第13話(伯爵家において)
「近頃、アイルシアの様子、少し変じゃない?」
「前は、常にオドオドしていたのが、そういう行動が消えたよね?」
「消えたどころじゃないわよ。 ほら、見てご覧なさい?」
ナイトー伯爵家に仕える侍女3人が、少し離れた場所で座っている噂の対象を一瞥。
ナイトー伯爵家の侍女用制服に身を包んでいるその姿は、大きな一人用ソファーに足を組んで座り、携帯型通信端末を熱心に弄っているのだ。
海帝が転生する前迄は、そもそも端末を所有していなかったし、もし持っていたとしても、他人の居る場所でそんな様子を見せることは一切無かったので、余計に注目を浴びていた。
「お嬢様達が不在だからって、気持ちが緩んでいるみたいね」
アイルシアの態度が大きくなった様に見えることで、少し嫌がらせをしようかと、伯爵家に仕える侍女達らしい考えが、その場に居た3人に浮かんだようだ。
「ちょっと、アイルシア」
侍女の一人が近付いて来て声を掛ける。
それに対してアイルシアは、
「何か用ですか?」
と、視線は携帯型端末の画面に向けたまま、面倒くさそうに口だけで返事をしたのだ。
その態度に、カチーンときた侍女達。
「最近伯爵様は不在がちだし、お嬢様方が別邸で長期滞在中という状況だからと言って、張り詰めた緊張感が無くなったようね」
「貴女の身分は、所詮下女なのよ? 生粋の侍女である私達と対等な立場では無いの」
「わかっていないみたいだから、少しお仕置きが必要ね」
口々に批判しながら、座っているアイルシアを取り囲む。
しかし......
今までのアイルシアならば、小さくなって小声で返事をするのが精一杯だった筈だが、
「侍女としての仕事はキチンとこなしています。 今日の業務を終えたから、退勤時間まで自由に過ごしていることに何か問題でも?」
視線を画面から外すことなく反論。
その言い方と言いがかりを付けてきた侍女達を批判する態度に、頭に血が上りやすく瞬間湯沸かし器の侍女が、腕を伸ばしていきなりアイルシアの胸ぐらを掴んだのだ。
しかし、アイルシアは姿勢を変えようとすらしない。
ようやく携帯型端末を脇に置き、イチャモンを付ける侍女達の方を睨んだが、これは端末を壊されないようにする為であった。
「貴女達よりも、私の方が熱心に仕事をしていますよ。 伯爵様達の不在をイイことにサボっているのは私ではなく、貴女達では?」
流石に頭にきた海帝。
堂々と反撃を開始。
すると、侍女達がアイルシアに制裁を加えようと、示し合わせてから一斉に実力行使のビンタを試みるが......
全く当たらず、ビンタが空を切って、勢い余って姿勢が崩れてしまう。
そこをアイルシアが右腕で、侍女達の体を軽く捌きながら下方に押し込むと、3人は無様に転び、床上に倒れたのだった。
「痛〜」
「何するのよ」
「巫山戯んじゃ無いわよ」
3人の侍女達は、それぞれの反応の仕方で、アイルシアに文句を言ったが、
「貴女達が勝手に転んだだけでしょ?」
と事実を言われ、更に怒りが増す。
立ち上がると3人が嵩にかかって、再びアイルシアを攻撃しようとするが......
