第65話 相席できない公式生配信⑤-スタッフの福利厚生も大切です-
「「「「「乾杯!」」」」」
カンッと硬質な音が連続する。
目があった人とジョッキを軽く当て合い、一通り済んだら、ビールを喉に流し込む。
一口での消費量は人それぞれ。
ビールはかなり冷えている。さすがに一気飲みはしない。
しないが口を放したときには紅カレンのジョッキはすでに半分になっていた。
紅カレン:「ぷはぁ~~~~~~~~~~この一口のために生きているっ!」
翠仙キツネ:「その言葉が本当に過言でないから怖いわ」
紅カレン:「ビール呑んだら唐揚げにかぶりつく! デカい! 一口で一個の半分にも届かない! でもそれがいい! アツアツの鶏の旨味が口いっぱいに広がる! そしてまだ口に残る鶏の油をビールで喉の奥へと流し込む! はぁー至福。この大きさの唐揚げだからこそ楽しめるジューシーさと鶏の旨味。漬け込みで中までしっかり下味がついているからできる豪快さだよね。なぜただの鶏の唐揚げではなくザンギなのか。食べればわかる説明不要の合理。さすがアリスちゃん酒呑みの心がよくわかってる」
翠仙キツネ:「本当に美味いな。唐揚げ専門店でも遜色ない味と大きさ。かぶりつけば鶏肉の美味しさがガツンと伝わってくる。鶏肉のプリプリした弾力はしっかりしているのに綺麗に嚙み切れるし」
黄楓ヴァニラ:「このシーザーサラダも色々な野菜が入っていて美味しい。ミニトマトも甘く新鮮な野菜を使ってる。温かい温泉卵がついているから黒コショウを多めに振ってもマイルドなままだし。これ家でできるかな? ん……えーとリンちゃん? フライドポテトを掲げながらじっくり見てどうしたの?」
碧衣リン:「美味しい。今まで食べたことあるフライドポテトの中で一番美味しい。人生ナンバーワンポテト。でもフライドポテトに特別な調理法があるわけでもないだろうし、なにが違うのかがわからなくて」
翠仙キツネ:「揚げたてのフライドポテトでそんな優劣つくんか? どれどれ。ホンマや。めっちゃ美味いやん。味付けは塩だけやのに。あかんザンギもフライドポテトもビールとの相性が抜群すぎるやろ」
黄楓ヴァニラ:「これイモの味がしっかりしてる。カリッとホクッとして。ジャンクフードじゃない。ちゃんとしたイモの料理だ。美味しさの詰まったイモのスティックを食べている感じがする。もしかして凄くいいジャガイモとか?」
リズベット:「野菜に関しては事務所が付き合いのあるスポンサー農家さんからの提供です。ですから確かに凄くいいものですよ。シーザーサラダにも使われてます。でも自家製フライドポテトに関してはアリスちゃんは自宅で再現でもできるって言ってました」
黄楓ヴァニラ:「そうなの!?」
リズベット:「ジャガイモの皮を剥いてスティック状にカットしたあと、一時間ほど水にさらす。そうすることで余分なデンプン質は水に溶け出し、重くなりにくくなります。またジャガイモ内の水分量も確保されます。そのあと軽く薄力粉をつけて揚げる。あとは塩を振れば完成らしいです」
碧衣リン:「割と簡単? 家でフライドポテトを揚げたことがないけど」
リズベット:「ちゃんと水にさらすなどちゃんと下処理したジャガイモを揚げると、適度に残ったデンプン質が糖質に変わって美味しくなるのだとか。冷凍モノだとジャガイモの成分が壊れてます。デンプン質が抜けすぎたり、水分がなさ過ぎて粉っぽくなる。だからジャガイモ本来の味が失われていることが多いらしいです。このフライドポテトの凄いところは少し冷めても美味しいんですよ。デンプン質が糖質に代わりジャガイモの味がしっかりしているので」
