#26
苔むした石段を下ると、空気が変わった。冷たい湿気が肌を撫で、地下から立ち昇る穢れた気配が足元から伝わってくる。
「ここが……」
エリカが呟いた先には、古びた扉が半ば壊れ、地下へ続く広間が口を開けていた。祈りの場であったはずの空間は、今や血と死の気配に満ちている。
カイルは片手を挙げて制止の合図を出すと、音もなく足を踏み入れた。エリカも遅れてそれに続く。
崩れかけた柱、割れた聖像。大理石の床にはまだ温かい血痕が広がり、焦げた匂いが鼻を突いた。中央には血で描かれた魔法陣が描かれていたが、そのほとんどは破壊され、痕跡だけが残っている。
「誰かが……ここで戦った?」
「そうだな。しかも、相当手慣れてる」
カイルが片膝をついて、床に残る戦闘の痕跡をなぞる。斬撃、焼き跡、踏み締められた土。これは偶然ではない。組織的に敵を殲滅した形跡だった。
と、そのとき。
「誰だ!? 」
聖堂の奥から鋭い声とともに、数人の影が現れた。金等級の認識票を下げた冒険者たちが警戒の面持ちでこちらを見つめている。剣士、聖騎士、そして魔法使い。いずれも鍛えられた精鋭の面構えをしている。
床に転がる人影の中には以前カイルが取り逃したネクロマンサーの姿もあった。グールやら原型のとどめていない死体の山の中に。
「報酬に釣られた後続か? 遅かったな、依頼は済んだ」
エリカと同じ神官衣の紋章が刻まれた甲冑を身にまとう聖騎士が肩をすくめた瞬間、後方から一人の少女が現れた。
――齢は十六歳ほど。栗色の髪を揺らし、片眼だけを露出させた隻眼の射手。光の差さぬ地下にもかかわらず、彼女の存在は光を孕んでいた。栗色の髪を高く結い、狩人の軽装に身を包んでいる。背中には手入れの行き届いた長弓。年齢に見合わぬ憂いが宿っていた。
彼女――フィオナは、数歩歩いた先で、息を呑んだように立ち止まった。
「え……カイル……?」
その名が口からこぼれた瞬間、彼女の全身が凍りついたように動かなくなった。
あり得ない。そんなはずはない。何度も夢に見て、何度も諦めた声と姿が、目の前にいた。髪色や瞳の色は以前とは違うが彼女は見間違えなかった。
フィオナは震えるように足を進めた。そして言葉を失ったまま、目の前の男を凝視して固まる。
カイルは何とかごまかす術はないかと思考を巡らせたが諦めたように声を発した。
「久しぶり…大きくなったな」
声は穏やかだった。だが、それは過去の死と別れの果てに存在しないはずの声だった。
フィオナは唇を開き、何かを言おうとしたが言葉が出てこない。まつ毛が揺れ、その瞳に薄く涙が滲んだ。
「こっちよ、フィオナ。奥の通路を見てくれって言われたんでしょ」
仲間の魔法使いが声をかけるが、彼女は首を振った。
「……あたし、先に休憩取る。……少しだけ」
それだけ告げると、彼女はカイルの方へと歩を進めた。まるで他の音が耳に入らないかのように。
「ついて来て。……話がある」
カイルも無言で頷くと、視線だけでエリカに「ここにいろ」と伝えた。彼女は一瞬、何かを言いたげだったが、何も言わずにその場に残る。
そして二人は、壊れた聖堂の裏手、小さな礼拝室跡に足を踏み入れる。そこにはもう、誰もいなかった。




