#17
街はずれの朽ちた屋敷。
外から見れば、今にも崩れ落ちそうな荒れ果てた廃墟にすぎない。
だがカイルがその朽ちた扉を押し開けると、古びた錠前に宿された魔力が解かれ、幻影が霧のように消えた。
その向こうに現れたのは、急な石段。地の底へと続く、秘密の入り口だった。
一歩、また一歩と降りていくと、ひんやりとした空気が肌を撫でる。
そして最後の段を踏み下ろすと、視界は一変した。
輝く魔石の光に照らされ、まるで陽光の降り注ぐ庭園が広がっていた。
色とりどりの希少な草花が咲き乱れ、かすかな芳香が辺りを満たしている。
霊薬の素材となるそれらは、どれも一級品ばかりだ。
だがこれがすべて地下だというのだから、驚嘆せずにはいられない。魔石による気候制御と土壌の精製、そして幾重にも重ねられた結界。
これほどの施設を維持できる者は、数えるほどしかいないだろう。
庭園の中央には、鍛冶場と石造りの屋敷が建っている。
屋敷の中には霊薬の調合に使われる精緻な器具の並ぶテーブル、大きな寝台、そして豪奢な浴室までもが備えられていた。
貴族たちが誇る邸宅ですら、ここまでは及ぶまい。
カイルは革の手袋を外すと、慣れた手つきで草花の手入れを始めた。
伸びすぎた蔓を剪定し、枯れ葉を摘み取る。どの花も彼を知っているかのように、優しく風に揺れた。
ひととおり手入れを終えると、棚に並んだワインボトルから一本を選び、グラスと共にテーブルへ置く。
「……さて」
湯舟へと向かう。
壁際の魔法具からは、細い銀の筒を通して澄んだ水が絶え間なく注がれている。
カイルは手慣れた動作で、別の魔道具を水面へと放り込んだ。
魔石を核に組まれたそれは、徐々に湯を温めていく仕組みになっている。
さらに、彼が独自に調合した入浴剤――乾燥させたハーブを混ぜたものを湯に溶かした。
革鎧を脱ぎ、剣を所定の台座に置き、着替えの平服をベッドの上に広げる。
独自に調合した石鹸で体を清め、湯気の立ち上る湯舟に身を沈めた。
一瞬、火照った肌に心地よい抵抗を感じる。
カイルはゆっくりと全身を湯に沈め、瞼を閉じた。
「……これがないとな」
かすれた声で呟き、肩まで湯に浸かる。
頭の中に渦巻いていた任務の疲れや、血と鉄の匂いが徐々に洗い流されていくようだった。
数十分、湯に癒されていると、微かな気配を感じた。
誰かが階段を下りてきている。だが、敵意はない。
体を拭き下着を身に着けた頃、屋敷の扉が静かに開いた。
「……入っていいかしら?」
金色の髪を揺らしながら、ナターシャが顔を覗かせた。
彼女はギルドの制服ではなく、淡い生成りのワンピース姿だった。
まるでこの庭園の花々に溶け込むような装いだ。
「もちろん」
いつもと変わらない様子で答えるカイル。それだけで、ナターシャはにっこりと笑い、扉を閉めてカイルに歩み寄った。
「まったく、随分とほったらかしにしてくれたものね」
カイルを一瞥し手にしたバスケットから、彼女が持ち寄った料理をテーブルに並べる。
ナターシャは不機嫌そうにテーブルに肘をつきながら彼を見つめた。
「最近ずっとほったらかしじゃない?私が休暇をとってまでこうして会いに来なければ、きっと他の女にうつつを抜かしてるんでしょうね」
ため息交じりにそう囁くと、ワインを手に取りグラスへと注ぐ。
「悪かったよ。ナターシャ」
カイルが名前を呼ぶと、彼女は小さく微笑んだ。
対面の席に座るナターシャはギルドで受付嬢をしている時のように張り付けたような笑顔でじっとカイルを見つめていた。
珍しく狼狽えるカイルの様子を面白がっているだけのようにも見える。
しばらくの間、彼女の事を褒めたたえてはみたが効果はなかった。
「どうすれば機嫌を直してくれるんだ?お姫様」
半ばあきらめたかのようにカイルが椅子へもたれかかり天井を見上げた。