絶対に逃げられないよう、3人同時で目の前に居る筈のアイルシアの髪や服を掴んでから引き摺り倒そうとしたが、再び両手が空を切る。
再びバランスが大きく崩れたところを、アイルシアに背中を押され、3人は次々と床上に転ばされてしまうのだった。
「どうなっているの?」
3人は激しく動揺。
アイルシアを掴もうと手に力を込めた瞬間、アイルシアの体が消滅してしまうのだ。
そして気付くと、背後にアイルシアが立っており、チョイと押されただけで、制圧される。
再び気を取り直して立ち上がった侍女3人。
3度目の攻撃の際には、アイルシアから強い反撃を受けたことで、体を激しく床に打ち付けてしまい、痛みで動けなくなる。
その様子を見て、
『もう懲りただろう』
と判断したアイルシアは再び椅子に座り直すと、携帯型端末弄りを再開。
そして3人に向かって、
「これ以上、痛い目に遭いたくなかったら、イジメなんていうくだらないことは止めることね」
と言い放つ。
「行こう」
一人が痛みを堪えて立ち上がると、3人は悔しさ一杯の表情で暫くの間睨みつけたが、やがてアイルシアの前から姿を消したのであった。
『どうだ。 我の力は』
アンドロメダの涙が、アイルシアに自慢気な感じで問い掛ける。
「結構便利なモノね。 命中する瞬間に時間を止め、2秒過去に戻って、その時3歩移動するだけで、相手の攻撃を全て躱せるって」
少し感謝を込めた返事をする。
侍女達の攻撃が全て空振りに終わったカラクリは、『涙』の能力のお蔭であった。
『そうだろう、そうであろう』
満足そうな『涙』。
『今後は、誰かがアイルシアに危害を加えようとしても、我が必ず時間を止めて適宜巻き戻してやるから、それを上手く利用してくれ。 アイルシアが物理的に傷付けば、我にも痛みが走る。 一心同体ということなのだよ』
そう言い残すと、存在感が消滅する。
「ほんと、不思議な生体兵器ね。 『涙』さんって」
独り言を呟くと、侍女としての終業時間が来るまで、携帯型通信用端末を弄って、時間を潰すのだった。
やがて、アイルシアの行動変化とこの日の不思議な出来事が、ナイトー伯爵家の執事や侍女達に知れ渡る。
そして執事と侍女達は、
『アイルシアが魔力を得たのではないか?』
と噂し、恐れ憚るような態度を見せるようになっていた。
この世界の人々にとって、魔力とは、
【不可思議かつ畏怖の念を抱く力】
というものであったからだ。
しかも、特に伯爵家で長く勤めている執事や侍女は、子供の頃のアイルシアに対するイジメや折檻に加担した心当たりの有る者が大半という状況であり、魔力を得たアイルシアが報復するのではないかと、考え始めていたのだ。
「アシナ様」
「なんだ?」
「少し、お耳に入れておきたいことがありまして......」
アイルシアにコテンパンにされた3人の侍女達が流した噂に、尾鰭歯鰭が加わったことで、長年アイルシアへの酷いイジメをしてきたマイカ付きの侍女であるラーラとメグが恐怖に駆られてしまい、アイルシアの行動の変化のことを筆頭執事のアシナに説明して、報復を避けようと画策を始めていたのだ。
「実はアイルシアのことなのです」
「色々と噂も流れていることは聞いているが......特にマイカお嬢様付きの者達にとっては、戦々恐々といったところかな?」
アシナは冷たい視線を2人の侍女に浴びせる。
幼いアイルシアが大怪我をして以降、イジメは止めるようにと筆頭執事として何回か注意したにも関わらず、それを止めなかった愚かさを嘲笑う気持ちが強かったのだ。
「アシナ様の配慮に従いきれなかったことを、今更ながら反省しております」
殊勝な態度で、一応の謝罪をして見せ、アシナの協力を引き出そうとする侍女達。
「それで、耳に入れておきたいこととは?」
「アイルシアが魔力所持者ではないかという疑念です」
そして侍女達は、最近アイルシアの周辺で起きていることを大幅に誇張して説明をする。
今まで、少しイジりを入れても反撃されるようなことは一切無かったが、最近はちょっとしたことで有っても、常に激しい攻撃姿勢を取られてしまうことや、中には過剰な反撃を受けて怪我人も出ていること等々を、だ。
「イジり? イジメとか嫌がらせの言い間違いだろ?」
