#11
焦げた肉と血の匂いが充満する中、カイルは周囲を慎重に探った。
倒れた樹々や苔に隠れて、かすかな気配を感じ取る。
視線を走らせ、ほどなく一つの倒木の陰に、小さな人影を見つけた。
泥と血に塗れた神官衣。
黒色の長い髪は泥にまみれ、顔は紙のように白い。
少女――十七、八といったところか――は、震える体を必死に縮め、呼吸を殺していた。
両手で口元を押さえ、消え入りそうな声で何かを呟いている。祈りか、それともただの呻きか。
カイルは剣を背に収め、ゆっくりと近づいた。
膝をつき、声をかける。
「……安心しろ。もう大丈夫だ」
少女の肩がびくりと跳ねる。
おそらく、声をかけられたことすら理解できていない。
極限の恐怖に晒された後だ。理屈で体が動くはずがない。
カイルは慎重に手を差し出す。
掌を広げ、敵意のないことを示すように。
少しずつ、少女の瞳に焦点が戻ってきた。
そして、震える指が、おずおずとカイルの手を取る。
触れた瞬間、その手のあまりの冷たさに、カイルは眉をひそめた。
少女を慎重に引き寄せ、立たせる。
彼女の身体は驚くほど軽かった。
肩を貸しながら、カイルは小さな声で問う。
「名前は?」
少女は喉を震わせ、しばらく言葉を出せずにいたが、やがて、掠れるような声で答えた。
「……エリカ……エリカ・キサラギ……です……」
エリカ・キサラギ。
変わった名だとカイルは思ったが、今はそれを問う時ではない。
「わかった、エリカ。ここを離れるぞ」
エリカはかすかに頷いた。
けれど、膝は笑い、立っているのがやっとの様子だった。
カイルは馬を隠した木陰までエリカを連れて戻った。
地面には焦げた葉や折れた枝が散らばり、重苦しい霧がなおも漂っている。
周囲に新たな気配はない。
だが、長居すれば必ず別の脅威に見舞われるだろう。手早く無残な死体から認識票と遺品数点を回収する。遺体を手厚く葬っている時間はなさそうだ。
カイルは馬を引き寄せると、手早く鞍にエリカを乗せ、自らも跨がった。
背中に感じるエリカの小さな手。
頼るように、必死にしがみついてくる。
歩き出した馬の蹄が、霧に沈む大地を静かに叩く。
森は、依然として静まり返っていた。
だが、奥深く、何かが這うような気配があった。
遠く、低い唸り声が風に乗って運ばれてくる。
(……まずいな)
カイルは顔をしかめた。
トロールの血の匂いと叫びに引き寄せられた別の魔物だろう。
時間がない。
「……ごめんなさい……私のせいで……」
震える声が背後から漏れた。
「気にするな。生き延びた。それがすべてだ」
カイルは短く言い切った。
自己憐憫に浸らせる余裕などない。
今は、とにかく生き延びること。
それだけを考えろ――そう、言葉ではなく、態度で伝える。
森路はところどころで崩れ、ぬかるんでいた。
だが、カイルは迷わなかった。
地形を読み、馬を慎重に導く。
森を抜けるまで、あと少し。
霧の中、うっすらと開けた空が見え始める。
エリカはカイルの背中に額を押し付け、呟いた。
「……助けて、くれて……ありがとう……」
カイルは答えなかった。
ただ、手綱を引き締め、さらに馬を急がせる。
背後に、不気味なうねりと、ひきずるような足音が忍び寄ってきている。
(もう少しだ。森さえ抜ければ――)
馬の鼻息が荒くなり、カイルの脇腹を叩く蹄音が早まる。
エリカも必死にしがみついている。
もう、あと一息。
――そして。
木々の切れ間から、差し込む強い光が二人を包み込んだ。
カイルは手綱を引き、馬を森の外へと駆け出させた。
背後から、確かに何かが叫ぶ声が聞こえた。
だが、振り返らなかった。
今、守るべきものは背中にいる。
青空の下、カイルは初めて深く息を吐いた。
「……もう大丈夫だ」
エリカは、かすかに頷き、カイルの背中で気を失った。
小さな身体から伝わる熱は、まだ確かに、そこにあった。




