第188話 世界に叛逆するネットTV配信⑥-真宵の国のアリス-
ステージ上に再現された暗い部屋。
光り輝くディスプレイを前にメイド服の少女が三角座りしている。
少女の口はずっと動いていた。
ディスプレイに映るアニメーションのセリフを全て繰り返しているのだ。
それが真宵に引きこもる少女の日常だった。
「ずっとアニメの登場人物のセリフを繰り返してました。一言一句違わずに抑揚をつけて。感情を込めて。このシーンではなにを思う? なに求めている? 意図は? そんなことを考えながら。通信制の高校に籍を移して、一年近く引きこもってましたからね。時間は有り余ってました。中学生のころからの趣味です」
真宵アリスは三角座りをしている少女の頭を撫でた。
少女は無表情のまま。けれどサラサラと髪が揺れる。
投影された映像。
触れられるはずがないのに確かにその手は頭を撫でていた。
「ネット冤罪被害のあと、私は両親と仲違いして家を出ました。理由は認識の違いですね。私の精神状態はまともではなかったですし、両親は『ただのネットの書き込みでしょう?』と軽く考えていました。今はもちろん和解して会っていますよ。けれどこのときは誰も私の苦しみをわかってくれない。そう意固地になっていました」
ホワイトブリムを整えて、メイド服の全体が見えるように正面を向く。
そしてひらりと一回転した。
たなびくスカートがふとももに巻きつく。
「家を出た私は従姉のお姉ちゃんでママ……VTuberのイラストレータをそう呼ぶのですけど、ねこグローブ先生の家に住むことになりました。引きこもるにも環境を変える必要があったんです。着の身着のまま飛び出したので替えの服がない。そこでねこグローブ先生から渡されたのがメイド服でした。元コスプレイヤーさんです。メイド服を常備しているんです。面白いですよね」
ゆっくりとした手つきで。
今では着慣れたメイド服を撫でていく。
「その日から私はメイド服以外を着なくなりました。当時の私は自分が嫌いだった。別の誰かになりたかった。そのためにコスプレは最適でした。メイド服を着ている。メイドになったのだ。そんな理由をつけて家事は全てやってます。ごみ捨てや買い物など外出の必要があるもの以外の全てですけど。ちなみに今もメイド服で仕事し、メイド服に着替えて、メイド服で寝る日々です」
ドヤ顔を浮かべて言い放つ真宵アリス。
その隣で映像に変化があった。
メイド服でキッチンに立つ少女。
そんな少女を見守る二人の大人の女性。
一人は背が高いものの少女と顔がそっくりだ。
「家に引きこもって家事をしてアニメを見る。そんな生活でしたがVTuberとの距離は近かった。ねこグローブ先生はモデリングの仕事をしていて、もう一人の女性はねこグローブ先生の親友です。虹色ボイス事務所でマネージャー業をしている。今の私のマネージャーです。この二人の影響で配信を見るようになりました。……あまり期待はしていませんでした。VTuberにではなくただのネット不信です。そしてネット上では私の想像通りの事件が起きます」
少女が見ていたディスプレイの映像がステージいっぱいに広がる。
その映像の中では虹色ボイス二期生の黄楓ヴァニラが誹謗中傷にさらされて、引退に追い込まれようとしていた。
赤く大きなフォントで目立つ誹謗中傷のコメントの数々。
けれど少女が見ていたのはその背景だった。
目立たないフォントだが誹謗中傷の何百倍もの数の励ましの言葉が並んでいた。
背景だった励ましの言葉が前に出てきて、誹謗中傷の言葉を覆い隠していく。
『……この世界は思っていたよりも優しいかもしれない』
少女の口からアニメのセリフ以外の言葉が漏れる。
そこから少女の物語が始まった。
「こんなにも励ましてもらえるなんて。ネット上には悪意ある言葉が溢れている。けれどそれ以上に応援の声など好意的な言葉も多い。それは活動を通じて、言葉が届いていたから。想いが伝わっていたから。話を聞いてもらえるから」
真宵アリスが顔を伏せる。
泣きそうな顔を伏せる。
「ネット冤罪に晒されたとき、私の言葉は誰にも届かなかった。誰も聞いてくれなかった。何者でもなかったから。けれどVTuberになれば、私の言葉も誰かが聞いてくれるかもしれない。伝わるかもしれない。……ネット冤罪を消せるかもしれない。私にはそれが希望に見えた」
チェス盤の少女が七マス目に進む。
:アフレコ芸
:こんなに病んだ状態でやっていたのか
:過去が過去だからな
:ネットに興味のない人からすればそうだろうな
:デジタルタトゥと言っても伝わらないだろうし
:世代もある
