第56話 第九種接近遭遇生配信③-黄楓ヴァニラの自己紹介アフレコ-
自分にできること。
自分のやりたいこと。
自分がやらなくてはいけないこと。
この三つが重なっていることはとても幸福だ。
自分がやらなくてはいけないことは仕事に言い換えられる。
明確にやりたいことがあり、自分に実現可能な力があり、その仕事さえしていれば生きていられる。
そんな幸せなことはほとんどない。
生きていくには自分にできることを仕事にしなければいけない。
自分にできることが自分のやりたいことならどれだけいいか。
人生はままならない。
誰もがどこかで理想を妥協して生きている。
そんな現実の中で自分なりの楽しみ方を見つけて笑える人はとても強い。
「三人目はロリータボイスのキュートな先輩。二期生の常識と良心とまで言われていました。けれど誹謗中傷を受けて活動休止。一時は引退も決意した。それでも彼女は帰ってきた。強くなって帰ってきた。ちょっと強くなりすぎたかもしれない。そんな黄楓ヴァニラ先輩です。あと先に謝罪します。ヴァニラ先輩のロリータボイスは再現が難しいです。私も頑張って寄せますけど」
アニメを見ていれば遭遇することがあるだろう。
声優はどんな気持ちで演じているんだろう?
そんなことを思ってしまう恥ずかしい台詞。
デレと照れと羞恥が入り混じる表現は需要がある。
需要があるなら仕方がない。
萌えと色っぽい演技は今度リズ姉に習うとしよう。
ヴァニラ先輩の自己紹介に色っぽさはない。
だがロリータボイスを極めしヴァニラ先輩から出された試練だ。
なりきり度がハンパない。
ヴァニラ先輩曰く「羞恥を捨てなさい。恥ずかしさが出たら全てが台無し。子供たちの笑顔を想像して役になりきることが重要」
重い言葉だった。
真剣な表情だった。
その声質からロリータな演技を求められ続けるロリータボイス職人の境地を垣間見た。
後輩として先輩からの試練から逃げるわけにはいかない。
声は最大限に幼く甘く萌え萌えに。
舌足らずなのに鮮明に聞こえて耳に残る謎の活舌。
ヴァニラ先輩が直接教えてもらってようやく形になったロリータボイス。
先輩からの試練。
心を無にして挑むしかない。
出だしからハイテンションで突っ走ろう。
『私の名前は黄楓ヴァニラ♪
パティシエを夢見ているどこにでもいる普通の女の子(年齢不詳)。
でもうちの家は代々続く和菓子屋。洋菓子の方が好きだなんて絶対に言えない!
このままでは反抗期目前!
そんな悩ましい年頃の私に訪れた不思議な出会い。
正月でもないのに餅を喉に詰まらせて死にかけている謎のマスコット的ななにかを掃除機で助けたの。
口の中に突っ込んでこうポコンって。
これでも和菓子屋の娘だから対処方法はバッチリ。
妖精を自称する謎の生物からもらったのは洋菓子を生み出す不思議な力。どう使えばいいのかわからないけど割と美味しい。
え? うちの和菓子屋がネット上で悪質なデマを流されて誹謗中傷を受けて評価の星数が一つ星!?
それはいけない!
魔法の力では洋菓子しか出せない。
だから信用できる弁護士に頼んで訴訟の準備しなきゃ!
