第73話 収録の裏側④-真宵アリスの裏事情_side白詰ミワ-
実は真宵アリスのデビューの裏側にも色々あったというお話。
どうして改名騒ぎになったのか理解できない。
やっぱり酒の席の勢いに任せる話じゃなかったか。
話が想定外の方向にしか転ばない。
でも真宵アリスの歌手デビューの裏事情は皆に知ってもらっておくべきだ。
色々支えてもらうためにも。
特に碧衣リンちゃんは歌手路線だから影響があるし。
「さて虹色ボイス事務所……ううん虹色ボイスプロジェクトの前身がアイドルプロジェクトなのは話したよね。事務所の上層部には音楽関係者も多いわけ。元々事務所としては音楽業界参入の野心があった。最近はイラストベースの覆面ネット歌手も多いからね。目指せ本格アーティスト路線の開拓ってね」
「もしかしてアリスちゃんの歌手デビューってかなり大きな話だったり?」
「さすがヴァニラちゃん鋭い。事務所としてかなり力が入っているね。少し話は変わるけど皆は真宵アリスのデビューに関して違和感を覚えなかった?」
意図的に生み出した真剣な表情と深刻な声のトーン。
ただ一方的に話すだけではない。言葉の最後に問いかけるのが重要だ。周りを巻き込み発言させやすくするテクニック。
先輩の一人語りになってはいけない。
ちゃんと我が事のように考えてもらわないと。
「違和感ですか?」
「うん。普通なら一年間引きこもりの対人恐怖症の未成年を採用したりしないでしょ。いくらマネージャーさんの推薦があったとしてもね。事務所にも顔を出せないくらいの人見知りだよ?」
「言われてみればそうかも? 確かアフレコと歌の音声送って採用された。アリスちゃんが収益化配信で言ってたけど」
「カレンちゃんの言う通り。もちろんそれが採用の根拠。アフレコ芸の方も凄かったけど、それよりも凄かったのは歌の方。歌で一発採用されたんだよあの娘。私も聞いたけど驚いた。外さない音程に豊かな表現力。なにより伸びのある高音域での歌唱。これでまともなレッスンを受けていないの? って。事務所はアーティスト育成枠として確保した」
「アリスちゃんの採用にそんな裏が。それってあたしたちが聞いてよかったんですか? アリスちゃんも知らないと思いますけど」
さすがは三期生仲間。リズ姉も真剣に話を聞いてくれる。
これからするのは虹色ボイス事務所の失敗談だ。
できればあまり事務所に不信感を持ってもらいたくはない。
でもアリスちゃんを支えるための根回しの方が重要だろう。
「いいのよ別に。正直アリスちゃんの扱いに関しては事務所が割と失敗を重ねていてね。本人の意向で三期生としてVTuberとしてデビュー配信した。でも事務所としてはデビュー配信すらしない方針だったの。トーク力を全く期待してなくてね。事故配信になる可能性が高いと決めつけていた。だから『デビュー配信するなら自己紹介して、一曲歌ってくれさえすればいいから』と失礼な注文をアリスちゃんのマネージャーに突きつけていたりするのよ」
「あっ! そう言えばアリスちゃんがデビュー配信で歌う前にそう言っていました。『実はマネージャーから絶対にこれだけはやってくださいって念押しされて』って」
「うん。あれは事務所からの注文。アリスちゃんのマネージャーさんも期待されてない空気がわかって大激怒でさ。でも衝撃のデビュー配信からの快進撃でしょ。他は期待していない。歌さえやってくれればいい。そんな失礼な対応していた事務所としてはもうなにも言えなくなってね。内心独立されないかヒヤヒヤだったの。専属絵師のねこグローブ先生もマネージャーさんもアリスちゃんの身内だし」
「それはまた……かなりのやらかしやな」
「キツネちゃんも復活したね。今はアリスちゃん本人は楽しくやっているし、演者仲間との関係は良好。スタッフからも愛されている。ご両親からも『どうか娘をよろしくお願いします』とお願いされている。マネージャーさんもアリスちゃんが大事なだけで独立したいわけでもない。今となっては杞憂だったわけだけどね。事務所としては初動を誤ったからアリスちゃんの扱いには神経質でさ。それで収益化配信までほとんど不干渉だったの。はあ……そのまま演者ファーストで不干渉だったらよかったんだけどね」
