第7話(拐かされる?)
歩きながら、未来の出来事の一部を説明した後、アイルシアがロベールと別れた道先。
その近くに、2人を、特にアイルシアの方を睨みつけながら、様子を窺っている若い女性が居たのだ。
その名は、『ヨーコ・ザークライ』。
ロベールにとって駐屯地近くにある馴染みの飲食店の常連客で、いつの間にか一方的にロベールへ好意を寄せていた人物だ。
「ウソ......あの小娘の方から子爵様にキスを......」
歯ぎしり音が聞こえるぐらいの悔しそうな表情を見せるヨーコ。
「私の子爵様を横取りしようなんて、許せない......絶対思い知らせてやる」
やがて、負の感情を爆発させ、とある計画を練り始めるのだった。
一方のアイルシア。
翌日学校に登校すると、下駄箱に入れていた筈の校内用靴が見当たらない。
「ちっ、ついに嫌がらせが始まったか......」
思わず、海帝の言葉遣いで呟いてしまう。
同じクラスの数人の女子生徒達が、周囲からチヤホヤされ始めたアイルシアに、冷たい視線を浴びせ続けていることは気付いていたが、転生してから半月の間、これと言って何かしてくるということは無かったので、海帝に少し油断が生じてしまったのだ。
『仕方ない、先生に話だけはしておくか......どうせ、何もしてくれないだろうけど』
そう考えながら、ひとまず靴下のまま、それまで履いてきた安物の運動靴を手に持って、教員室に向かう。
途中、すれ違う生徒達の何人かが、靴下姿のまま歩いていることに気付き、
「グドールさん、どうしたの?」
とか、
「アイルシア、学内靴は?」
等と質問されるも、
「ちょっとね、アハハハ」
と誤魔化した返事をしつつ、足早に向かう。
そして、担任の女性教師アキハヤのところに行って状況を説明するも、
「学内用靴が見当たらない? じゃあ、その手に持っている靴の底を洗って履けば良いんじゃなくて?」
と、面倒臭そうな返事をしてきたのだ。
「その許可を頂きたく......」
「だから、イイって言ったじゃない? 聞こえなかったの?」
朝から甲高いキンキン声を上げる担任のアキハヤ。
ヒステリックな感情を高まらせ、最後はかなり大きな声に。
近くの教員達が振り返る程の声量。
それに対してアイルシアは、
「わかりました」
と短く小さな声で答えると、頭を下げて洗い場に向かうのだった。
教員室を出た時、周囲を凝視すると、アイルシアと目が合った瞬間視線を逸らし、急に歩き出すという不自然な動きをする女子生徒2人が目に付く。
「あの子達......私の後を付けてきて様子を見ていたのか〜。 仲間のうちの誰かだな?私の学内靴を隠したのは」
海帝は、直ぐピーンときたが、あえて素知らぬ顔をして、わざと超早足でスタスタ教室に向かう。
その2人の女子生徒は、段々近付いて来るアイルシアの姿に、かなり焦った様子を見せていたが、追い付かれそうになったところで急に進路を変え、近くの女子トイレへ逃げ込んでしまった。
『靴下のままじゃ、トイレはちょっと入れないわね』
ひとまず嫌がらせ返しをし、少し溜飲を下げたので、そのまま教室に入って席に座る。
荷物を置いてから、運動靴の底を洗って戻ると、教室の中のアイルシアの席から一番離れた隅っこの場所で、4人の女子生徒達がヒソヒソ話をしているのに気付いた。
『あの4人のうちの2人は、さっきトイレに逃げ込んだ子達ね......』
そこで、目を閉じて集中力を高め、聞き耳を立ててみると、どう考えても聞こえない距離の筈なのに、4人の会話が聞こえて来たのだ。
「グドールの奴、アキハヤのところに行きやがったのよ」
「嘘、いきなり担任のところに?」
「でも大丈夫。 アキハヤはヒステリックでしょ?」
「そうそう。 逆に半分怒られていたわよ」
「最近調子に乗っているみたいだから、担任にぎゃあぎゃあ言われ、ざまあみろって感じだったわ」
「みんながグドールの味方じゃないって、思い知ったでしょうね」
「イイ気味よ」
「うふふふ」
「ああ、ちょっとスッキリした〜」
直ぐ横で話しているのではないかと、思うぐらいの明瞭な会話内容。