:ねこ姉www
:いい人なんだろうけど登場するだけで笑えるw
:出た瞬間わかる変人感
:アリスをメイドにした諸悪の根源であり神
:イラスト好きだぞ
:VTuberのママとマネージャーが近くにいる環境
:ロリコーン事件
:誹謗中傷は目立つけど本当はほんの一部だからな
:世界が優しいか……考えたこともなかった
:そこから希望を見いだせるのが凄い
:あと一マス
二人の女性に腕を大きく広げて説明する少女。
VTuberを目指すと心に決めた。
少女と似た顔の女性はすぐに頷き、もう一人の女性も苦笑いを浮かべた。
こうして少女のVTuberデビューが決まる。
「もちろん審査はありました。けれど私はコネでVTuberデビューしました。あとから聞きましたが虹色ボイス事務所的には歌手枠での採用だったらしいです。配信に関してはなにも期待されてませんでした。引きこもりですからね。そしてデビュー配信の日が来ます」
メイド服姿だった少女が真宵アリスのアバターに変身する。
優しい空を思わせる勿忘草色の髪。
左右に分けた前髪長めのショートカット。
耳はメタリックな巨大イヤーカフが猫耳シルエットを形作っている。
身にまとうのはもちろんメイド服。
お尻部分から猫のしっぽ型の充電ケーブルがうねうね伸びていた。
ステージ上にはリアルとバーチャル。
二人の真宵アリスが並んでいる。
一目見てそっくりだとわかる。
片方は実写なのに恐ろしいほど似ていた。
でも当然違いはある。
アバターはケープを羽織っていない。
なにより身長が十一センチも違うのだ。
真宵アリスも身長の違いに気づいた。
わざわざ自分の頭に手をかざし、少し背の高いアバターとの身長差を確認する。
そして項垂れた。
残酷な現実だった。
画面越しでわかるほど実写の真宵アリスのテンションが下がり、瞳からハイライトが消える。
その姿はリアルなのに、バーチャルのアバターよりも現実感が薄れていた。
「くっ……私はデビュー配信で痛感しました。配信は楽しい。皆が耳を傾けてくれる。私の言葉が届く。想いが伝わる。私の居場所はこのステージにあった。そう思ったのです」
隣でアバターが歌い始める。
デビュー配信で歌った曲だ。
真宵アリスはアバターの歌に今の自分の歌を重ねた。
アバターの音源はデビュー配信当時のもの。
それでも当時でも十分に上手かった。
上手かったのだが少し声がか細い。
対して現在の真宵アリスの歌声は圧巻だった。
音程の取り方や感情表現だけではない。
声量と音の厚み。
基礎から異なっている。
地道で本格的なボイストレーニングで積み上げた歌声には一音で人を虜にする魔力が宿っていた。
一年間の活動を通じてどれほど成長したのか、見せつけるように歌がステージ上に響き渡る。
その音の波は配信の向こう側まで届いた。
歌は終わり。
真宵アリスが浮かべているのは後悔の表情だ。
「デビュー配信の途中で自分の過ちに気づきました。ネット冤罪を晴らすため。そんなことのためにこのステージに立ってはいけないと」
そう言い残して真宵アリスはステージから去る。
ステージ上にはアバターの姿が残されていた。
チェス盤の少女は八マス目に到着する。
けれどプロモーションは起こらない。
少女のマスの両側には白のクイーンと赤のクイーンが現れた。
二人はステージのアバターの隣にも出現する。
白と赤のクイーンがアバターに問いかけた
『不純な動機でVTuberになろうとした真宵アリスに何者かになる資格はあるのかしら?』
『ない……かもしれない』
『けれどあなたは始めてしまった。すでに多くの人が応援してくれている。その人を裏切るの?』
『裏切りたくない』
『配信してみて楽しかった?』
『楽しかった。皆が聞いてくれた。居場所が見つかった気がした』
『なら続ければいい』
『……でも』
『判断がつかないのであれば委ねてしまうのはどう?』
『委ねる?』
アバターの問いかけに二人のクイーンは答えない。
ただ白のクイーンはアバターの頭にあるホワイトブリムを白いティアラに変える。
赤のクイーンは真宵アリスに湾曲した短い宝剣を手渡した。
二人のクイーンとアバターが姿を消す。
誰もいなくなったステージ上に真宵アリスが現れる。
アバターと同じ姿になっている。
白いティアラを身につけ、その腰には宝剣を携えている。
その背にはケープがマントのようにはためく。
その姿はメイド服なのに、どこかクイーンを彷彿とさせた。