「それなのに急な歌手デビュー」
「そうなの! 配信で成功しているなら無理にしなくていいでしょ。なのに『歌手路線が当初の予定だから』ってね。わざわざ理由つけて外出させてボイストレーニングも入れたりしてさ。アリスちゃんはもちろんアリスちゃんのマネージャーさんにも相当無理させている感じかな」
「私のアリスちゃん接触禁止令もそのせいだったのか」
「それは普通に未成年の教育によくないからだけどね」
「がびーん!?」
これでアリスちゃんの微妙な立場は伝わったはずだ。
別にアリスちゃんが問題を起こしたわけではないし、本人の知らぬところで事務所がバカをやっているだけだけど。
まったく未成年に……ううん未成年に限らず周りが勝手に色々な期待を誰かに押しつけるのはよくないと思うんだけどね。
「それで歌手デビューの話だけど。皆は月海灯って知ってる? 今度うちの音楽部門のトップとして、プロデューサーに就任するんだけど」
「なんか聞いたことあんな」
「アカリンはうちの事務所のボイストレーナーの先生」
「そうだけど。……碧衣リンちゃんアカリンって」
「アオリンアカリンの仲だから」
「碧衣リンちゃんもレッスン受けているんだっけ? かなり厳しい先生のはずだけど碧衣リンちゃんも天才肌タイプだからあまり怒られないか。月海先生も歌以外では緩いし、本人が許しているならいいのかな?」
「アカリンはちっちゃくて可愛い」
「それ絶対本人には禁句だから。もしかして碧衣リンちゃんだから放置されているだけ? ってそうじゃなくて! ボイストレーナーの先生はあっているけど前歴知ってる? 割と有名な人だけど」
「あっ! 月海灯ってクリオネのボーカルやん。悲劇のガールズバンドの歌姫!」
「正解!」
知っていたのはキツネちゃんだけではない。
聞き覚えはあったのかヴァニラちゃんとリズ姉もハッとした表情だ。カレンちゃんはいつの間にハイボールではなくウイスキーのロックでカルパス食べていた。まあカレンちゃんはいくら呑んでも話の内容を聞き逃したりしないので放置でいい。
「クリオネ。全盛期は約十年前。当時メンバー全員二十歳前後のガールズバンド。アニメやドラマの主題歌にも抜擢されて全国区の人気バンドとなり一躍スターダムにのし上がる。特にボーカルの月海灯はその小さな体躯に似合わずパワフルなハイトーンボイスの歌声は多くの人を魅了し、次世代歌姫と呼ばれていた。武道館ライブも果たして、次は全国ツアーというところでボーカル月海灯の喉が限界を迎えてドクターストップ。本人は『まだやれます』と主張するもバンドメンバーは手術を優先し解散を決断。人気絶頂期の急な解散劇が伝説となり悲劇のガールズバンドとも呼ばれる」
「ミワ先輩めっちゃ詳しい。ファンやったん?」
「ファンではあったけど、詳細は月海先生のボイストレーニングを受けるようになってから調べたかな。事務所の発足メンバーにガールズバンド時代のクリオネと交流があった人がいてね。ファンというかプロモーター。それもかなり思い入れが強かったらしくてね。クリオネ自体が途上で終わった感もあるからなおさら。その縁で月海先生にボイストレーナーの先生もやってもらえているんだけど。言いたいのはボーカル月海灯と真宵アリスの歌声が似ているってこと。二人とも体格から似ているし声質から被るんだよね」
ここまで言えば私がなにを言いたいのかも伝わったのだろう。
ヴァニラちゃんが目を大きく見開いている。
そしてカレンちゃん……その今日二本目の角瓶はいつ開けた?
あなたが持ってきたのは一本だよね。たぶんスタッフ用意分だと思うけどなぜこの時間帯に開けた?
あと複数人で呑んだとはいえ一日どころか数時間で一瓶がなくなるものなのかな?
