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#19

 夜の帳が下り、灯りに照らされた「龍のまどろみ」は、いつになく活気に満ちていた。


 木の扉を開けたカイルは、思わず立ち止まる。ざわめきと湯気の混ざった空気。普段は静かな常連客たちも、今宵ばかりは酒と飯の香りに上機嫌で声を張り上げていた。


 ――数日の間に何があった?


 思わずそう問いかけたくなるような賑やかさだった。


「おや、帰ったのかい。今夜はいつもより騒がしいだろう?」


 女将が盆を片手に声をかけてきた。いつものエプロンをまといながらも背筋はしゃんと伸びている。酒場を支える柱のような女だ。


「……何があったんだ?」


 疑問符を浮かべるカイルに、女将は一つ顎をしゃくった。その視線の先にいたのは、奥の調理場で忙しなく鍋を振るう少女だった。

 黒色の髪をきっちりまとめた、まだあどけなさの残る顔立ち。エリカ――数日前から臨時で雇われたという神官の冒険者。ふだんは丁寧な口調であまり前に出てくることのない少女だ。


「今夜の料理、あの子が作ったのさ。香草を使った煮込み料理らしいんだけど、味見してみたら唸っちまったよ。すぐに客用に出して、これさ」


 女将が指す先では、すでに何人もの客が皿を手に笑いながら頬張っている。確かに、普段より香りの立ち方が違う。ふんわりと、だが深みのある香草の香りが鼻をくすぐった。


「ほらほら、こっち座って。今、ルイナが運んでくるよ」


 カウンターの隅に案内され、カイルは腰を下ろした。しばらくして、ルイナが器を運んできた。


「おかえり、カイルさん!熱いので気をつけて」

「……これはまた、すごいな」


目の前に置かれたポトフは、湯気の中に色とりどりの素材を閉じ込めていた。

骨付きの鶏肉は、箸で切れるほど柔らかく煮込まれており、丸ごとのカブやニンジン、玉ねぎもすでにトロトロだ。

それらを包み込むスープは澄んでいながら濃厚で、仕上げに刻まれた緑の香草が瑞々しい彩りを添えていた。


スプーンですくい口に含むと、肉と野菜の甘み、昆布と鶏出汁のようなやさしい旨味、そこに軽やかに乗った香草の清涼感――どこにも尖った味はなく、それでいて忘れがたい風味だった。


「旨い」


 噂は嘘ではなかった。いや、それ以上だ。手間も工夫も、丁寧に積み上げられている。食べる者に寄り添うような優しさがあった。

 ふと、視線を感じて顔を上げると、調理場の奥からエリカがこちらを見ていた。視線が合うと、小さく頭を下げてくる。

 確かに数日前に出合った控えめで、遠慮がちの冒険者の彼女だった。

 カイルは軽く頷き返し、再び皿に目を落とす。


「……冒険者よりも料理人のほうが向いてるんじゃないか」


思わず呟いた言葉に、ルイナが小さく笑みを漏らす。


「皆そう言うの。なんでも、エリカさんの“元の世界”で食べていた料理を再現したんですって」


その言葉に、カイルは一瞬だけ眉を寄せた。そして、ふと気配を感じて顔を上げると、調理場の奥でエリカがこちらを見ていた。視線が合うと、小さく会釈をする。

彼も軽くうなずき、再び皿へ視線を戻した。


やがて、賑わいが一段落した頃。エリカが隣の席にそっと腰を下ろす。蒸気に頬を染め、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべながら。


「……お口に合いましたか?」


「前にも思ったが料理の才能があるな」


だがエリカは、首を横に振って微笑んだ。


「ありがとうございます。でも――私には、ちゃんと目標があるんです。

元の世界に帰ること。それが、私の目的です」


その声音は控えめながらも、揺るぎのない意志を帯びていた。

カイルはその横顔をしばし見つめ、やがて黙って杯を持ち上げた。琥珀色の酒が、柔らかな光に照らされてきらめく。


「……そうか」


それ以上は何も言わず、ただ一口、静かに喉へと流し込んだ。


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