「答えが出せないまま収益化配信が始まりました。今日と同じように自分の過去を語った。実は収益化配信が始まる前から、私の中にあったネット冤罪の恐怖は消えていました。あったのはステージに立つ資格が自分にあるのかという疑問だけ。実際にネット冤罪の件は私が自分の過去を話すと簡単に晴れました。やっぱり言葉を聞いてもらえること。伝えようとして伝わることは素晴らしいことです」
一年近く引きこもるほどに重い過去だった。
ネット冤罪を晴らすためにVTuberになった。
そのはずなのに収益化配信のときには重要性が薄れていた。
手段に過ぎなかったVTuber活動こそが真宵アリスの目的になっていたから。
「ネット冤罪を晴らしたあと、私は座右の銘を語りました。ただ格好良くて好きだっただけの憧れの言葉を」
『The Show Must Go On』
「一度幕を開けたショーはなにがあっても続けなくてはいけない。勝手に幕を下ろすことは許されない。そういう意味の言葉です。一年前の私はこの言葉を引用して、リスナーの皆様にに問いかけました」
『あなたが望んでくださるならば私はショーを続けましょう』
「……他人に答えを委ねたんです。自分に自信が持てなかったから。結果として私は今もステージに立っています。皆様の応援の言葉を受けてVTuber活動し続けてます。けれど、今日私は座右の銘を更新したいと思います。この一年で私も成長しました。今なら胸を張って言えます」
真宵アリスは笑みを浮かべた。
見る人全てを魅了するような存在感がある。
光に満ち溢れた。
けれど同時に儚くも感じる。
そんな満面の笑みを。
チェス盤ではクイーンに扮した少女が光りを放ち始める。
プロモーションの輝きだ。
真宵アリスは配信の視聴者に向かって手を差し伸べた。
『The Show Must Go On』
「私に会いに来てください。ショーの幕を上げて待っています。必ず楽しませてみせるから。あなたを笑顔にしてみせるから。あなたの目の前にあるディスプレイは光り輝くステージ。私のチャンネルを開けば、ショーの幕は上がる。だからあなたの手でショーの幕をあげましょう。この虹色に光り輝くステージに私はいます!」
ショーの幕を上げるか否かを視聴者の意志に委ねている。
そこは一年前と変わっていない。
それなのに言葉の意味が大きく異なっていた。
もう自分の活動を他人に委ねたりしない。
ショーの幕を自分の意志で上げている。
だから会いに来て。
あなたがスマートフォンやパソコンを操作して、ディスプレイの中のショーの幕を上げてほしい。
再生ボタンを押してほしい。そこに真宵アリスはいるからと。
ステージが虹色の輝きを放っている。
真宵アリスの後光がさしている。
「さあショーの幕を上げましょう。誰も見たこともないステージに。アリス劇場にようこそ!」
そう言い放つ姿はまさに女王の風格が漂っていた。
:リアルとバーチャルが並んだ
:本当にそっくりだな
:身長www
:……現実はなんて残酷なんだ
:負けるのわかっているのにバーチャルの自分と背比べするなw
:なんで実写の方が現実感なくなるんだろコイツ
:この歌デビュー配信の奴
:相変わらず上手いと思ったけど今のアリスの方がヤバい
:当時も凄い新人が現れたと思ったのにここまで成長するか
:うま
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:パチパチパチパチ
:ブラボー
:ん? アリスいなくなった
:ついに八マス目
:プロモーションしない?
:ここで赤と白のクイーンの登場か
:鏡の国から出張中
:出張言うなw
:アリスの衣装変わった
:ホワイトブリムがティアラに
:それに宝剣?
:本物のアリスも姿が変わっている
:湾曲しているからサーベル
:宝刀かな
:なんにせよ王族っぽいな
:多くの人に言葉を伝える力か
:The Show Must Go Onキター!
:座右の銘が変わった
:一年前は俺たちに活動を委ねていたのに
:こうしちゃいられない早くアリス劇場を登録して見なきゃ……すでに登録済みでメンバーシップに加入済みだわ
:俺もwww
:してきます
:ご新規さんいらっしゃい
:真宵の国のアリスにようこそ!
お読みいただきありがとうございます。
わかりづらいのでわざわざ解説する引用。
第一章の『The Show Must Go On』は映画「ボヘミアンラプソディー」のモデルとなったバンドの「Queen」から来てます。
実は不思議の国はハートの女王、鏡の国ではチェスの駒のクイーンなどQueenが出てくる。
第一章と最終章はほぼ同時に出来ていました。
最初から主人公がプロモーションしてクイーンになる話です。
毎日1話 朝7時頃更新です。