翠仙キツネ:「……フライドポテトも調理法でこんな変わるんやな。アリスちゃんの料理が美味いのはよくわかった。さて、もうそろそろこの卓で一番ええ匂いさせとるところに触れよか。どないなんミワ先輩? いやウチらは表情を見ればわかるけど。そんな満面の笑みを浮かべられても収録では伝わらんて。黙って味わわれたら触れずにいられへんから。カレーは美味しい?」
呑み屋なテーブルにおいてその一角だけは呑み屋ではなかった。
ステンレス製の平皿に綺麗な楕円形に盛られた白米。
その横に佇んでいるは具だくさんな家のカレーではない。
じっくり煮込まれて凝縮していることがわかる黒に近いこげ茶色。
具は中央に大きな肉塊一つだけ。
他は具材は全てカレーの中に溶け込んでおり、その佇まいは静謐さすら感じられる。
呑み屋のテーブルよりも白いテーブルクロスのかけられた円卓の方が似合うだろう。
背景はもちろん夜景だ。
白詰ミワは動かしていたスプーンを名残惜しそうに置く。
白詰ミワ:「……私は自分の未熟さに今日ほど怒りを覚えたことはない。なぜこのカレーの美味しさを表現する語彙力がないのだろうと」
翠仙キツネ:「それほどかいっ!」
白詰ミワ:「カレー。それはインドや東南アジアなどで広く食べられている家庭料理。インド植民地時代にイギリスに伝わり、西洋料理の調理法で洗練されて、海軍を通じて日本に入ってきた。そのため日本におけるカレーは西洋料理の系譜であると言える」
翠仙キツネ:「……語彙力ない言いながら語るんやな」
白詰ミワ:「最近流行りのスパイスカレーも美味しい。インドカレーもタイカレーも好き。市販のカレールウの家カレーは安心する。でも日本のカレーは西洋の煮込み料理の真髄を継承したモノだと、このカレーは強烈に訴えている!」
翠仙キツネ:「訴えてない! 別にアリスちゃんは西洋料理の料理人ちゃうからな!」
紅カレン:「そうだよ! アリスちゃんは呑み屋料理マスターなんだから!」
翠仙キツネ:「それもちゃう! たぶん……あれ? あかん。自信がなくなってきた」
白詰ミワ:「野菜の旨味と甘味が溶け出したブイヨン。牛の様々な部位を焼いたあと煮込むことで混然一体となった芳醇なコクのフォンドヴォー。そこに加わる至高の配合スパイス。辛さはおそらく一般的な高級レストランカレーよりも控えめ。だからこそ誤魔化しのきかないベースの美味しさがよくわかる」
黄楓ヴァニラ:「……一般的なのか高級なのか。とりあえず比較対象はちゃんとしたレストランなのね。この時点で想像の数段上の気がする。あと日常会話でフォンドヴォーって使うかな?」
白詰ミワ:「私にはこの味を表現する語彙力はない。だからわかりやすく言うと。ホテルの高級レストランで単品二千円超えの味」
碧衣リン:「とてもわかりやすい。どんな味かはわからないけど、物凄く美味しいのは伝わってきた」
白詰ミワ:「けれどそれはカレーライスとしてだけの評価。皆も見えるでしょ。この大きなお肉が。まさかと思ってさっき少しだけスプーンで……そうナイフではなくスプーンで割ってみた。スプーンで簡単に切り分けられるほど、柔らかホロホロの極上の牛タン煮込みがドンッとカレーの中に君臨している! このカレーは欧風牛タンカレーだったんだよ! プラス千円だとしてレストランで食べると三千円は超える! いくらカレー好きな私でも注文に躊躇してしまうお値段! 居酒屋で出されるカレーじゃない!」
翠仙キツネ:「落ち着いて! ミワ先輩落ち着いて! 美味しいのはわかったから! カレーを語りたいのもわかったから! ってカレン? なんや急に立ち上がって」