あなたのハートにシュガーレス♪ 届け本物の訴訟状♪
これにて一件落着。
マジカルパティシエール黄楓ヴァニラ♪
日曜朝八時半。テレビに噛り付きながらたまに一人でケーキ食べてます』
やってしまった。
どうしよう。
心がとても凪いでいる。
このまま悟りを開けるかもしれない。
けれど只今配信中だ。
コメント欄が大草原になっているのは見なかったことにして先に進もう。
今の私ならばメイドなロボボイスを極められる。
「ついに自己紹介です。さすが二期生の常識人である黄楓ヴァニラ先輩。ちゃんと冒頭で名乗ってくれてました。素晴らしい。そのあとが大暴投でも許せます。……許せますが言わせてください。ロリコーン事件は一体なにを生み出してしまったんでしょう。苦難は人を強くするにしても自分からネタにするとか強くなり過ぎでは?」
ちなみに私はヴァニラ先輩の手本を生で見た。
事務所の休憩室で。
その衝撃で呆然自失になった。
しばらくの間ヴァニラ先輩の言いなりになってポージングの演技指導までされてしまった。
「ちなみに『あなたのハートにシュガーレス♪ 届け本物の訴訟状♪』のくだりは振付があります。『あなたのハートに』のところで両手のハートマーク。『シュガーレス♪』で首をコテンと傾ける。あとは満面の笑みでウインクして『訴訟状♪』です。演者が見えない配信だからとポージングを怠ればヴァニラ先輩に怒られますからね」
:ぽかーん
:ちょっと強くなりすぎたかもしれないに納得
:二期生ヤバいwww
:常識人どこ行った
:ツッコミどころしかない
:アリスの声可愛いな(現実逃避)
:黄楓ヴァニラのアバター設定はパティシエを夢見る女の子だったな
:忠実な自己紹介かもしれないがこれはw
:餅を喉に詰まらせて死にかけている謎のマスコット的ななにかってなんだよw
:口の中に突っ込んでこうポコンっては正しい対処方法らしいけどさ
:訴訟状www
:評価の星数が一つ星は酷い
:自分からネタにするのかwww
:強すぎ
:アリスもある意味似たようなことを配信でやったからヴァニラのことを言えないがw
:誹謗中傷対策は弁護士に相談でシュガーレス(文字通りの甘さゼロ)で訴訟状のフルコンボ
:解決に魔法一切使ってない
:誹謗中傷していた連中はなにを敵に回したんだ
:朝に魔法少女アニメを見ながらケーキを食べる優雅な生活
:ポージング有w
:魔法少女ガチ勢だな
:魔法少女番宣風の事故紹介とは斬新だな(内容に魔法は一切関係ない模様)
:これが誹謗中傷を受けて引退寸前にまで追い込まれたVTuberの現在の姿である
私もロリータボイスの演技を頑張った。
頑張ったけど内容の衝撃度には勝てなかった。
予想通りだ。
ヴァニラ先輩のような本物のロリータボイス職人と比べると未熟なので仕方がない。
演技の未熟さは関係ないかもしれないけど。
「かつては二期生の常識と良心を司ったまとめ役。ツッコミ役に進行役に。暴走しやすい面々に振り回される立場でした。復帰後は躍動する二期生メンバーの手綱を自由自在に操る司令官にランクアップ。必死に混沌を制御しようとしたヴァニラ先輩はもういません。自ら混沌を生み出すことで全てを制御する荒業を身に着けてます」
復帰前は周りに振り回されるいじられ役でもあった。
もちろんそれは他のメンバーからもリスナーからも愛されている証拠だ。
けれどいじられ役でストッパー。
攻撃されやすい立場でもある。
残念なことに全ての人が愛情を持って見てくれているわけではない。
だから立場が弱いと集中攻撃を受けた可能性があった。
「もちろんヴァニラ先輩だけが強くなったわけではない。二期生再始動後の躍進は二期生全員が互いを思い合っての結果。全員進化し続けている。ただ二期生の再始動には中心人物がいます」
二期生の自己紹介ボイスアフレコをどのように配信するかの指示は特にない。
思うように表現していい。
難しければやらなくてもいいとまで言われた。
内容もともかくとして、これは二期生が後輩の私のために用意した課題だ。
表現方法の幅を拡げるための訓練でもあっただろう。
けれど最後に紹介するこのボイスだけは絶対に配信してほしい。
他も流すならば順番は最後に、とお願いもされている。
「二期生内でのコラボを積極的に企画立案。ヴァニラ先輩が自由に動けるように。他のメンバーがより輝けるように。そう考えて全体をまとめる役割を受け継いだ。仲間を支えることを選んだ。最後はその人の自己紹介で締めます」
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