第93話 真宵アリスの収録現場_side石館監督
他者視点の真宵アリスというヤバい子回
「本当に気を付けてくださいよ石館監督!」
「わかってるよ。何度も何度もうるせーな」
来季から新作アニメ『アームズ・ナイトギア』のキャストの顔合わせから数日経った。
あのあとから制作進行の竹本がグチグチと煩い。
制作進行は全体を見てスケジュール通りに進めるために各種調整を行う。
その制作進行の立場から、不和を招きかねない真宵アリスへのリテイク要求が不満だったようだ。
制作が滞りなく進むように各部門の調整をして、段取りを整えて、進捗を管理する。
しかし、それだけでは制作進行の仕事としては不十分だ。
イレギュラーは必ず発生する。
そのイレギュラーの影響を最小限にするためには、円滑なコミュニケーション能力が重要になる。
進捗管理だけが自分の仕事だと思い込んで各部門とのコミュニケーションを怠る。
結果として根回しもできず、イレギュラーに対応できない。
そんな無能よりはよほど有能な男だが、表現者である演者と監督のことにまで口を出すのは、正直いただけない。
「今回は虹色ボイス事務所の方から『本番前にもう一度やり直したい』と言ってくれたら助かりましたよ。よりにもよってどうしてあの真宵アリスに絡んだんですか? 繊細な子だから気を付けてくださいと事前に言いましたよね。今ならまだ役の交代はできますよ。でも主題歌を歌うと発表した子との関係を悪化させるとかなにを考えているんですか? しかも自分のチャンネルを持ち、何万人もファンのいる配信者ですよ」
「俺は特定の演者を優遇はしない主義だ。ベテランだろうと、新人だろうと、未成年だろうとな。それこそ人気配信者だろうと仕事で区別はしない」
「ご立派な主義ですけど、不当な扱いをしていい言い訳になりません。話にならないほど演技が下手。台詞も覚えていない。態度が悪い。など相手に瑕疵があるならわかりますよ。でもあの子は台詞も完璧で演技もできていましたよね。態度も礼儀正しくてスタッフからの評判も良い。リテイクが出たことに周りが困惑したんです。しかも一人だけ何度もリテイクを食らって。どういう目で見られたか理解できますか?」
「まずかったのはわかっているよ。だからこうして殊勝な態度を取っているだろ」
「……どこが殊勝な態度ですか。あの子の演技のなにが不満だったんですか? ご説明していただければ今日の顔合わせの前に私の方から伝えますよ」
不満か。
顔合わせのときの真宵アリスの演技を思い出す。
事前の調べで演技の幅のある器用な子とわかっていた。
アフレコと評して配信で行っている。
ある意味、他の新人よりもデータが揃っている。
その上手さも頭に入れていた。
本来は高音で子供っぽく聞こえる声質なのだろう。
けれど演技に入ると驚くほどに声域が広い。
さすがに成人男性は無理だが、少年や声が低めの女性の演技も違和感を覚えたことはなかった。
なにより意外なのが大人の演技の上手さだ。
キャラクター先行の気持ちのいい勢いある声だけではない。
複雑な感情を滲ませる声の演技ができていた。
短い台詞に説得力を持たせて、空気を一変させるような、本来であればベテラン声優に割り当てられる難しい役どころもできると判断した。
だからミスキャストと言われようともプレシア教官役に推したのだ。
俺が推したのだ。
そして現場で演技を聞いたときに俺の感覚に間違いはなかったことは証明された。
あの日の俺は真宵アリスの演技になにも不満は抱いていなかった。
けれど、どうしてもリテイクを要求しなければいけない理由があったのだ。
「……別に俺に不満はなかったよ。真宵アリスの演技は想定以上だった。文句があるはずないだろ」
「ではどうしてあんなにリテイク連発したんですか?」
「不満を抱いていたのはあいつの方だ。真宵アリス自身が自分の演技に不満を持っていた。本来したい演技はこれじゃない。そう妥協した様子だったからな」
「妥協? 周りと打ち合わせしている間に組み立てていた演技プランが崩れたってことですか? それぐらい珍しくないでしょ」
「そうじゃねーんだよな。演技プランが崩れたんじゃなくて、物足りなかったんだよあいつは。私ならもっといい演技ができるけどこのぐらいでいいか。こんな感じだ。あんな態度を取られたら俺が泥被ってでもリテイク出すしかないだろ」
「そんなに自信満々な子でしたか? どちらかと言えばオドオドして一生懸命な印象でしたけど」
「外見に惑わされるな。ちゃんと演技を聞け。本当に一生懸命渾身の演技をした奴がリテイク連発されて、ポンポン演技を変えれるかよ。しかも動揺せず、不満も表に出さずだ。演技の引き出しを何個も常備している経験豊富なベテランじゃないんだぞ。自信満々かは知らないし、どう妥協していたのかわからない。でもあの日の演技は全力じゃない。余裕があった。だから違う演技を要求されてもその場ですぐに調整してみせたんだろ」
「……あっ!」
「そんなんだから音響監督を任せられないんだよ。まったく」
約束したスタジオの前では少し童顔の美人さんが待っていた。
