結界は高位の奇跡であり、彼女の冒険者としての等級には見合ってはいなかった。
彼女の顔色は蒼白で、額から汗が滴る。
「……限界、です……次は防げません……!」
「良くやった」
カイルの声は静かだった。だがその眼には、ただの冒険者ではない何かが灯っていた。
彼は腰のポーチから、漆黒の小瓶を取り出す。それは、かつて錬金師が生涯をかけて作り出した“霊薬”と呼ばれるもの。服用すれば、身体に課された封印と制限を一時的に打ち破り、本来の力を解き放つ。
カイルは躊躇わず瓶を開け、霊薬を口に含んだ。
「BLAM」
ミスリルの剣に印を描き地面へと突き刺す。するとエリカの作り出した結界をさらに覆うように光の帳が降りた。
――瞬間、空気が反転した。
圧が変わった。空間そのものがざわめくような音を立てる。
カイルの全身から、かすかに光の粒子が零れる。彼の身体を包んでいた“何か”が、ゆっくりと剥がれ落ちていく。顔には赤い聖痕が浮かび上がる。
「エリカもフィオナもそこから出るなよ?出たら死ぬぞ」
フィオナが見上げたその男の姿は“勇者”の面影が確かにあった。怒りも、悲しみも、悔いもすべて抱えたまま、それでも立ち上がる者の姿。
「例え金等級だったとしてもこいつとは見合わない。白金等級だったとしても…難しいだろうな」
冒険者の等級で言えば勇者と呼ばれる存在は魔銀級に位置づけられる。
それには大きな理由があった。人間の到達点ともいえる肉体強度、更には神からの寵愛までも生まれた時からすでに受け取っているためだった。
「悪かったな。仲間を救ってやれなくて」
どこか寂し気な表情でゆっくりと結界の外へと歩くカイルは二本目の剣を背中から引き抜く。すれ違う際もフィオナは彼に声をかけられなかった。
グリマタルが咆哮をあげた。祭壇が赤黒く光り、無数の死者の魂が嘆き声を上げながら立ち上がる。カイルに向けて再び放たれる漆黒の魔弾。
逃げ場などどこにもなかったはずだったが、カイルには当たらなかった。
カイルの足元の石畳が爆ぜ、音すら置き去りにする速さでカイルは敵の眼前にまで迫る。目では捉えられないほどの速さで赤と黒の刀身が振りぬかれた。
「死霊の王にもこの剣は有効なのか…試させてもらおう」
グリマタルの障壁によって防がれはしたが鎧の一部を切り裂いた刃。骨の体の一部にはひびが入っていた。




