第41話 迷走コラボレーション④ー七海ミサキsideー
「作戦は立てた。引き立て役は前座として全力を尽くしますか」
気合を入れ直すために軽くストレッチする。
短距離を走る前のよう背筋とアキレス腱を伸ばして肩と手首をほぐす。
昔は誰かの引き立て役でいることが嫌だった。
どこまで必死に頑張ってもギリギリの三番手が最高の成績。表彰台に嫌われた。ずっと誰かの背中に追いつけないまま競技を終える。決勝の舞台の数合わせ。そのために呼ばれているかのような自分が許せない。先に進める人は限られていて、先に進むためのラインを下回る自分に何度も失望した。
だから高校時代を終えて競争の世界からも遠ざかった。
それなのに今は楽しめている。
七海ミサキの立ち位置がお気に入りだ。
三期生の主役は誰がどう考えても真宵アリスと桜色セツナ。
人気実力とも傑出しており、勢いと華がある。
そしてリズ姉は大人っぽくて安心感を与えてくれるまとめ役のリーダー。
七海ミサキは役割が希薄な四番手の引き立て役だ。
「とても美味しい役どころだよね」
最初は自分のキャラクター性の弱さに悩んだ。
アリスちゃんがデビュー配信から爆発した。セツナちゃんは自分を見つめ直して、才能を開花させた。
リズ姉も積極的に先輩方とのコラボ企画に参戦して、お姉さんキャラクターを確立していた。現在は一期生や二期生からも姉呼びのリズ姉で慕われている。
動画配信中心。七海ミサキだけ影が薄い。
そんな悩みを解決してくれたのは、やっぱり頼れるお姉さんのリズ姉だった。
『悩む必要ないと思うけどな。キャラクター性は個人の持つ個性であると同時に、グループ内の役割の側面が強いから』
『グループ内の役割?』
『例えばあたしだけど。実は前歴がアダルトゲーム声優だからね。実はデビュー前、セクハラや下ネタの集中攻撃を受ける覚悟をしていたんだよね。炎上前提みたいな。でもそうはならなかった』
『……セクハラや下ネタ。それはまた』
言われてしまうと想像できた。
確かにそういう悪ノリが横行しやすい前歴かもしれない。
けれどリズ姉の配信は炎上とは無縁でどちらかと言えば穏やかだ。お悩み相談コーナーなどが多い。女性のリスナーの固定ファンも多いのが特徴だ。
『たぶん三期生のリズ姉だからだと思うの』
『三期生のリズ姉だから?』
『アリスちゃんとセツナちゃん未成年二人組の恩恵かな。あの未成年二人組のお姉さん。露骨なセクハラできると思う?』
『……なるほど。だからグループ内の役割』
納得できる説明だった。
けれどリズ姉の慕われる人柄あってこその話ではないだろうか。
そんな私の疑問にも、リズ姉は苦笑いしながら答えてくれた
『やっぱり自分のことを客観的に評価することは難しいのかな。人は誰しも自分で思うほど普通じゃないんだけどね。いつも冷静沈着で洞察力に長けていて考え方が深い。あたしはミサキさんを凄く頼りにしている。でも、これは求める回答じゃないよね』
『過分な評価だと思うけど素直に嬉しいよ』
『素直に受け止められて偉い。ではそんなミサキさんに、お姉さんから面白おかしいキャラクターを教えてあげよう。あのアリスちゃんとセツナちゃんに慕われて頼られる普通の常識人。とても不思議で凄く美味しい役だよね』
その言葉はストンと胸に落ちて沁み込んでいった。
グループ内の役割。客観的に見れば自分はその立ち位置にいるのだ。知らないうちに自分のキャラクターが確立されていた。
『そっか。だから悩む必要はないんだ。すでに私は三期生の七海ミサキとして、美味しい役をもらっているんだから』
『そうそう。ミサキさんはミサキさんらしく客観的な視点で、常識的な深い助言をくれないと困るのよ。アリスちゃんとセツナちゃんはどうも斜め上に行きがちだし。ミサキさんがいないと、あたしも自信をもって常識を主張できないから』
『ふふ。私って実は重要だね』
『そうだよ。今頃わかったの?』
自分の居場所がちゃんとある。
どうも私は三期生の暴走を食い止める役割もあるらしい。
メインはセツナちゃんに任せたが、作戦の立案にアリスちゃんの足止め役と大忙しだ。
やる気が出ないわけがない。
陸上の大会のときよりも集中できている。当時よりも身体はなまっているがメンタル面は格段に上だろう。リラックスしたまま頭が冴えていた。
もうそろそろアリスちゃんがオフィスを周回してくる。
「さてアリスちゃん。終わらせようか」
「今度はミサキさんが待ち伏せですか。前に立って私を捉えられるとでも?」
「いい加減疲れてきていると思ってね」
「それだったらまだ余裕です。引きこもりながら、ずっと呼吸法の鍛錬を積んでいましたから」
「待ってアリスちゃん!? 元ネタが容易に想像つくけど、まさか習得したの?」
「……残念ながら私には才能がないみたいです。あの山を走破できる気がしない。岩も切れそうにありません」
「うん……普通はそうだよね」
悔しそうに答えるアリスちゃん。
アリスちゃんならパーフェクトコンセントレーションな呼吸も習得しているのではないか。
一瞬でも本気で期待してしまった自分が恥ずかしい。
かなり走り回っているのに、まだ余裕がある時点でおかしいが。今はスルーしよう。
短いやり取りで完全にアリスちゃんのペースに呑まれてしまった。
でもそれでいい。
私の動揺を察してアリスちゃんが加速してくる。
