第42話 迷走コラボレーション⑤ー桜色セツナsideー
最近の私はずっとアリスさんの背中を追っていた。
後追いなら慣れている。
憧れの背中を追いかけるだけ。
「うん……向かい合ってまともに勝負して、勝てるはずないよね」
視線の先ではミサキさんが劇的な敗北を迎えていた。
あまりに現実離れした大技に苦笑いしか浮かばない。
『忍者? 違うこれはNINJA! 黒猫メイドロボが伝説を乗り超えてアリス疾風伝の開幕だぁっーーー!!!』
相変わらず竜胆スズカ先輩の実況がノリノリだ。
アリス疾風伝はちょっと読んでみたい。
なぜか冒頭から九尾を従えている尻尾フリフリお耳フサフサなアリスさんが神出鬼没な幻のラーメン屋台の店主している光景が浮かんできた。
究極のラーメンを探求するアリスさん。屋台を探す忍者から逃げ隠れたり、食い逃げを目論む忍者を捕まえたり、吞んだくれ忍者が屋台に居座っていたり。
くだらないことで繰り広げられる無駄に熱い忍者バトルが見所だろうか。
想像してみたらちょっとでは済まない。
かなり読んでみたい。
思考が完全に脇道で迷子になったが、アリスさんはまだ動いていなかった。
他人の頭上を跳び越える大ジャンプ。
さすがのアリスさんもすぐには立てないようだ。床にしゃがみこんでいる。
今が好機。致命的な隙にしか見えない。
事前にミサキさんから話を聞いていなければすぐにでも駆け出していただろう。
あの体勢からでもアリスさんは私の手を防御する。
だから見る。
アリスさんの呼吸を盗めと言われた。人間は駆けだすときに息を吸う。走るという行為は人間が行う最大級の全身運動だ。事前に身体が必ず酸素を求める。
向かい合うと呼吸さえフェイントで偽られてしまう。けれど防御から逃げにスタンスを変更するこのタイミング。このときならばアリスさんの呼吸を盗むことができる。
ミサキさんに教えられた。
……正直、アリスさんとミサキさんの高度な心理戦は意味が解らない。
アリスさんはもちろんだが、ミサキさんもかなり面白い人だと確信する。
顔をうつむけたままアリスさんの身体が少し小さくなる。
新鮮な酸素を取り入れるために、大きく息を吐いたのだ。
アリスさんがゆっくりと顔をあげる。その口はわずかに開けられていた。浅く長く。けれど全身に酸素が染みわたる。見ていても呼吸のタイミングがわかりにくい。
これがアリスさんの呼吸。
喉に優しい。心が穏やかになるとても静かな深呼吸だった。
アリスさんが駆けだす。
同時に私も溜めていた足に力を入れた。
『おぉーと! 再び走り出したアリスちゃんの後方から気配を消していたセツナちゃんが姿を現した! 速い! これは速い! けれどこれでアリスちゃんを捉えることができるのか!?』
『ただ後ろから追うだけだと、避けられるはず。アリスちゃんが気付いて……あれフェイントかけない? 真っすぐ加速した!』
『先行する真宵アリス! その背中を追う桜色セツナ! 両者一歩も引かないデッドヒートが始まったぁーーー!!!』
桜色セツナになってずっと追っていたアリスさんの背中。
その背中はとても大きくて、とても小さい。……というか本当にアリスさんは小さい。
動きは速いが歩幅は狭い。
最高速度ならばミサキさんの言うように私の方が速かった。
一定の速度に乗るまでの数秒が勝負。ミサキさんはそう言った。
それまでに追い付けと言う意味ではない。
このタイミングで追走を始めれば、心理的に切り替わる。
追い駆けられる者の心理。走りで挑まれると純粋に走りで勝負がしたくなる。
勝負種目が鬼ごっこから追い駆けっこに変更される。
追い駆けっこならば回避されることも防御されることもない。
勝つにはこの方法しかない。
もうすぐ直線が終わる。
その前に伸ばした私の手がアリスさんの背中に触れる。私がずっと追ってきたアリスさんの背中だ。ようやく追いつく。
念願だったその背中についに手が届いた。
そのことは素直に嬉しい。
頑張った成果だ。
だけれども!
デビューから背中を追ってきたの意味は、絶対にこんな物理的じゃない!
『ついにタッチ!!! セツナちゃんがアリスちゃんの背中にタッチしたぁーーー! 二人して床に倒れ込む! デビューしてからずっと追っていた背中! 桜色セツナがつい真宵アリスの背中に追いつきました! この感動を私はどう表現すればいいのでしょう!?』
『……背中を追うの意味が違うんじゃないかな』
胡蝶ユイ先輩に全面的に同意します。
全身から来る疲労。力を出し尽くした達成感。息を継ぐのもしんどい。心臓がバクバク鳴っている。
その手の先にはアリスさんが倒れ込んでいた。
さすがのアリスさんも疲れが溜まっているのか音が聞こえるほど息が乱れている。
そういえば今日が初対面だった。
会ってなにを話そうか。色々考えていたのに全てが吹き飛んでしまっている。
ずっと会いたかった。
あなたと出会えてよかった。
あなたと出会えたから私は変わることができた。
生まれてきてくれてありがとうございます。
そんな憧れと感謝の言葉が浮かんで消えた。
状況に似つかわしくないし、違う気がした。
桜色セツナは真宵アリスに憧れるだけの存在ではない。
だからと言って「直接会うのは始めまして。これから三期生の仲間としてよろしくお願いします」と改めて他人行儀に挨拶するのも嫌だ。
すでに疲労困憊で考えるのもしんどい。
思考は真っ白。
自然と口から出たのは、今朝からの地続きの言葉だった。
「はぁはぁ……アリスさん。今日はずっと言いたかったことがあるんです」
「――なにセツナちゃん」
「ツン対応をやめてください。さすがにツンのモールス信号で『おはよー』はわかりにくいです」
「ん……実は私もそう思ってた」
ほら。ちゃんと話せば言葉は届く。
わかりあえる。
不思議の国の住人のように話が通じないわけがない。
今日一日とても遠回りしてしまった。
遠回りしたのはアリスさんで、あわや富士登山するところだったが。
ドッキリの誤解はどうやって解こう。
どう考えても富士山にたどり着いた経緯を説明する言葉は見つからない。
あなたの身内は重度の方向音痴と言う不治の病です。トゥーランドットなんです。
これでわかってもらえたら逆に怖い。
自分が理解できないものを相手に理解してもらうことはできない。
わかる人に丸投げしよう。
そんなことより私は推しと仲良くしたい。
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