第80話 かつてのライバルの転生に困惑しかない②_side雨宮ひかり
「ついにこの時が来た」
今日はライバルと推しとの対面の日。
……ではなく来季のアニメ『アームズ・ナイトギア』制作陣との顔合わせの日だ。
集合時間の一時間前にはスタジオ建屋の近くにいておく。今は喫茶店だ。
三十分前に建屋に入り、中で待機。
やることはディレクション会議と事前に配られている台本の読み合わせ。
一応スタジオ入りして、線画での簡単な仮収録もある。
本当に収録をするわけではない。
新人が多い現場だ。
現場の空気を理解してもらうのが目的らしい。
このアニメは話題先行ですでに色々と騒がれている。
まさに言いたい放題の叩きたい放題だった。
空いた時間に喫茶店で事前の評判をネットで調べてしまったのだ。
:作画にはだいぶ力を入れている
:作画に予算がかかったせいで声優は単価の安い新人が中心
:広告費を抑えるための話題性だけのキャスト
:かつて子役ブームを牽引した雨宮ひかりと桜色セツナのコンビが主役級で共演するのは期待
:悪い方面で期待大
:事故率高そう
:このアニメちゃんと保険加入してる?
:主題歌までVTuberに任せやがった
:真宵アリスの歌に関してはマジで期待できるぞ
:石館監督は名アニメ監督だけど迷監督でもあるから今回はどんな失敗作を生むか楽しみ
:作中にライブシーン入れたがるし、オープニングも力作多い監督だからVTuberのライブアニメとして見れば面白いかも
正式な情報はまだ出ていない。
それなのによく好き勝手に書けるものだ。
中途半端に正確な情報が混じっているのも腹が立つ。
作画に予算が入っているのは本当だ。
アクションが多いので早い段階でアニメ制作会社に依頼したらしい。
作画は時間をかければ向上する。
作画崩壊なども起こしにくくなる。
そんなメリットがあるならばなぜ全てのアニメで時間をかけないのか。
それは全て予算の問題だ。
納期と費用は比例する。
納期が二か月と四か月では人件費が倍もかかることになる。
作業者をそれだけの時間を拘束することになるだから当たり前の話だ。
どんな職種でも納期は可能な限り短い方が費用は安くなる。
アニメ制作会社はその納期内で可能な限りクオリティを高めた仕事をするしかない。給与に反映されない闇残業などが常態化した本当に最大限以上の仕事だ。実は納期に余裕があっても質を上げるための残業をしてしまうらしい。
アニメーター業界の闇は深い。
ただ声優が新人中心なのは企画段階から決定していた。
予算の都合ではない。
売れっ子声優を呼べば実力は保証されて話題性も出る。けれど売れっ子声優は多忙だ。新人声優はスケジュールも抑えやすく単価も安い。打ち合わせや役作りに時間をかけられる。
これはアイドルアニメと似た手法だ。
アイドルアニメは大規模なオーディション審査から始まり、舞台で歌って踊るためのレッスン期間まで設けているので規模が規格外だが。
話題性だけのキャストという評判は残念ながら現時点では否定できない。
私と桜色セツナの元子役コンビが起用された理由は話題作りだろう。
もちろん事前に実力が認められているから主役に抜擢された自負はある。
その実力が証明できるのは作品が放送されてからの話だ。
今回はそこに歌手デビューで脚光を浴びた真宵アリスが主題歌を歌うと発表されている。
話題性だけのキャスティングとネットのネタにされるのも仕方がないのかもしれない。
色々調べてわかったことは一つ。
現時点で真宵アリスの歌だけは期待値が高い。
「でも私と桜色セツナは期待されていない。作品もコケると思われている」
これはもう闘志を燃やすしかないだろう。
悪評だろうとなんでもいい。
事前に話題になった時点でキャスティングは成功だ。
前評判が高いと放送後に粗探しが始まって色々叩かれやすい。むしろ低い方がいいではないか。自分に言い聞かせて納得させる。
怒りを燃料にして闘志を燃やすのだ。
この前評判を覆して、アニメを大成功に導くことで初めて大衆に認められる。
そう決意新たにマネージャーと合流した。
「ちゃんと三十分前に来たわね。ディレクション会議はこっちだからついてきて」
「はい」
「虹色ボイスの二人はすでについているわよ。それも三十分以上も前に」
「え……早すぎじゃないですか?」
「なんか凄かったわね。外出するとどんなトラブルが発生するかわからない。いつの間にか山で遭難しているかもしれない。だから一時間前到着が基本だとか」
「ああ……なるほど」
納得できてしまった自分がなんか嫌だ。
真宵アリスのトラブル体質対策のため早く来ていたのだろう。
理解できてしまう私はかなり虹色ボイスに毒されているのかもしれない。
「ついたわ。この部屋よ」
マネージャーが扉が開ける。
途端に襲いかかってくるプレッシャー。
部屋の中から一斉に視線が向けられたのだ。
その視線はすぐに私から外されて部屋の奥に向かう。
部屋の中にはすでに多くの共演者が集まっていた。
その全員がまったく同じ挙動をしたのだから恐怖だ。
アニメ制作関係者の姿はない。
席についているのは共演する声優ばかり。
本来ならばあるはずの挨拶もない。
私も視線に戸惑い挨拶するタイミングを逃していた。
(これはなにごと?)
