第96話 塗り替えられていく収録現場③_side雨宮ひかり
「先に言っておこう。俺達から資料を渡して指導したなどということはない。スタジオに来たときには真宵アリス君はすでに収録ブースの中にいた。台本も絵コンテもなにもない。マイク一つで演技を始めたんだ。アリス劇場の幕開け。俺達はただ収録機材を動かしながらショーを観覧しただけだ」
「そうですか」
石館監督は興奮を隠しきれない様子で満面の笑みを浮かべている。
さぞ見ごたえがあるショーだったのだろう。
配信でなら聞いたことがある。
私も生で見てみたい。
深呼吸をする。拳をギュッと握りしめて、ゆっくりと指を広げる。
緊張と緩和。
私はいつでも冷静になれる。
感情をコントロールできる。
私も真宵アリスのようにアニメに一話を一人全役で演じることができるか考えたことがある。
答えは『練習期間があれば可能』。
ただし完成したアニメであれば。
まだ制作されていないアニメの一話をアニメーションどころか絵コンテもタイムキーパーもなしに台本を覚えて一人で全役を演じる。
なんて面白そうなのだろう!
一度やってみるべきだ。必ず演技の練習になる。
けれど練習になるだけだ。
私が行っても監督達を満足させるだけのショーとして成り立たないだろう。
完成品と呼ばせる自信はない。
真宵アリスはそれをやった。
悔しくないと言えば嘘になる。
でも今は関係ない。思う存分学ばせてもらう。石館監督は完成品と称賛した。
本番では今から聞く真宵アリスの演技を超えろという意図だろう。
無意味な意地や見栄で学ぶ機会を失っている場合ではない。
まずは真宵アリスの演技を聞く。
なにを思っているのか。なにを伝えたいのか。なぜその演技をするのか。
全てを吸収して、自分の演技に昇華させることが求められている。
だから息遣いも小さくする。
心音さえも微かにする。
全てを耳に集中させて、ヘッドフォンを装着した。
「始めてください」
「ではスタート」
竹本制作進行の声が遠くに聞こえた。
そしてアリス劇場が流れ出す。
『ここが私達が所属する予定の第八訓練小隊の宿舎! 歴史を感じさせるこの外観! 都市の郊外にある山の中。繁華街からかけ離れた僻地。ようやくたどり着いた秘境の地!』
『簡潔に言うと?』
『……廃墟じゃん』
空元気なイリアの声。冷静に疲れ切ったティナとの掛け合い。そして一言の落差。
私の声ではない真宵アリスが演じるイリアの声だ。
違和感はない。
演技が上手い。私よりも声が高かった。キャラクター性よりも勢いがある。少し前のめりな演技だ。
ティナの声も違和感がない。
言われなければ同じ人間が演じていると思わないほどに演じ分けられている。
(やっぱりアリスさんは演じ分けるのが上手い)
気になっていた点が改良されている。
真宵アリスが演じるイリアは全体的に勢いがある。
私が顔合わせの日にやったときよりも切れがいい。
これは私も考えていた。『先にやられた』とは思わない。真宵アリスも石館監督も同じ答えに行きついていた証明だ。答え合わせで正解だっただけ。
顔合わせの日のあとも私もずっと演技について考えていた。
台本だけではわからない。現場に触れて初めてわかることも多いのだ。
得られたものがあるならば演技に反映させなければいけない。
(顔合わせの日の前にはキービジュアルは発表されていた。絵コンテを見たとき、すぐに演技に反映させられなかった私が未熟だっただけ)
改めてキービジュアルを見たときキャラクターの瞳がとても綺麗なのが印象的だった。
目は口程に物を言う。
今時のアニメは瞳がとても綺麗だ。光彩まで細かく書き込まれている。輝いている。珍しくはない。
アニメでは原作よりも瞳の輝きが強調されることが多い。
瞳と髪色と髪型と表情。それでキャラクターの全てを表現する。
特に魔法のある世界観では髪色と瞳は属性さえも表す。
イリアは金髪だが瞳は紅い。
炎属性を表している。
瞳にそれだけの力を入れている。
(そして絵コンテでは顔のアップのシーンが多かった)
顔のアップが入るとメリハリを作るためにアニメーション全体の動きも早くなる。
勢いがつくことが多い。
普通の明るく前向きな演技では絵に負けてしまう。
アニメーションの勢いと瞳の輝きに合わせて演技も強く前に出なくてはいけない。
だから本番ではもっと勢いのある演技をしようと考えていた。
(それにしてもセツナは真宵アリス演じるティナを超えられるの?)