紅カレン:「ミワ先輩。そのカレーにはビールではなく赤ワインだと思う。こんなこともあろうかと用意していたフランス肉料理用の赤ワインフルボディを開けよう」
白詰ミワ:「さすがカレンちゃん! わかってる!」
翠仙キツネ:「……こんなこともあろうかとって居酒屋企画でなぜフランス料理を想定しとったんや。いやこの企画の酒担当として正しい行動なのかもしれんけど」
碧衣リン:「ミワ先輩の話を聞いていると私もそのカレー食べたくなってきた」
黄楓ヴァニラ:「うん。ちょうど赤ワインも開いたところ……だし? あれなんかスタッフの空気がおかしい」
翠仙キツネ:「ホンマや。このカレーになんかあるん? うちも注文したくなってんけど」
翠仙キツネの呼びかけにスタッフ一同うつむいて答えない。配信に音声が紛れ込まないようになどの配慮ではない。カンペも出ないのだ。
けれどカレーを注文してほしくない空気だけは伝わってくる。
そこにリズ姉が苦笑いを浮かべながら助け舟を出した。
リズベット:「……ははは。実はあのカレー。『どて焼き用に大量の牛すじの処理。いつものようにカレー作っていいですか? 呑み屋企画なので注文されることはないと思いますけど、当日はスタッフさんも食べるんですよね? カレーなら量作れますから』とアリスちゃんが仕込んだんですよね。三日もかけて」
翠仙キツネ:「三日! そんなに手間かかってるんか!?」
リズベット:「どうもアリスちゃんは牛すじなどの処理したらカレーを仕込む習慣があるみたいで。食材の無駄をなくすためですね。そこに事務所から費用出るからと普段は作らない牛タンの煮込みまで加えちゃいまして。アリスちゃんとしては事務所の経費でやってみたかった牛タン料理に挑戦してみた。ぐらいの軽いノリだったんです。でもスタッフの間で『アリスちゃんが凄い料理を仕込んでくれている』と噂になりまして」
黄楓ヴァニラ:「処理した牛すじの廃棄部位でカレーを仕込む。やってみたかった牛タン料理。女子力が高すぎて一周回った感すらある」
リズベット:「本来なら配信用に注文されて大成功です。大成功ですけど、どうもスタッフの間で『この収録に参加したら、まかないで絶品高級カレーが食べられる』と広まっていたみたいです。そのせいで本日は予定よりも多くのスタッフが現地入りしていまして」
翠仙キツネ:「いつもよりスタッフ人数多いと思ったら……なるほど。つまり注文されると自分たちの取り分が減るからピリついとったわけか。この企画通したカレンはもちろんやけど、うちの事務所のスタッフも存外図太いな」
紅カレン:「ツネちゃん。スタッフさんにはいつもお世話になっている。労わないといけない。福利厚生は大切だよ」
翠仙キツネ:「いつになく優しいな。で、本音は?」
紅カレン:「私はすでにこの企画の第二弾を見据えている! スタッフがやる気になるなら万々歳!」
翠仙キツネ:「計算か! 誰もツッコミ入れへんけどすでにジョッキ二杯空けて、一人で日本酒呑みだして、今ワインを片手に持っているとか好き勝手やり過ぎや! ペースおかしいやろ!」
紅カレン:「私はこの夢の企画のために命をかけている!」
翠仙キツネ:「健康診断的な意味で命かけるなこのドアホ! はぁ……ウチもスタッフと険悪になりたいわけやないし、カレーはええか。だからミワ先輩もカレーを死守しようと守りに入らんでええよ」
白詰ミワ:「ん。じゃあじっくり味合う」
リズベット:「あっ、今厨房から連絡が入りました。カレーライスはスタッフ人数分は確保済み。ギリギリだけどカレーライスはクォーターサイズなら全員注文可能だそうです」