元々タッチすることは不可能だ。焦る必要はない。真っすぐ向かってきてくれるな好都合。
やることは足止め。アリスちゃんの走るスピードを落とすだけ。
そのために確実な方法は反則技だ。
当たってしまえばただの外道。土下座して謝り倒そう。かすりもしないと信じている。
「アリスちゃんごめん! ちゃんと避けてね」
「え?」
私が放ったのはロー気味のミドルキック。
当たり幅が大きい範囲攻撃だ。タッチするはずのゲーム。直接的な攻撃は反則だ。
さすがに虚を突かれたのアリスちゃんは声をあげた。
けれど次の瞬間、驚きの声を漏らすのは私の方だった。
「……うそでしょ」
アリスちゃんが宙を舞った。
ミドルキックを跳び越えて避ける。それぐらいなら想定内。むしろ狙い通りだ。高く跳ぶことでスピードが削がれるのを狙っている。
ただの跳躍ならば驚きもしない。
それでも驚いたのは高さが想像の上すぎた。
気づけばアリスちゃんが頭上にいた。しかも天地を反転させた逆立ちの体勢で、私の肩にそっと手を置いた。そのまま私の真後ろに、音もたてずに着地する。
アリスちゃんの大技に実況席から聞こえてくる大歓声。
『決まったぁーー! ここで捕縛チームのエースミサきちが脱落。魅せる! 魅せるぞこの黒猫メイドロボ! 跳んだと思ったらミサきちの肩の上で逆立ちしていた!』
『……アリスちゃんって自分よりも背の高い大人を跳び越えられる跳躍力あるんだね』
『忍者? 違うこれはNINJA! 黒猫メイドロボが伝説を乗り超えてアリス疾風伝の開幕だぁーーーっ!!!』
第三者から見るとそう映るのか。
アリスちゃんがやったのはかなり高度のある伸身前方宙返りだ。
恐ろしいことに私の肩はアリスちゃんの重さをほとんど感じていない。
本当にただ触れただけ。
助走で得た運動エネルギーだけで私の頭上を越えて伸身で跳びあがり、通過するときに私の肩に触れていった。それだけだ。
厳密に言えば私の肩の上で逆立ちはしていない。肩に重みを感じなかったのは本当に触れただけだからだ。着地のための回転軸に少し利用されたかもしれない。
目の前でやられたから術理はわかる。
もしもアリスちゃんが私の肩を踏み台にもう一回跳躍していたら、そのままスピードも落とさずに加速して走り去ることができただろう。
そうしなかったのは私に体重をかけないためのアリスちゃんの気遣いでしかない。
完敗だ。
完全に予想の斜め上を行かれた敗北だった。
スピードを削ぐ目的は果たされている。
けれどアリスちゃんが手加減してくれたから、成功したに過ぎない。
手加減と言うならば。
あらためて周囲を見回す。
ここはオフィスフロアだ。大量のデスクがある。
私たちは常識で縛られていた。
デスクで仕切られた空間を鬼ごっこのフィールドだと思い込んでいた。
「……アリスちゃんって机の上という空中戦なら世界狙えたんだよね」
言葉の意味はわからない。わからないけど空中戦で勝てる気がしなかった。真空飛び膝蹴りの異名は伊達ではない。
アリスちゃんは攻撃という手だけではなく、ついさっきまで空中戦という翼も封印していたのだ。
人間は床の上を走るだけではない。こんなに高く跳びあがることもできるのに。
……アリスちゃんは跳び過ぎだが。
「そりゃあ挟み撃ちにしたぐらいだと、甘いと言われるか。相手の頭上を跳び越えるだけじゃない。やろうと思えば、デスク上のパソコンや書類を一切踏みつけることなく高低差も無視して、机の上を縦横無尽に疾走するぐらいできそうだし。アリスちゃんが常識ある子でよかった。……机の上でアクロバティックな走りを決めてはいけません。小学生の頃より大人になったんだね」
変なところでアリスちゃんの成長に感動してしまった。
すぐ後ろでアリスちゃんが再び動き始めている。
さすがに大ジャンプの反動で止まっていたが、また走り始めるみたいだ。
セツナちゃんは作戦通りに足を止めたアリスちゃんを放置した。
飛び出したくなる衝動をグッとこらえてくれたみたいだ。
一見すると捉える好機と思うかもしれない。けれど足を止めた時点で、アリスちゃんは防御スタンスに移行している。触れることは不可能だ。
あとは逃げに移るアリスちゃんにセツナちゃんが短距離走で勝負を仕掛けるだけ。
全ては作戦通りだ。
なんでもありのルールだったなら勝てる気がしない。
でも制約がある戦いならば勝てる。
なにしろアリスちゃんはセツナちゃんに甘い。
「あとはセツナちゃん次第。私はリズ姉からお茶をもらおう」
振り向けばアリスちゃんとセツナちゃんのデッドヒートが始まろうとしている。
私の役割はすでに終わっている。
セツナちゃんは最高のタイミングでスタートを決めていた。
もう大丈夫。
「これでも短距離走経験者だからね。追われる者の心理もよく知っている。アリスちゃんは必死で自分の背中を追ってきてくれる妹分を無下にできない。自分を追い越そうとする才能ある後輩の手を、避けることも振り払うこともできない」
総合力では負けている。
なら勝てる分野の勝負に追い込むだけだ。
すでにアリスちゃんはセツナちゃんとの全力疾走の勝負を受けてしまった。これで防御や回避のスタンスに移行しない。
なぜなら人間は走っている途中で後ろから追われると、走り勝ちたくなるから。
お読みいただきありがとうございます。
毎日1話 朝7時頃更新です。




