#10
森路を進むにつれ、空気はますます重苦しくなった。
針葉樹の葉裏に溜まった霧が、白く煙るように漂っている。
腐臭が、濃く、強くなった。
カイルは馬の手綱を絞り、速度を落とす。
森のどこかで、巨体のうねる音がした。木が、軋みを上げる。
いる。
カイルは馬を木陰に隠し、自らはさらに身を低くして進んだ。
剣を逆手に持ち替え、足音を殺す。
開けた一角に、「それ」はいた。
トロール。
人間の三倍はあろうかという巨体。
全身を苔と泥で覆い、腐った肉片のような肌がぶよぶよと揺れている。
鈍く黄色い目が、獲物を探すように辺りを見渡していた。
その周囲には、真新しい数名分の人間の遺体が散乱していた。
――遅かったか。
そう諦めかけた時だった。トロールの足元の人影がかすかに動いた。
血まみれの神官衣。目の前の惨状に意識が朦朧としているのか地面に座り込んで震えたまま動けなくなっていた。
トロールはこちらには気づいていない。
この状況での最善は致命の一撃。
だが、トロールは一筋縄ではいかない。
気取られでもすれば常人は一撃で肉片にされる。
それでも――
カイルは剣を抜き、薄暗い森の中を駆け、トロールの背面を駆けあがる。
――浅い。
背中に突き立てた剣。致命傷には至らなかったが突然の痛みを感じたトロールが怒りの咆哮が森を震わせる。地響きを立てて、巨躯が動く。
背中から振り落とされたカイルに巨人の拳が振り下ろされる。
カイルは身をひねり、地を滑るように回避した。
拳が地面を打ち砕き、土と石が飛び散る。
すかさず、カイルは剣を突き出す。
トロールの腕をかすめ、浅い傷を刻んだ。
だが、トロールは気にも留めない。
上位の魔物は驚異的な再生力を持つ。
浅い傷では止められない。
カイルはトロールの膝裏に回り込み、全力で斬りつけた。
鈍い悲鳴。
巨体が、わずかによろめく。
――今だ。
カイルはトロールの股下に滑り込むようにして背後へと回り込む。
そして、跳んだ。
ミスリルの剣が、先ほど傷つけた箇所に目掛けて突き刺さる。
剣の刀身にカイルが何か記号の様な物を描き、剣から手を離す。
「VALK」
トロールの背に突き立てられた剣が青白い炎を纏い、燃え出した。
トロールは火に弱い。対峙したパーティにも魔術師はいたはずだ。トロールの外皮に軽微な火傷跡があったのがその証拠。深刻なダメージを与えるのには技量が足りなかったのだろう。
火だるまになるトロールが地をのたうち回る。念のためにカイルがもう一振りの剣の柄に手をかけるがついに巨体が動くのを止めた。
カイルは剣を抜き取り、焼け焦げたトロールの死骸を一瞥すると、すぐに周囲へと意識を張り巡らせた。
巨大な魔物の断末魔は、森の住人すべてに響いたはずだ。
他の捕食者が引き寄せられてくる前に、ここを離れなければならない。