全てを聞くことが出来たことに、アイルシア自身が驚いていた。
『これって、転生者のボーナス能力? それとも、アイルシアに特別な潜在能力が有るってこと?』
そして海帝は、あることを思い出していた。
『そうだった。 アイルシアは魔力『治癒の力』の持主。 元々何らかの素養があったから、エウレア様が治癒の力を分け与えたのかもしれないわね......』
そんなことを考えているうちに、いつの間にか担任が教室に入ってきていたのだった。
『あの4人のグループって、このクラスに2つある陽キャ女子グループの一つよね。 もう一つのグループは、私を仲間に引き込もうと、親しく接してきているけど、あの子達とは一度も会話したことが無いわ』
アイルシアの記憶を辿りながら、海帝は状況を整理する。
その後、どうしてアイルシアを敵視しているのか、その理由も4人の会話から知ることが出来ていた。
4人のうちの中心人物であるカリナ・ジョセフ。
アイルシアを除くと、クラスの中で最も美人な女子生徒の一人だ。
そのカリナには好きな男子生徒が居る。
2年生で一番のイケメンと言われているアキーラ・セーイヅ。
ところがセーイヅは、アイルシアのことを好きで、しかもその告白をアイルシアが秒で断ったことに憤慨した結果、嫌がらせを始めたのだ。
『何、その理由。 私がその先輩と付き合っているのなら、恋敵で恨むのもわかるけど、断ったんだから、カリナにとって逆にチャンスじゃない?』
海帝は、呆れた表情で、4人の方を一瞥する。
すると、視線に気付いたのか、カリナが睨み返して来た。
「いやあ〜、女子高生の考えることって、ようわからん」
自身も女子高生なのに、そんなことを呟くと、近くに居たもう一つの陽キャ女子グループに聞こえたようだ。
「あら、アイルシア。 いま何か呟いた?」
「うん、まあ〜、学内靴、何処にいったのかな〜って思ってね」
適当に話を合わせると、陽キャ女子グループが盛り上がり始める。
「ほんと酷いよね? 美少女の靴を隠すなんて」
「いや、そうじゃないわよ。 もしかしたら......」
「え~、なに〜、もしかしたらって?」
「アイルシアフェチの男子が、持って行っちゃったんじゃないかと思ってさ〜」
「それだったら、きっとその靴の匂い、嗅いでいるのかな?」
「きゃ~、いや〜」
「匂いを嗅ぐだけじゃなくて、アイルシアだと思って舐め回しているかもよ」
「キャ~」
「や〜だ〜、変態じゃん」
失くなったアイルシアの学内靴を巡って、想像を膨らませる陽キャ女子達。
その話を黙って聞きながら、
『今回はあの子達に隠された訳だけど、今後は暴走したマニアが盗む可能性もあるわね。 面倒だけど私物は、鍵付きロッカーに仕舞わないと』
と気付かされる海帝であった。
この日の放課後。
アイルシアは北軍の駐屯地に向かう為、速攻で学校を出る。
高校に近い地下鉄の駅から、ものの数分。
帝都中心部にある台地状の高台が広がる地域。
そこには、大貴族の御屋敷が立ち並んでおり、帝都らしい人工物と自然が調和した風光明媚な超高級住宅街地区の外れに、五公が統治する各小国軍の帝都駐屯地が点在している。
だから北軍の駐屯地は、ナイトー伯爵の大豪邸からも比較的近い場所となる。
いつものように門番の兵士に敬礼してから、トレーニングルームに入ると、ちょうどロベールも着替えて現れた。
「あ......アイルシア、こ、こんにちは」
何だか普段と様子が異なるロベール。
アイルシアは、少し首を傾げながら、
「こんにちは、ロベール様」
と元気に挨拶をし、早速器具を使ってトレーニングを始める。
昨日のこともあり、どうもロベールの様子が気になるので、その方向を時々見詰めながら鍛錬を続けていたが、ロベールは異様にアイルシアのことを意識しているようで、全然身が入っていない。
『はは~ん。 これは昨晩の効果が、強く出過ぎちゃったかな?』
海帝は、内心ほくそ笑みつつも、素知らぬ顔で、
「子爵様。 ストレッチを一緒にしませんか?」
と誘い水を撒いてみる。
「ス、ス、ストレッチ?」
