第99話 真宵アリスの育て方②_side雨宮ひかり
第2巻の発売日が近づいているのでしばらくの間、後書きに宣伝を入れています。
少しばかりお付き合いください。
祈りを捧げるかのように響き渡る高音。
あと少しで祈りは届き、祝福が得られる。
そう思われたとき耳障りな電子ノイズが走る。
そして旋律が崩壊した。
オペラが崩壊したあとに始まるのは軍歌。
歌詞は勇ましく苛烈だ。
それなのに音が軽い。曲に重さがない。高音の歌声も感情を宿していない。ミスマッチだ。
歌声は綺麗なのに、苛烈な歌詞が空虚に流れていき頭に残らない。
そのせいで現実感が失われていく。
だが曲は進むにつれて激しくなる。声の厚みが増す。ようやく人の歌声に聞こえてくる。
そしてサビ。同じ高音域の歌声でここまで違うのか感情が溢れてくる。
(これは……作曲家が凄いの? それとも歌えるアリスさんが凄い? わからない。でも私の歌ではこの世界感を作り出せない。……悔しい)
最初のオペラは十秒にも満たないだろう。
厳かな祈りと崩壊。
思わず聞き入ってしまう歌声を引き金にして、聞く人を一気に異世界に飲み込む曲だ。
曲の世界観。作品の世界観。見事に表現している。ストーリーに寄り添った歌詞ではない。
それなのにイリアとプレシア教官の関係を想起させる。歌の中でプレシア教官は死んだ。イリアの感情が漏れ溢れた。そんなイメージを思い起こさせた。
アニメのオープニングソングは作品の顔となる。
キービジュアルと並んで、作品の世界観とテーマを体現する役割がある。
故に主題歌と呼ばれるのだ。
この曲なら話題になるだろう。
そんな確信を胸に抱きながら項垂れた。
「どうしてオペラ……?」
「アニソンあるあるらしいです。アニメのオープニングは最初のわずか数秒の掴みが重要。その数音で作品の世界観に引き込まないといけない。冒険やバトルモノならばサビのような疾走感から始まる。日常系ならばキャラクター性を強調するためのキャラクターソング。異世界モノや独特な世界観のある作品では、宗教色を加えたクラシックやオペラを冒頭に持ってくるなど、色々と研究されているみたいです。他にも冒頭でわざと不気味な音やガラスの破砕音で曲を崩壊させて、インパクトを強める手法が昔からあるとか」
「へぇーアニソンってそんな考えられて作られているんだ。……ってそうじゃない! どうしてアリスさんはオペラまで歌えるの?」
「月海先生の指導の賜物です。指導方法がかなり特殊だったみたいで」
「特殊な指導方法?」
「詰め込み教育です。アリスさんは流行曲の他にはアニソンやボカロ曲ぐらいしか聞かなかった。そこにクラシック音楽を先頭にオペラやゴスペルや讃美歌などをまず詰め込み。そのあとは懐かしのロックやソウルやシティポップ。そしてリズムアンドブルースやヒップホップなど。海外でも本当に評価の高い楽曲ばかりをアリスさんは何百曲と聞かされたみたいで」
「まさか聞いただけ全部覚えたの!?」
「いえ。一割ぐらいしか再現できなかったみたいです。『……私ダメダメ』と落ち込んでいた時期もありました」
「さすがにそうよね。いや……一割でも再現できるのが凄いけど」
歌は先天的な資質に左右されるところが大きい。
どれだけ頑張っても声質の問題で上手く歌えない曲はあるはずだ。
聞いた歌を全て再現することなどできるはずがない。
「月海先生も再現させるためではなく、アリスさんに弱点を自覚させるために詰め込んだみたいです」
「アリスさんの弱点?」
「私も教えてもらっただけですけど。本当に歌が上手い人と上手く歌えているはずなのにイマイチな人の違いをひかりさんはわかりますか?」
「技術的な話や表現力の問題……ではないのよね?」
「歌唱技術の話ではないですね。単純に声量の大きさらしいですよ。よく言われる腹の底から声を出せという奴です」
「腹式呼吸のことよね。それだけなの……?」
説明されても納得がいかない。
確かに声量は重要な要素だ。けれど、それだけで上手く聞こえるならば某国民的アニメの空地リサイタルは喝采の嵐のはずである。
「声楽と一般では、腹の底から声を出せの意味の捉え方から違うみたいです。腹式呼吸はただの基本。月海先生は声楽をわざと声工学と言い換えてました」
「声工学?」
「自分の身体を楽器に見立てるんです。胴体に詰まっている内臓全てを音の出力を司るエンジンに見立てる。エンジンが出来上がっていれば声量を大きくなり、安定し、音に厚みが出る。それが腹の底から声を出すことだと」
「全然単純じゃない! 身体を作り変える必要があるじゃない!」
「ですね。一般的な歌唱技術などはただの演奏技術。身体が楽器として完成しているかは考慮されていない。演奏技術ばかり磨いても肝心の楽器が未完成では、音が弱くて安定しない。上手く聞こえるはずがない。それが音程が取れているのに歌が上手く聞こえない人の特徴らしいです」
「理屈はわかる。舞台役者に歌が上手い人が多いのと同じ理由ね。舞台で映えるためには劇場全体に声を響かせなければいけない。全ての台詞が明瞭に聞こえるようにしなければいけない。そのためには声量と厚みと声の安定性が必要。だから身体を鍛える。意図したわけじゃないけど身体が楽器としてできあがっているから、どんな曲を歌っても上手く聞こえると」
「声優や舞台に立つことが多いお笑い芸人さんに、歌が上手い人が多いのも同じ理由ですね。残念ながらボイストレーニングを受ける前のアリスさんは演奏技術は高くても楽器として未完成でした。引きこもりでしたから。マイクの前で直に歌う配信では上手く聞こえても歌手とは呼べない。そのことを突き付けるために世界トップレベルの楽曲を頭に詰め込んで『なぜ再現できないか』を徹底的に教え込んだと」