周りに安心感を与える優しい容姿でスタイルもいい。
モテるだろう。
真宵アリスのマネージャーだ。
配信で語られるあのマネージャーだ。
真宵アリス同様に、一癖二癖ある油断ならない女性に違いない。
先日のこともあるので気を引き締める。
「この度はお時間をいただきありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそご迷惑をかけてしまい申し訳ありません」
竹本の奴デレデレしやがって。
この若さでスーツを着こなしているくせに、所属タレント手作りのどて焼き好きで家呑み主義者の酒豪だぞ。隙なんかあるわけないだろ。
この様子だと相手にされず、簡単にやり込められるだけだろう。
まったくの時間の無駄。挨拶もそこそこにスタジオ入りを促す。不満げな竹本は無視だ。もう少し人を見る目を養ってから出直せ。
スタジオの中に入ると、すでに真宵アリスと桜色セツナが準備万端で待機していた。
「うわ……本物のメイド服だ」
「……本物のメイドならともかく、本物のメイド服ってなんだよ」
思わずツッコミを入れたが、なにかを言葉を発したくなる気持ちはわかった。
収録ブースの中でスタンバイしている真宵アリスの姿が異様だったのだ。
なにか喋らないと呑まれてしまいそうになる。
呑まれてしまったが最後、ずっと黙り込んで見続けてしまうのかもしれない。
手には台本もなにも待っていない。
先日まとっていた黒猫パーカーも今日は身に着けていない。
メイド服姿で目を瞑り、立っている。
ただそれだけなのにあまりに人間味がなかった。
その姿は静謐。
ガラス越し。整った容姿。非現実的なメイド服。微動だにしない姿。
等身大のメイド人形と紹介されたらなにも疑わずに信じただろう。
アバターの設定もメイドロボだったか。
俺達がスタジオ入りしたことに気づいているのかもわからない。
起動スイッチがあるわけでもあるまいし、立ったまま寝てるわけでもない。
凄まじい集中力だ。
コントロールルームにいる桜色セツナは立ち上がって俺たちに一礼する。
けれどすぐに収録ブースに中にいる真宵アリスを見つめる姿勢に戻った。
こちらに興味がないのだろう。
関心があるのは真宵アリスだけ。一挙手一投足を見逃さない。
そんな決意さえ感じられた。
あまりに空気が張り詰めている。
今日ここで行われることを再度確認したくなった。
「今日はこの前の続き。セリフ回しの確認でいいんですよね」
「はい。でも少し長くなるかもしれません。いつも通りにやりたいと本人の希望ですので」
「いつも通り? あぁ……なるほど。ご自身の配信でもやっていたアレを今日ここで?」
「そうです」
「絵コンテや台本がないようですけどよろしいのですか?」
「もう全て頭に入っているようなので」
「……なるほど。では全てノーカットで中断することなく収録させていただいてもよろしいですか?」
「ぜひお願いします」
思わず笑みがこぼれる。
今日この場所で一話丸ごと一人全役で演じ切るつもりらしい。
あれは曲芸だ。
真宵アリスの配信で何度も確認した。
いくら記憶力がよくても台本に記載されている全て役の台詞を一言一句違わず覚えるのは困難だ。
そのうえ全ての役を演じ分ける。
約二十分の間、休みなくやり続けるのだ。
脳も身体も疲労する。集中が切れる。どれだけ必死に覚えたとしても台詞が飛ぶことはある。
その能力を疑っていたわけではないが、ネット越しの配信では本当にやっているのか確信はなかった。
別に台詞のカンニングペーパーやタイムキーパーが用意されていてもいい。
それでも難しいのだ。
なによりあの演技力だけでも十分に芸として通じるだろう。
どこまで本当かなんて問題にもしていない。
今日の真宵アリスは台本も持たず、マイクの前に立っている。
他になにもない。
しかも今から演じるのは数日前に一度合わせただけの作品だ。
台本はあるのでセリフは覚えられるかもしれない。
けれど各シーンの時間配分や画面の切り替わりまで把握できる情報量はないはずだ。
たった一日。
簡単な絵コンテとタイムキーパーを見ただけで、場面転換からセリフの全ての間を覚えたとでも言うのだろうか。
それは作品のすべてを把握するアニメ監督の視点だ。もう演者の視点ではない。
もちろん俺に全ての役を演じ分けることなんかできないが。
本当にこの場で一人全役の生アフレコができるのであれば、ぜひやってやってもらいたい。
あの顔合わせの日の現場で周囲の演技に物足りなさそうにしていたぐらいだ。
最初から最後まで全て自分一人で作品を構築できるのであれば、なに一つ妥協しない完成品を見せてくれるだろう。
「おい竹本。なにを見聞きしても一切喋らず収録に集中しろ。そして脳内に焼きつけろ」
「は、はい! わかりました」
さてと。
かくしてショーの幕が上がる……か。
あの日、見ることが叶わなかった真宵アリスの本当の演技。
アリス劇場を特等席で鑑賞させてもらおうか。
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