いつもは準備運動等一切しないくせに、急にそんなことを言ってきたので、思わず声が裏返るロベール。
「嫌ですか? 私とでは」
「いや、いや、そんなことは......」
「じゃあ、始めましょう」
アイルシアはロベールの緊張など、完全に無視して、いきなり手を握る。
そして、お互いの体を利用したストレッチを始めるのだった。
「ヤバい。 手のひらが汗で湿っちゃってる」
意識し過ぎの緊張から、汗が異常に出て来る状態になってしまっていることを自覚するロベール。
しかしアイルシアは、そんなこと御構い無しに手を握ったまま、
「ロベール様、私を背中に乗せて下さい」
と次の指示を出してきた。
とりあえず言われた通りにすると、両腕を引っ張られたアイルシアは、ロベールの大きな背中の上で伸びをしたままの状態に。
「暫く、そのままの姿勢で居て下さいね。 気持ち良いので」
アイルシアの要望に素直に従うロベール。
横を向くと、トレーニング室の壁に設置されている大きな鏡に写っている2人の姿に気付く。
だが、ロベールの背中の上で伸びをし続けていることで、アイルシアの体のラインがくっきり見えてしまっていた。
『や、や、む、胸が......それだけではなく、下半身まで』
それ程大きくは無いものの、形の良いアイルシアの両胸の膨らみが薄いシャツ越しで露わになっているだけではなく、ピッチリしたロングパンツを履いていることから、伸びをし続けていることにより、股間の部分の形状までもが、くっきりしていたのだ。
「アイルシア、ちょっとタンマ」
ロベールはそう言うなり、背中からアイルシアを降ろしてしまう。
「ちょっとタンマって、随分古い言い方ですね」
気分が良かったのに、いきなり降ろされ、少し不満そうにツッコミを入れるアイルシア。
ところがロベールは、それに答えることはなく、それどころかアイルシアに背中を向けてしまっている。
正面に回り込もうとするも、そうはさせじと動き回るロベール。
やがて、下半身が落ち着いたようで、
「ふ~」
と安堵の溜息を漏らす。
その様子から、男性特有のアノ反応を隠す為、突然降ろされたのだと分かり、内心笑いを堪えるアイルシア。
「あの〜、ロベール様」
「......」
「私、ロベール様の大きくなったモノの大きさや形、かつて私自身が見て触ったりして全部知ってますよ。 だって、未来で死んだ貴方の転生先が今の私なのですから」
「げっ、そうだった......」
「そんな間柄なのですから、隠そうとする必要はありません」
そこまで言われ、恥ずかしさで顔を覆うロベール。
「うう......もうお嫁に行けない〜」
ちょっとしたジョークを交えて羞恥心を誤魔化そうとするが、アイルシアは
「お嫁ね〜」
と、つまらない冗談に冷たい視線を送る。
「まあ、そのうち関係が進展したら、立派なモノの感触を、このアイルシアの手で確かめて差し上げましょうか?」
とんでもないことを笑顔で宣うアイルシア。
とても15歳の美少女とは思えない姿だ。
「ちょっとは羞恥心っていうものが無いんかい?」
遂に、半ば逆ギレしたロベール。
だが、
「私、中身は約30歳のロベール様ですし。 昨日も言いましたが、私を好きになってもイイですけど、恋しちゃダメですよ。 自己愛主義者で無いのならば」
ニコニコしながらそう答えられてしまい、諦めの境地へ。
『今後、ずっとアイルシアの手のひらで転がされるんだろうなあ〜』
とつくづく感じたのであった。
その後は真面目にトレーニングをする2人。
すると、ロベールが有る重要な出来事を思い出したのだ。
「アイルシアは、司令官、レオニダス様が魔力所持者だと知っているよな?」
「はい。 守護の力ですよね」
「昨日、その力が突然喪われたらしいんだ」
「えっ、本当ですか?」
「うん、本人が僕に秘密厳守と言いつつ話したのだから、間違いないよ」
「突然魔力を喪ったという話は初耳です。 亡くなれば自然と別の適合者の元に移動するのだと聞かされていましたから」
「更に驚きは、エウレア様が新しい魔力を与えてくれたらしいんだよ」
