第55話 第九種接近遭遇生配信②-紅カレンの自己紹介アフレコ-
自己紹介とはなんだろう。
陰キャなコミュ障にとっては忌むべき行事であることは間違いない。
配信のオープニングで行っているキャッチコピー的な名乗りの挨拶とは違うのだ。
まず自分の名前や所属などを相手に伝える。
そのうえで趣味や経歴などを付け加えるのが自己紹介だと言われている。
つまり他人に誇れる趣味や経歴がない人には地獄の苦行と相違ない。
家に引きこもってアニメを見ながらずっと一人でアフレコしていた陰キャです。
こんなことを言ったらドン引きされる。自己紹介する前からダメだとわかる。苦手意識しかない。
できる限り自己紹介しない人生を歩みたいものである。
「次は自他共に認める吞んだくれ。実はアニメ声優志望の養成所出身。昔は極度のあがり症。オーディションは落選続き。溜まるストレスから酒を呑む。酒の席での面白さと演技力で虹色ボイス二期生に抜擢された逸話あり。問題だったあがり症はすでに完治済み。恥の多い人生でしたを地で行く私になにであがれと? そう豪語するほどに鍛え上げられたメンタルと肝臓は鋼よりも硬い。紅カレン先輩です」
大きく息を吸う。
内容が内容の長台詞。通常のアフレコではあり得ない緊張感。果たして本当にこれを言うのだろうかという疑問。
でも二期生の先輩からお願いされたら言うしかない。
ボイストレーニングを始めてよかった。
レッスンを受ける前の自分では不可能だった。
これで成長を実感するのも嫌だが教材としてはワクワクを隠せない。
声色を無理にカレン先輩に寄せなくていい。今から話す内容に声の作りや高さはさほど大事ではない。
重要なのは圧だ。
聴衆全てを呑み込む声の重みと厚み。
迷いなき強い意志の発露。
熱狂の渦を生み出す狂気。
その実現には心を震わせるほどの強い声が求められる。
ボイストレーニングを受ける前は持ちえなかった武器だ。
学んだことを今から試せる。
新たなおもちゃを手に入れて喜ぶ子供のように心が躍った。
さあ思いっきりぶちかまそう。
『諸君! 私はお酒が好きだ!
日本酒が好きだ。
ビールが好きだ。
発泡酒が好きだ。
赤ワインが好きだ。
白ワインが好きだ。
シャンパンが好きだ。
スパークリングワインが好きだ。
梅酒が好きだ。
果実酒が好きだ
チューハイが好きだ。
カクテルが好きだ。
焼酎が好きだ。
ウイスキーは好きだ。
ブランデーが好きだ。
ジンが好きだ。
火酒が好きだ。
ウォッカが好きだ。
スプリットが好きだ。
蒸留酒が好きだ。
家で。呑み屋で。チェーン店で。レストランで。路上で。この地上で行われるありとあらゆる呑み会が大好きだ。
メニューに羅列されたアルコール類を一斉注文し店に迷惑がられるのが好きだ。運ばれたアルコール類を一気に空にして店員の驚愕の顔を見るのが好きだ。
呑み放題の店から出禁を食らったのは悲しみを覚える。けれど大好きな呑み屋の存続のことを考えたら仕方ないと涙を呑んだ。
あの経験から質にもこだわるようになった。呑み放題だけがすべてではないと知った。酒の質はもちろんツマミも大切だと理解した。個人経営の店でちびちびお酒を吞みながら美味しい料理を食べるのが至福の時間だとも悟った。
度数の高い酒の喉が焼ける感覚が好きだ。ヤケ酒で飲み過ぎて害虫の様に地べたを這い回るのは屈辱の極みだ。記憶とともにスマートフォンと財布を失くした絶望はもう味わいたくない。クレジットカードを止める手続きをするときは情けなくて涙が零れた。行きつけの呑み屋で見つかったときは平和な日本で生まれ育ったことを心の底から歓喜した!
諸君! 私はアルコールに耽溺する地獄のような呑み会を望んでいる!
諸君! 私は最高のツマミと饗しの天国のような呑み会も望んでいる!
君たちはどんな酒を望むか?
君たちは更なる呑み会を望むか?
情け容赦ないアルコールの海で溺れ死ぬことを望むか?
贅の限りを尽くした楽園で成人病を望むか?
よろしい! ならば呑み会だ!』
一気に言い切った。
長演説を言い切ってしまった。
充実感が凄い。
忘れていたが事務所からの警告カウントも一気に急上昇している。
私は未成年。お酒はコンプライアンス的にダメみたいだ。
声色は冷静に淡々としたクール系。
何事もなかったかのように弁明しよう。
「事務所からの警告カウントが来たので弁明します。私は未成年なのでアルコール類を飲んだことがありません。うちの両親はその辺りが厳しいです。現在の保護者であるねこグローブ先生も『大事な従妹を預かっている』という意識が強く絶対に飲ませてくれません。あくまで紅カレン先輩の自己紹介ボイスの内容をアフレコしただけです」
よしこれで弁明完了。
「演説の内容については触れることがないのでツッコミも最低限です。やった私が言うのもアレですが……これ演説ですよね? 自己紹介どこ行った!? どうして名前すら名乗らない!? あと内容が色々酷い! よろしい! ならば呑み会だ! じゃないのです!」
:あかんwこれはあかんwww
:少佐www
:クリーク!(呑み会!)クリーク!(呑み会!)クリーク!(呑み会!)
:よろしい! ならば呑み会だ!
:飲み放題出禁www
:記憶とともにスマートフォンと財布を失くした絶望w
:見つかった時に平和な日本で生まれ育ったことに心の底から歓喜したは呑んだくれあるある
:出だしの声で圧倒された
:ただの呑み会の誘いなのに完全に呑まれたw
:この内容で本気の声出すなw
:上司にこれやられたら会社呑み会出るわw
:クリーク!(呑み会!)クリーク!(呑み会!)クリーク!(呑み会!)
:色々な意味でヤバい
:天国でも地獄でもダメな選択肢しかない
:成人病w
:クリークは悲劇しか生まない
:二期生の自己紹介って凄いな(棒)
:自己紹介の概念を壊しに来た
:紅カレンの紹介としては最高
:アリス演説もできるのな
:この演説を完璧にやりきりやがったw
:二人目にして悟ったこれ事故紹介だ
:誰が上手いこと言えと
:クリーク!(呑み会!)クリーク!(呑み会!)クリーク!(呑み会!)
呆れるほどにコメントの消費が早い。
このままもう少し待とう。
コメントが伸びているならすぐに次に移る必要はない。リスナーにも余韻が必要だ。
私も喉を休めたい。
「少しドリンク休憩しますね」
用意したのはなんとドラゴンブレイクではない。
とろみのあるボイトレの先生直伝の蜂蜜ドリンクだ。
喉を酷使したあとに飲むように言われている。
さすがにエナジードリンクはダメと怒られた。
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