うん……見なかったことにしよう。
「虹色ボイス事務所の狙いは解散した悲劇のガールズバンド、クリオネの復活もしくは後継。そのためにアリスちゃんを歌手デビューさせようとしている。……新しいことに挑戦してほしいというのは私の本音ね。だからアリスちゃんにもアドバイスした。でも裏事情知っている身としては若者に大人の妄執を押しつけるな、とも思うわけよ。だからなんかやるせない気分になって呑み直したくなったわけ」
「……ミワ先輩。それってアリスちゃんめちゃめちゃきつくない?」
「プレッシャー半端ないね。本人たちが望んでないのもやるせない理由。アリスちゃんは元々歌手希望でもないし、月海先生も自分の夢を誰かに託したいわけではない。あの人は自分が無理を重ねて喉を壊した。後進に同じ失敗をさせないためにボイストレーナーになった人だから。教え子には伸び伸び歌ってほしいわけ。自分の後継なんて望んでない。勝手な願望で暴走気味の事務所に不満たっぷり」
「アカリンも乗り気じゃないんだ」
「そうだよ。だけど月海先生が『真宵アリスには才能がある。本物の歌手になれる』と発言をしたから進んだ話でもあるのよ。本人は発言を後悔して『大変なことになった。どうしよ?』って責任感じて落ち込んでいたけどね」
「そう言えばアカリンがレッスン部屋の隅っこで、三角座りして落ち込んでるのを最近見た」
「え? なにそれ見たい! ……じゃなくて音楽プロデューサーの話もアリスちゃんを守るために引き受けたとか。月海先生がいる限り、アリスちゃんに無理させないと思うからその点は安心かな。けれど成功しても失敗しても、アリスちゃんの周りが騒がしくなる。皆にはフォローをお願いしたいわけなのよ」
「わかりました。ウチが音楽分野で役に立てるとは思わんけど微力は尽くします」
「呑み屋料理マスターは私が守る。たとえ事務所を敵に回してでも」
「カレンちゃん……それはやめて。私は君と敵対したくない」
「アリスちゃんは同期仲間です。三期生総出で守りますよ」
「私はアリスちゃんの師匠。守るのは当然」
「師匠……確かにリンちゃんとアリスちゃんは配信で師弟関係結んでいたね。私もできる限りアリスちゃんを助けます。色々お世話になってますし。私はロリータソングや電波ソングの仕事しか来ないので、どこまで力になれるかわかりませんが」
「皆ありがとうね。……ヴァニラちゃんの曲のジャンルは確かに部門が違うね。上手すぎてもいけないある意味職人芸の領域だから。でも需要があるのよ」
「ところで師匠といえば以前から気になっていました。私が事務所から紹介されたボイストレーナーの先生。秋葉原生息の謎の生命体。着ぐるみパジャマを着た巨漢の外国の方です。あの人にもなにか重い過去があるんですか? 歌もダンスもただ者ではないですし、本格的にミュージカルなどの舞台に立っていたとしか思えないんですけど」
「……ごめんなさい。私たち一期生も着ぐるみパジャマ先生のことについてはなにも知らないの。ダンスのレッスンを受けたことがあるくらい。噂によればアメリカ海兵隊にいたとか。この前ミサキちゃんにサバゲーの訓練を施していたらしいし。……それも着ぐるみパジャマの姿で『萌ぇぇーー!』とフィールドに美声を響かせながら」
「そうですか。残念です」
「いや……そいつ絶対ついでの流れで出す人物ちゃうやろ。ハンバーガーの付け合せにフォアグラついて来たぐらいの濃厚さやで。もうメインに挟めや」
これにて根回し完了。
この際、事務所上層部の意向はどうでもいい。
演者間でコミュニケーションが取れて、足並みを揃えることができるなら大きな問題には発展しないはずだ。
問題が起こったときに『私なにも知らないんだけど』となると仲間のフォローもできないし、事務所への不満につながる。
報連相。下に言うのに。上はしない。
そんな事務所はダメになる。
経営陣と演者の板挟み。意味が違うけど中間管理職はやっぱりつらい。
皆のためにも良き潤滑剤となれていたらいいけれど。
さて真剣な話をしたら少しお腹が空いてきた。
キツネちゃんがハンバーガーとか言い出したせいかもしれない。
撮影スタジオにも深夜の倦怠感が流れている。
活を入れるために部屋全体に聞こえるよう大きな声を出す。
「よし! じゃあ収録を再開しようか! 小腹も空いてきたし、アリスちゃんが夜食を用意しているって言っていたよね。皆で夜食探検隊収録に参ろうぞ!」
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