大体の事実を知っているアシナは、ラーラとメグの言い訳を呆れた表情で聞き流していたが、先日、アイルシアがアルバイト就業への許可を求めてきたことを思い出し、
『確かに少しは変化が有るのかもな』
と改めて考えていた。
「それで、どうして欲しいというのだ?」
「もし、本当に魔力所持者で有れば、怖くて一緒に働けません」
「報復されるのが怖いからか?」
アシナの直球な言い方に、渋々頷く侍女達。
「今までお前達がアイルシアにしてきた数々の暴力、私が知らないとでも思っているのか?」
「いえ、いや......」
侍女達は、アシナの露骨な冷たい態度の理由を知り、冷や汗をダラダラと流し始める。
伯爵家中の秩序を乱す不良侍女だと、アシナが前々から考えていることに気付かされたからだ。
そのため、焦った表情を浮かべながら、暫く黙り込んでいたが、
「当家の内部で子供への虐待が頻繁に有るらしいという噂が他家の間で流布する度に、その尻拭いを私がしてきたのだぞ?」
益々険しい表情に変わるアシナ。
「今まで、本当に申し訳ございませんでした」
そこまで言われたことで、ようやく深々と頭を下げる侍女達であった。
「魔力調査官に正式な要請をし、その鑑定結果が必要だろうな。 アイルシアが魔力所持者なので、侍女の仕事から外すようにと伯爵様にお願いするには」
「魔力調査官?」
初めて聞く言葉に、きょとんとする侍女達。
「今、それが誰だか知っているか?」
首を振る侍女達。
「シェラス公爵の末娘、エウレアお嬢様だよ」
突然、アシナの口から筆頭公爵家の名前が出て来たので、慌てふためいて恐縮してしまう。
「そんな......雲の上のような存在の方への依頼が必要だなんて、全く知りませんでした。 誠に申し訳ありません。 この話は忘れて頂ければ......」
侍女達は慌てて前言撤回を申し入れるが......
「私の耳に入るくらいにまで、家中での噂になっている以上、更に噂が大きくなる前に白黒付けねばならないしな」
「......」
軽挙妄動を反省し始めた侍女達であったが、時すでに遅し。
「百万以上掛かる見込みの調査依頼費用については、お前達の毎月の俸給から差し引くから。 もちろん、アイルシアが魔力所持者で無かった場合の話だが」
アシナのその言葉に絶望するマイカ付きの侍女達。
彼女等にとって、給料を減らされることが一番のお灸であったからだ。
「それとも、伯爵様に費用負担お願いするか?」
首を振る侍女達。
大富豪にも関わらず、臣下に対しては相当ケチで有名な当主のミイカなので、そんなことをさせたら、退職金も貰えず直ぐクビになるだろうことは、容易に想像出来るからだ。
「一つ、教えておいてやろう」
「はい」
「現在、帝國における魔力所持者は5人程と言われている。 そのうち3人は神聖大海教の最高幹部だということを」
「げっ」
侍女達は思わず変な声で反応をしてしまう。
巷の噂よりも、実際の魔力所持者が圧倒的に少ないことを初めて知ったのだ。
「まあ、そういう反応をしたということは、分かったみたいだな?」
「......はい」
「アイルシアが魔力所持者で有る可能性は、ほぼゼロってことだよ」
アシナの言葉に、ガックリ項垂れる侍女達。
妄言と言えるようなことを筆頭執事のアシナにお願いしてしまったことで、調査官を要請する関係費用を負担しなければならないという最悪な結果が残るだけだろうと理解したのであった。
調査費用の出処に目途が付いたので、その日の夜、アシナはアイルシアを呼び出した。
「アシナ様。 何か御用でしょうか?」
筆頭執事の部屋で待っていたアシナの様子で、何か問題が発生したことに直ぐ気付くアイルシア。
そこで、あえて自分から質問してみたのだ。
「侍女達の一部から、お前が魔力所持者だという申し立てが出されている」
アシナの言葉に、
『その件か〜』
予想外の答えに、少し面食らったアイルシア。
「私は魔力所持者ではありません」
取り敢えず否定してみると、
「私もそう考えているが、万が一貴族の家中に魔力所持者が居た場合には、速やかに報告する義務が有ってな」
と、アシナは貴族間で守らねばならない一定のルールの存在を仄めかしたのだ。
「報告ですか?」
