第51話 休憩室の攻防②ー翠仙キツネsideー
「とにかく急ぐ! 絶対にいい店だから!」
「だから店なんかあるはずないやろ! そこは事務所の休憩室や!」
カレンの奴は急に走り出したと思ったらまったく意味不明なことを。
事務所内に呑み屋なんてあるはずないやろ。
虹色ボイス二期生は絶賛再始動中。
今日も全員で打ち合わせのはずやったのに。
黄楓ヴァニラと碧衣リンの復帰から色々あった。
暴走する吞んだくれこと紅カレンは相変わらず。むしろ元気になって暴走中。ちなみに今も言動怪しいけどノンアルコール状態のはずや。
甘々ロリータボイスの黄楓ヴァニラ。声もアバターも甘々ロリータなのに演者が背が高いモデル美人。意味不明な誹謗中傷を受けて少し休んでた。中身は可愛らしい物好きで繊細な姉ちゃんや。復帰後はコンプレックスごと完全に吹っ切れたみたいに明るい。
以前は二期生唯一の常識人枠としてツッコミを一手に引き受けていたのに今では悪ノリする側に回っとる。
そして碧衣リンは……残念な奴や。見た目がアバター通りのクール系美少女で歌も上手い。……なのになんで上が白い綺麗めブラウスで下が小豆色の学生ジャージやねん。そのジャージ気に入っとるのは知ってるし、寝巻に使ってるのも知っとる。上をオシャレ頑張ったなら下も頑張れや。まさか下の着替え忘れて寝巻で事務所来てるんちゃうやろな。
いつのまにか二期生の中で一番まともなのはうちになってもうた。前はヴァニラが常識人枠やったのに。
今やゲーマーの翠仙キツネがツッコミ役兼ブレーキ役になるなんて関係性も変わったもんや。
つい先日も二期生四人でオフコラボとして旅行に行ったところや。
禊のための滝行。そのあとは温泉旅館で裸の付き合いして暴露合戦。
半分以上配信できない内容やったけど、二期生の絆は固なったと思う。リスナーの評判も上々でしばらくはコラボを活発化させる方針や。今日は公式配信に殴り込みをかける打ち合わせやった。
それやのに事務所に集まった途端にいきなりカレンが「呑み屋の気配がする」とか宣言して走り出したのがついさっきの出来事や。
事務所内で「呑み屋の気配」ってなんやねん。
「……絶対におかしい。気配はすれども姿は見えず。まさか看板を出していない一見さんお断りの紹介制の店かも?」
「あるはずないやろこのどアホ! ここは事務所の休憩室やぞ。狭い路地裏に軒を連ねる呑み屋街ちゃうねん!」
休憩室にたどり着いた。
当たり前だが呑み屋なんか存在しない。
誰もおらず自販機に椅子とテーブルが置いてあるだけや。
カレンの嗅覚ならもしかして缶ビールでも持ち込んでいる社員でも感知したのかと少しだけ信じたが、昼間から会社で酒を吞むようなアホな社員はやっぱりおらんかった。
それでもカレンは諦めきれないのか自販機の側面や下側を覗き始める。
「やめい! このアホ! みっともない!」
「ツネちゃん止めないで! 今私は酒呑みとしてのプライドが試されているの! こんな美味しそうな気配は絶対に間違えるはずがない! 絶対に近くにある! そうだヴァニちゃん! 自販機の上も見て!」
「ん……了解」
「あーもうこのアホどもが」
本来なら止める側のヴァニラまで悪乗りしてジャンプして自販機を上を確認する。
黒い服着てピョンピョン飛ぶ長身のヴァニラの姿が巨大なペンギンみたいに見えて苦笑いがこぼれる。
以前ならヴァニラの長身を利用するようなお願いをするなんてできなかったことだ。身長がコンプレックスなのを知っていた。だから触れないことがマナーだと思っていた。
今や高身長の関することも気軽に口をできてしまう関係性になれた。
「アオリンも止めるの手伝ってくれ。……ってなにぼーと見とるん?」
「あれ」
そう言って碧衣リンが指さしたのは休憩室の隅に置かれている黒猫のリュックサックだった。
遠くから見るとデザインが黒猫の顔に見えるタイプ。
社会人が集まる事務所には少し不釣り合いな可愛らしく若い女の子らしいデザインだ。
「なんや忘れ物かいな。それとも今から出張で誰かが休憩室に置いとるんか。あれがどないしたんや?」
「とても残念な波動を感じる」
「……残念な波動って。ウチらには少し若いけどそこまで酷いデザインやないやろ。カレンに続いてアオリンまでけったいなことを。ってなにリュックサックに近づいとんねん。あーもうみんな好き勝手やり過ぎや! ヴァニラ。アオリンがなんか残念な波動を感じるとか言っとんねんけど止めてくれへん。カレンはウチが止めるから」
「残念な波動? リンちゃんなに見つけたんだろ」
「ほらカレン! 床に這いつくばってばっちいやろ。アオリンが動き出したから立ち!」
「うぅ~呑み屋どこ〜?」
これ以上カレンが暴走しないように首根っこ捕まえて立たせる。
振り向くとヴァニラが碧衣リンを止めようとしている。
「リンちゃん! さすがに他人様のリュックサックを開けようとしちゃダメだって!」
「大丈夫。なにも問題ない」
なんと碧衣リンが膝をついて誰かが置き忘れたと思われる黒猫リュックサックを開けようとしていた。
すでにファスナーに手をかけている。
ヴァニラでは碧衣リンの奇行を止められそうにない。
「問題ないわけあるかい。他人様のもんに触れるんはあかんってホンマに。カレンもちゃんと歩き!」
「ここに絶対呑み屋あるもん。気配するもん」
「まだ言うとんのかい!」
カレンを引きずりながら黒猫リュックサックに近づく。
すでに碧衣リンの手は引かれていて、ファスナーは開けられてしまったようだ。
「え? これは」
「うん。やっぱり」
ヴァニラが驚きの声を上げていた。
一体どんな中身なのか。
近づくとリュックサックの中身が見えてきた。
あれは白いレース。ホワイトブリム?
そう思ったのも束の間。
黒猫リュックサックに足が生えて唐突に立ち上がった。
その内側から小さな手が出てきて、黒猫リュックサックの外側と思われた布が取り払われる。
中からちっこいメイドが現れた。
「……よくぞ見破りました。まさか私の偽装スキルが破られるとは。さすが虹色ボイス二期生の先輩方です」
初対面。
その姿をリアルでは見たことがない。でもわかる。その噂を聞かない日はないし、リズ姉からも直接聞いていた。配信も欠かさず見ている。
なにより虹色ボイス事務所にいる可能性のあるちっこいメイドなんて一人しかいない。
事前に色々な話を聞いていた。
さすがに背びれ尾びれがついているのではないか。そんな疑惑が生まれるほど程の伝説の持ち主。一期生のミワちゃん先輩すらも「……なんか凄い子」と呆然とさせた三期生。
いつか出会う心積もりでいた。覚悟もしていたはずだった。
だがしかし!
「どんな登場の仕方やねん! 未知との遭遇すぎるやろ!」
気づけば本能の赴くまま全力でツッコミを叫んでいた。
これがウチら二期生と三期生真宵アリスの出会いや。
お読みいただきありがとうございます。
毎日1話 朝7時頃更新です。