「……えげつない」
「そして再現するために必要なことを理論的に教え込む。どう身体を作り変えれば再現できるようになるかを指導する。真宵アリスという楽器の完成を目的に掲げてボイストレーニングが行われているようです」
「話には聞いたことがあったけど、月海先生は凄い指導者なのね」
「ですね。それについていくことができるアリスさんも凄いです。私も簡単なボイストレーニングは受けたことありますけど、本格的な指導について行ける気がしません」
足るを知るという言葉がある。
不満ばかりに目を向けず、必要なもので今を満足して心を豊かにする考え方だ。
けれど人間が成長するためには『足らないを知る』ことが重要だ。
目的を為すにはどうすればいいか。
目的を為すために具体的な目標を掲げるのだ。
目標を一つ一つ満たしていくことで目的が達成される。
では目標とはなにか。
目的を為すために必要なことだ。
今の自分に足りないことを克服することが目標となる。無数にある欠点を一つ一つを理解させる。その欠点克服を目標とし、達成できるように指導する。そうして目的を達成するための道筋を作る。
それができる人を良き指導者と言うのだろう。
「まあ月海先生もアリスさんの成長は予想外のことが多いみたいです。冗談でオペラに挑戦させてみたら、割と歌えたから採用したとか」
「冗談だった!?」
「実はアリスさんも本格的なオペラの一曲を歌い切ることはまだ不可能です。歌っている途中で力尽きると。それでも曲の冒頭で少し歌うぐらいならば、可能だったので採用されたとか。楽器『真宵アリス』の完成の道のりはまだまだ遠いと言ってました」
「完成品が恐ろしいことになりそうね……。一体どこを目指しているんだろう」
「さすがアリスさんです。伸びしろしかありません」
私が圧倒された歌の技量は本人からするとまだまだらしい。
努力することに終わりはない。
思えば最近の私は成果と実績を求め過ぎている気がする。
一度自分に足りない物を見直した方がいいのかもしれない。
アニメを見る行為一つでも突き詰めれば演技力が上達する。演技力だけではない。色々な物語に触れることで理解が広がる。演技の構成に役立つ。見聞を広めることも重要だ。
自分も変われるかもしれない。新たな自分に出会えるかもしれない。
すぐ目の前に変貌を遂げた桜色セツナがいるのだから。
「さてエンディング曲もありますけど……聞きます?」
「聞く! 絶対聞く! エンディングも用意していたんだ!?」
「エンディングはリズムアンドブルースです。廃墟の街並みを少女が一人高い建物から見下ろしているイメージだとか」
「今度はリズムアンドブルース。また多芸な」
「こちらはアリスさんの特技が爆発してます」
「アリスさんの特技?」
「実はボイストレーニングを受ける前から、アリスさんにはどんな曲もボーカロイドっぽく歌うことができるという謎の特技がありまして」
「どんな特技よ……機械音声っぽく聞こえるってこと?」
「肉声かボーカロイドか判断つかないギリギリのラインで歌い上げて、聞いている人が違和感を覚える歌声です」
「……本当に謎の特技すぎる」
「哀愁漂うリズムアンドブルース。それなのに聞いているとなんかボーカロイドっぽい。絶妙な出来です。指導している月海先生も作詞作曲を担当した氷下天使先生も聞いていて爆笑したとか。冗談でアリスさんにやらせてみたつもりだった。でもこっちの方が現実感が喪失した雰囲気が出ていたので採用したとか」
「哀愁漂う曲でなにしてるの!?」
よくわからないけど心が躍った。
曲への興味は尽きないが、同時に全く別のことも考えていた。
私はこんな風に桜色セツナと同じ音楽を聞き合う日が来るとは思ってなかったのだ。
幼馴染でライバル。
友達なのかは微妙だが、普通の友達よりも意識してしまう特別な存在であることは疑いない。
芸能界から姿を消しつつあるときも、氷室さくらがなにをしているのか追っていた。
現在ライバルと意識しているのは真宵アリスの方だ。
桜色セツナとは同じ困難に立ち向かう仲間意識の方が強い。
氷室さくらは転生した。
桜色セツナに生まれ変わった。関係性も変わった。和気あいあいと言葉のキャッチボールをする仲ではなかった。
ずっとライバルでいたかった。
こんな友達のように接することは望んでいなかった。
当時はライバル意識が強すぎて考えたことがなかった。
相手にしてくれないことを恨んだこともあった。
でも今この場のバカみたいなやり取りが悪くないから困る。
やはり私の中で氷室さくらと桜色セツナは特別な存在だ。
今更『私たち友達だよね』なんて確認する気はない。
戦友。
同じ道で切磋琢磨する関係にはなれなかったが、かけがえのない時間を共に過ごした。
そんな表現が今作の役であるイリアとティナの関係性に似ていて、私の中でしっくりきた。
私の初主演アニメは色々な意味で心に残ることになる。
そんな確信がいつの間にか芽生えている。
こんなに楽しいお仕事は久しぶりだ。
本日はここまで。
また明日の朝7時頃に投稿します。
2024/7/17に本作『引きこもりVTuberは伝えたい』第2巻の発売です。
https://kimirano.jp/special/news/dengekinoshinbungei202407/
お願いします買ってください。
内容はweb版第2章に大幅な加筆修正と新規シーンや感動のエピローグなども新規で書き下ろした完全版です。