「「「「「カレーライスクォーターサイズで!」」」」」
翠仙キツネ:「……え? ミワ先輩もおかわりすんの?」
―――――STOP―――――
桜色セツナ:「突然! 私の晩御飯! 今からカメラを回しますからね。下に固定して。はーいどんっ! 実写です。なんとスタジオにアリスさんの手作りカレーですよ! 配信に出てたアリスさん特製まかない牛タンカレーです!」
真宵アリス:「セツにゃんテンション高いね」
桜色セツナ:「アリスさんの手料理ですよ! テンション爆発です。上がるどころか無軌道ですよ。乱高下です。大変です。アリスさんが私のために手料理を! ……だったらよかったんですけど……アリスさんは色々と大変でしたよね……私なんかがはしゃいじゃってごめんなさい」
真宵アリス:「急落した!? 本当に無軌道で乱高下なの!?」
桜色セツナ:「ふふ。さすがに冗談です。でも本当にアリスさんは大変でしたよね。短い期間に再びカレーを作らされて」
真宵アリス:「……うん。まあ予想外だったね」
桜色セツナ:「ええ……理由がまさかです。この生配信のためではありません。隠れ家居酒屋アリスの収録が原因でスタッフ間で参加者と不参加者の対立が起こるとは。食の恨みは怖いといいますけど」
真宵アリス:「そんなわけでマネージャーに頼まれて急遽カレーを作って事務所の休憩室に寸胴を提供してきた。作ってきたから対立はやめいと」
桜色セツナ:「事務所内政治は恐ろしい。そしてこの流れを読んでいたカレン先輩も恐ろしい。リアルタイムの接続数や反響からなんと隠れ家居酒屋アリス企画第二弾制作決定です。パチパチパチパチ」
真宵アリス:「今回不参加スタッフ陣営の後押しが大きかったとか。制作の決定だけで日程などなにも決まっていません。この企画の主導権争いはいずこへ行くのかもわからない。未成年コンビは距離を取って大人の生態観測です」
桜色セツナ:「はい。ではカレーの実写映像はここまでです。私もカレーをいただきますね」
真宵アリス:「どうぞ召し上がれ」
:カレン相変わらずめちゃくちゃ美味そうに呑むよな
:酒呑み音声なら業界トップレベル
:ザンギがめちゃくちゃ美味そう
:カルボナーラサラダ美味いよな
:へぇ~そうやってフライドポテト作るのか
:ちゃんとしたレシピも公開された
:ザンギとフライドポテトはマジで家で作ろう
:なぜこんなにも腹が減るんだろ
:普段なら美味いコンビニの唐揚げも今日は侘しい
:ついにカレーか
:ミワちゃんwww
:飛ばしてるな
:いまだかつてこんなに楽しそうなミワちゃんを見たことがあっただろうか?
:……日本のカレーは西洋の煮込み料理の真髄を継承していたのか
:その語彙力でまだ語り足りないのかよ
:ナイフ要らずの牛タンカレーとか
:居酒屋で出すカレーではないな
:三千円が本当にリアルな店の価格設定っぽい
:カレンww
:ソムリエカレンが赤ワインのフルボディを提供したw
:なるほど牛すじの処理で廃棄する部位がもったいないからカレー作るのか
:女子力が高すぎて一周回ったらどうなるんだ?
:オカン力になる
:おいwww
:せめてメイド力って言ってやれ
:スタッフ代われw
:突然! 私の晩御飯!
:アリスまたカレー作らされたのか……美味そう
:第二弾決定!? はえー
:事務所内政治
:虹色ボイス事務所も色々大変なんだな
:むしろ平和すぎる気もするが
:大人の対応が出来すぎてアリスが虹色ボイス事務所のオカンに思えてきた
:や・め・ろwww
お読みいただきありがとうございます。
毎日1話 朝7時頃更新です。