変わっているのはイリアだけではない。
ティナも桜色セツナの演技とは異なっている。
全体的にオドオドして可愛らしいのは変わらない。
けれど、相対する人によって微妙に態度を変えているのだ。
イリアにはハッキリと主張することが多い。
心を許している証だ。
あまり親しくない友好的な相手にはオドオドが全面に出て、少し早口になる。
対照的に敵対的な相手の前では存在感から薄い。小声でしか喋らない。怯えよりも警戒心が勝っているためだ。気弱でか弱い印象とは裏腹に芯の強さが出ている。
キャラクターへの深い理解度が演技を細部まで研ぎ澄ましている。
演技にメリハリがあり、可愛らしさにわざとらしさがなかった。
真宵アリス本人とイリアのイメージの相性が良すぎる。
(セツナだけじゃない。真宵アリスの演技を合格ラインとしたら単純な演技力の問題ではない。演者同士のコミュニケーションが重要になる)
他の登場人物も台本をただ演じるだけではない。
アニメーションの質を考慮しながら、キャラクターの内面や関係性が深く掘り下げている。
なにより一人全役の恩恵か。
全てに調和がある。
なにを思って相手に伝えるのか。相手の台詞に対してなにを思うのか。どれくらいの声の強さで返すのか。演じ分けも凄いが会話の応酬に単調さがない。間の取り方や詰め方が絶妙だ。全体的な雰囲気作りが深いのだ。
もちろん問題がないわけではない。
成人男性の低い声に関しては対応できていないため、全体的に声が軽くなってしまっている。
声質の限界だ。
それを考慮しても演技の見本とすればこれ以上ない。
監督の言った『完成品』の意味が少しわかった。
全キャストに聞かせようとする意図も理解した。
細かい指示を出さずとも『この通りに演じろ』と言うだけで、やりたい演出は伝わるだろう。
(役者のプライドを貶していることを考えなければ……だけどね)
『これを見本にして言われた通りにだけやれ』
そう聞かせられれば反発しか生まないだろう。
役者の個の演技に期待していないと言われたも同然だ。
反発してオリジナリティを加えて、監督の叱責が飛ぶ光景が容易に想像できた。
現場の空気もギスギスするに違いない。
真宵アリスはどの役も上手い。
キャラクター性と世界観と関係性から理論的に組み立てられていて無駄がない。
会話の空気感などはわずかなニュアンスで狂う。
余計な脚色や誇張が邪魔になる。
オリジナリティを挟む余地があまりない。
そんな真宵アリスの演技と比べられるのはかなりのプレッシャーだろう。
『嫌なら降りてもいいぞ。代わりはいるから』と提示されれば本当に降りる人もいるかもしれない。
……心を折られて。
ここまででまだ前半パート。
もうそろそろ第一話の後半だ。
顔合わせの日にリテイクがかかった問題のプレシア教官登場のシーン。
私からすればここからが本番と言える。
一人全役の環境で真宵アリスはどう演じたのだろうか。
「え?」
声が漏れた。
正確にはまだプレシア教官は登場していない。
まだイリアとティナのシーンだ。
わずかなブレス音。
ティナの声も少し上ずっている。
プレシア教官が登場する前から演技が変わり始めている。
こんな演出を私は知らない。
プレシア教官との初対面。
怒り心頭のイリアが気だるげでやる気のない様子のプレシア教官に噛みつく展開だったはずだ。
なぜこんなにも緊張感があるのだろう。
原作小説にこのような描写はなかった。
そもそも原作序盤ではイリアとプレシア教官が対立する描写が少ないのだ。
確かに緊張はしていた気はするが。
対して漫画版には緊張感なんてなかった。
あったのは姿を現さず何日も放置された怒りだ。
落ちこぼれ小隊だからって扱いが酷いと憤慨しているシーン。
最悪の出会い方。
ここから大人である教官と反発する子供のイリアは何度もぶつかりあう。
王道展開を経て二人は師弟になるのだ。
けれど真宵アリスの演技は違った。
『はぁ……今年の新人はやる気あるね。ならとりあえずギア装着してグラウンド走ってこい』
最初から反発を許していない。
気だるげだったはずの台詞は怒りと覇気に満ちている。
声の質が全く違う。
厚くて重さがある。
顔合わせの日の低いハスキーな声にも驚いたが、今回は貫禄が出ている。
このプレシア教官は絶対者だ。
逆らってはいけない。
それを声だけでわからせる。
同じ台本同じセリフ同じ展開のはずなのに、どうしてここまで違う印象を受けるのか。
アニメーションがないにも関わらずイリアとティナの背筋が伸びた姿が幻視できた。
このあと『数日教官がいない程度で自主的な訓練もまともにできなかったのか』とやり込められる。
全ては言い方次第。
漫画版の『やる気のない教官からの責任転嫁』から『自主的な訓練を怠り、無為に時間を浪費した二人に対する叱責』に印象が変わる。
真宵アリス演じるプレシア教官は最初から本気で主人公達を指導しているように聞こえた。
(原作改変? いや改変ではなくて解釈が違うだけ? それよりも真宵アリスの声圧に驚くべきなの?)