「帝國政府の上層部はもちろんのこと、他にも報告先が......まあ、そんなことお前に関係無いから、余計な説明は止めておこう」
「なるほど」
「これを怠ると、最悪の場合、伯爵様が懲罰を喰らう可能性も有るのだ」
「......」
思わず黙り込むアイルシア。
本音は、
『懲罰を喰らってしまえば良いのに』
というものだからに他ならない。
「そこでだ。 魔力調査官に依頼することとなった」
「魔力調査官?」
「現在は、エウレア・シェラスお嬢様が唯一の調査官だ」
「はあ」
「要請をしたら、明後日の土曜日なら構わないという回答だった。 時間を空けておくように」
アシナは用件を簡単に説明し終えると、戻るよう指示したのだった。
部屋に戻って海帝は考え込む。
過去のアイルシアに転生した、その意味について。
きっと前世の、若くして亡くなったロベール・ルテスの人生では、
『何かがダメだという結末が存在したこと』
により、誰かの意思で転生させられたのだろうと、予測していた。
『それは誰の意思?』
もちろん当初は、大魔女エウレア・シェラスだと考えていた。
振り返ってみると、海帝が転生後直ぐにアイルシアは、特別な力を手に入れている。
前世の時よりも、魔力はより早く、更に『アンドロメダの涙』を称する、最強クラスの能力までをもだ。
しかもエウレアは、前世の時と異なり、シェラス公爵家内におけるクーデターを起こす準備を全く進めていない。
ということから、前世で失敗した最大のポイントは、エウレアとアイルシアの関係に有ったと考えるべきであろう。
前世においてエウレアは、強大な権力を手に入れてから、アイルシアを救い出し、純粋無垢なアイルシアを従属的な立場に置いて魔力を用いて染め上げ、自身の縮小再生版のような人物に創り上げた。
しかし、海帝が転生後のアイルシアは、明らかに自立した女性となるべく、前世とは全く異なる新しい道を歩み出している。
このまま行けば、ロベールと海帝の意思が入り込んだアイルシアは、エウレア・シェラスと対等な関係を築くことも可能だし、場合によっては、敵対する可能性も出てくる程の存在になるであろう......
そういう状況から、ロベールの人生を経験した海帝を再度転生させたのは、アンドロメダの涙なのか?
それとも、エリシア・グドールの遺志によるもの?
転生先の人物がアイルシアである以上、両者が関わっているのは間違いなさそうであるが......
考えを纏めた上で、エウレアによる魔力調査を受けるべきか、それとも思い切って伯爵家を逐電するという行動に出て、現時点でのエウレアとの接触を避けるべきか、未来への大きな岐路に立ったところで、二者択一の結論を海帝は出さざるを得ない。
この段階でエウレアとアイルシアが遭遇してしまえば、前世とは全く異なる人生を2人は歩むことになるのは決定的。
エウレアの魔力に唯一対抗出来る能力を持つ存在がアイルシアだからだ。
対抗というよりは、圧倒してしまう可能性さえある。
魔力を兵器として開発する程の高度な文明を有していたこの惑星の古代人達は、生体兵器『アンドロメダの涙』の力と、涙が操る魔核エネルギーを持ち込んだ異星人の超テクノロジーの前に一敗地にまみれ、ほぼ滅亡したのだから、既にアイルシアの能力は大魔女エウレアを上回っていると判断すべきであった。
2日後。
アイルシアは、緊張の面持ちで立っている。
「はじめまして。 貴女がアイルシア・グドールさん? そうだったわ、初めてでは無いのよ、私達って」
前世で海帝が憧れた、いや、実ることの無い恋心を抱いていた人物が目の前に立っている。
エウレア・シェラス。
彼女の命を護る為、死んだことに悔いは皆無だったロベールと海帝。
改めて当人を目の前にしても、悔悟の念は一切生じない。
『やはり僕は、エウレア様を愛していたのだな』
そう痛感している。
そして、らしくない緊張の波に襲われていた。
筆頭公爵家の末娘というだけの存在でしかない、この時点でのエウレア。
恐らく人柄を大きく変えることになったであろう、粛清という名の大虐殺を行う状況にはまだ無いエウレア。
そのため、笑顔で立つその表情は、ロベールと海帝が知るエウレアと比べて、より柔和で暖かさが混じっている様な気がしたのであった......