疑問の答えは皆の視線の先にある。
虹色ボイスの二人だ。
前に立つのは幼いころに何度も共演した氷室さくら。
現在の名前は桜色セツナ。
その背中に隠れて顔は見えないが背の低い黒猫パーカー少女は真宵アリスだろう。
桜色セツナは大人びたクール系美少女だ。……本来ならば美少女。今はアリスさんにしがみつかれてデレデレの顔をしている。美少女なのに非常に残念な感じが漂っている。
昔の面影は欠片もない
やはり氷室さくらは死んで転生したらしい。
「ほら! アリスさんまた人が来ましたよ。共演者仲間ですよ。挨拶しないと」
「う……うん」
「あっ! もしかしてひかりさん!? 雨宮ひかりさんですよね! お久しぶりです。昔ドラマで共演していた氷室さくら改め虹色ボイス事務所所属のVTuber桜色セツナです。よろしくお願いします。私のことを覚えていますか?」
「雨宮ひかりです。久しぶり。……よく覚えているけど、どうしたの一体?」
「ほらアリスさん。催促されていますよ。挨拶は全ての基本です。ほらほら」
子役時代とのギャップで脳が混乱する。
氷室さくらはこんな元気いっぱい陽気な挨拶なんか絶対にしない。
配信を見ておいてよかった。
見てなかったら全力で『お前は誰だ!?』と叫んでいただろう。
真剣に病院を紹介したり、人生相談に乗っていたかもしれない。
桜色セツナは背中に隠れているアリスさんを前面に押し出す。
その姿を私以外の全員が固唾を飲んで見守っていた。
アリスさんは目深にかぶった猫耳フードで顔が見えない。それでも憔悴しているのが伝わってくる。黒猫の耳もくたびれている。確か重度の人見知りだったはずだ。
この様子では配信内容に偽りなし。
知らない人が集まるこの室内は存在するだけでダメージを受ける危険地帯なのだろう。
とても弱っている。
ただ真面目な性格で責任感も強いのだろう。
猫耳フードがゆっくり下ろされる。
頭にはホワイトブリム。その顔が露わになった。
(……え? 公式配信でリアルがイラストそのままって言っていたけどマジだったの。あとメイド服! 黒猫パーカーの中が本当にメイド服だ!)
ついに生じた推しとの遭遇。
内心の驚愕と興奮は表に出さない。
おそらく出していないので伝わっていない。
伝わったところでアリスさんもいっぱいいっぱいな表情なのでわからないと思う。
挨拶一つにとても真剣だ。
緊張がこちらにまで伝わってくる。
「おはようございます。虹色ボイス事務所所属のVTuber真宵アリスです。今回は声優兼主題歌担当としてこのアニメに携わらせていただきます。よろしくお願いします」
とても澄んだ通る声。頭を下げて最敬礼。その拍子に黒猫フードが頭の上に乗っかる。頭を上げるとそのままフードを目深にかぶって再び桜色セツナの背中に隠れた。
その姿に観衆から「おぉぉ~」という謎の歓声と拍手が送られる。
「えーと……おはようございます。雨宮ひかりです」
「よくできました! さすが私のアリスさんです」
(お前は子役に付き添う芸能ママか!)
思わずそんなツッコミが飛び出しかけたがグッとこらえる。
この場にいるのは私と虹色ボイスの二人だけではないし、今にも消え去りそうなアリスさんの前で高圧的な態度を取って嫌われたくない。
桜色セツナには色々と突っかかりたくなる衝動が湧き出るが必死に抑え込んだ。
私も成長したのだ。子役の頃とは違う。
虹色ボイスの二人を気にしつつも、他の共演者に挨拶しながら席につく。
少しすると再びドアが開く。
また共演者が到着したようだ。
私も入ってくる共演者につい視線を向けて、そのまま虹色ボイスの二人を見る。
またも桜色セツナが先に挨拶しながらアリスさんの背中を押していた。
なるほど……これは見守ってしまうかもしれない。
他の共演者も同じ挙動。打ち合わせは一切ない。少しハラハラしてくる。
この一連の流れは誰かの入室の度に繰り返された。
共演者一同でアリスさんの挨拶を見守る儀式。
謎の連帯感が生まれた。
そうして予定時間となり、制作陣が入室してきた。
ディレクション会議が始まる。
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