「新しい魔力?」
「え~と、なんだっけ。 あ~そうだ、治療能力とか言ってたな〜」
「治癒の力ですか?......」
「ああ、そうそう、それ。 さすが未来の僕が転生したアイルシアだね」
「......」
「どうした?」
「その力、今後、私に授けられるものの筈なのに......」
「まさか......また未来が変わったってこと?」
黙って頷くアイルシア。
「ちょっと、あまりにも異なり過ぎているから、当惑してしまって......」
その後のアイルシアは、ロベールの話を聞いてから一気に元気が無くなってしまった。
先程まで、年上の男を散々誂っていた姿は完全に影を潜めただけではなく、悲しい表情に。
「大丈夫か?アイルシア」
心配になったロベールが優しい言葉を掛けるも、
「もうバイトに行きます。 また明日......」
とだけ答えると、トレーニングを止めて更衣室に向かってしまう。
数分後。
着替え終えたアイルシアは、相変わらず項垂れたまま。
「送って行こうか?」
あまりの意気消沈ぶりに、再び声を掛けるも、
「トレーニング時間を確保する為、今日からバイトの時間をお店の閉店時間の8時までにしたのです。 ですから仕事で忙しいロベール様に迷惑掛けちゃうので」
そう言い残すと、無理矢理笑顔を作ってから、そのまま帰ってしまった。
『大丈夫かな? アイルシア』
副官としての仕事に戻った後も、ついついそんなことを考えてしまう。
しかし、ロベールに出来ることは何も無い。
レオニダスに相談することも出来ない。
変なタイミングで、真実等を打ち明ければ、益々未来は変わるからだ。
時々、司令官のレオニダスの方を見ながら、
『時間が解決してくれるのを待つしかないな』
という結論を出しただけであった。
アルバイトを終えて帰路に着いたアイルシア。
「気を付けて帰るのよ」
「お疲れ様でした」
店主や他の従業員と挨拶。
閉店作業を少し手伝って、午後8時半頃店を出たが、ショッピングモール内を歩きながら、今日ロベールから聞いたレオニダスの魔力の喪失や新たに与えられた『治癒の力』のことをずっと考えていた。
『まだ転生してからそれ程日数は経っていないのに、私の知っている未来と随分変化が生じてしまっているわ......』
今後の行く末に不安を覚えていたのだ。
『このままだと、エウレア様がシェラス公爵家を継ぐ可能性はだいぶ低くなったと考えるべきね......だとすれば、ナイトー伯爵家の呪縛から私が抜け出すことに関して、エウレア様が行動を起こしてくれることを期待すべきでは無いのかもしれない』
海帝が転生したアイルシアは、ミイカ・ナイトーが14歳の時に犯したルミナ・ゴードの殺害について、当然知っている。
ミイカとその共犯者が大貴族の特権を利用して隠蔽し続けてきた殺人事件。
最終的にはその事実を上手く利用して、呪縛を解く方法を見つけ出すしかないのかなと漠然と考え始めていた。
そしてモールの建物を出て、地下鉄の駅へ向かう為、大きな駐車場を横断していたその時であった。
突然、アイルシアの真横に大型車両が横付けし、急停車したのだ。
『しまった......』
考え事に気を取られ、周囲に対する警戒を怠ってしまっていた海帝。
元、北公国軍司令官レオニダス・ティアナの腹心兼副官であり、シェラス公爵家私兵の騎兵隊長も兼ねていた、元ロベール・ルテスらしくない大きなミスであった。
アイルシアのあとを、少し距離を空けて付けて来ていた男2名が、いきなり駆け寄ってアイルシアの逃げ道を塞ぐと、車両の後部スライドドアが開き、降りて来た男1名がアイルシアの両腕を掴む。
背後から来た男2名は、そのままアイルシアに体当たりし、車両内に押し込もうとする。
アイルシアも必死に抵抗するが......
「きゃあ〜、助けて〜」
アイルシアの断末魔の大声がモールの駐車場内に響き渡り、近くに居た数名の人々がその異変に気付いたものの......
抵抗虚しく、車両に押し込められてしまったアイルシア。
男達は車を急発進させ、そのままモール外へと走り去ってしまうのだった。