漫画版とは明らかに異なっている。
原作小説版は描写自体が少なかったから、原作の改変をしたわけではない。
ただ私の想定していた演技プランと明らかに違う。
最初の出会いが違えばこれ以降の展開でもズレてくる。
石館監督は真宵アリスの演技を完成品だと言った。
つまり間違っているのは私だ。
(私はアリスさんの演技の意図を理解しなければいけない。落ち着いて分析しないと)
真宵アリスの演技が正解という前提で答えを探し出す。
イリアとプレシア教官の関係性は深い。
それはプレシア教官の事情は物語が進むと判明することだ。
(物語が進むと? なら結果から逆算すれば……あ! 漫画版が解釈を間違っているんだ)
原作者がどこまで意図していたのかはわからない。
原作小説が完璧である保証もない。
たとえ公式でも二次創作となる漫画版は言わずもがなだ。
だから正しいとされる公式設定を前提として行間を埋めていくしかない。
その公式設定と結末から逆算すると、漫画版を前提としていた私の演技プランに違和感を覚える。
小さな違和感だ。
矛盾というほどでもない。
教官に真っ向から反発する主人公という王道の展開を好む人は気にしない。
でも公式設定を遵守すれば、プレシア教官がただの気だるげでやる気がなさそうな教官であるはずがない。
(……プレシア教官には時間がない。病に侵されて余命いくばくもない人だ。残された時間で一人でも多くの後進を育てることに必死だ。そんな人が無理解な子供の反発にわざわざ付き合うか? 実はこの人は凄いんです、と後からバレていく展開は定番だから深く気にしなかった。でもタイムリミットのある人が無能を演じて時間を無駄にする方がおかしい)
実はイリア達を数日放置していたのも倒れて病院にいたから。
常にくわえているタバコも延命のための薬だ。
気だるげではなく本当にしんどい。
余命宣告されている人が子供の成長を気長に待つはずがなかった。
(それにプレシア教官は英雄だ。あの覇気に満ちた声が本来の姿。なら一話目から全力のほうが面白い。うん……この方が展開に間延びがなくて面白いんだ。ガツンとしたプレシア教官の声で物語が一気に引き締まった)
イリアとプレシア教官が対等な構図も成り立たない。
元々プレシア教官は最前線で戦う人類最強の英雄だった。
無理がたたった。
過剰な魔力の使用による職業病。
余命幾ばくもなく治る見込みもない。
後進育成名目で安全な後方の都市に移された。
残り少ない期間をせめて安らかに過ごしてほしいと願われて教官職にされたのだ。
そんな英雄と未熟な主人公が対等にぶつかり合うなんてあり得ない。
(だから顔合わせの日に真宵アリスは自分の演技ができなくなった。私が対等に演じようとしていたから。私に合わせた結果リテイクを食らった……あの日、私の演技が足を引っ張ったんだ)
くしゃりと私の考えていた演技プランが潰れた。
今でも演技力では負けているつもりはない。
けれど原作の読み込みと構成する能力で私は真宵アリスに負けていた。
どうしようもなく劣っていた。
完敗だ。
石館監督の言った通り、足かせにしかなっていなかった。
(悔しがっている場合じゃない……もう一度演技プランを組み立て直さないと)
そのために真宵アリスの演技プランを理解する。
まずは主人公のイリアというキャラクターを再構成しないといけない。
そして作中でもっとも主人公のイリアに影響を与える人物であるプレシア教官について深く考えないといけない。
今は全てが浅い。
もっと深く沈まないとダメだ。
そうしないと真宵アリスに踏みつぶされる。
最後まで演技をさせられて終わってしまう。
そんなことはプライドが許さない。
私は自分の演技をするために声優になったのだ。
お読みいただきありがとうございます。
毎日1話 朝7時頃更新です。




