第185話 世界に叛逆するネットTV配信③-もう角で叩くことにした-
笑顔を振りまきながら殺気も振りまく。
そんな器用な挨拶を終えると、真宵アリスは無表情になって瞳を閉じた。
まるで電源が落ちたかのような急激な変化。
全身から虚脱感が漂う。
再び瞳を開いたときはハイライトが失われていた。
アバターのコスプレと無表情が組み合わさり、人間らしさがまるでない。
本物のロボットのように無機質だ。
いつも配信を追っているリスナーからすれば見慣れたアバターの表情だ。
それなのにコメント欄の流れが止まる。
整い過ぎた顔立ち。
微動だにしない立ち姿。呼吸や予備動作のない挙動。実写のはずなのにアバターでの配信よりも現実感が失われていく。
画面から目が離せなくなる。
呑まれた視聴者を無視して、真宵アリスはトテトテと歩き出す。
向かう先は怪物の箱の裏。そこに置いていた小道具を取りに行った。
ステージ上に置かれたビールケース。
手作り感のあるプラカード。ポップなフォントで『許すな』と赤く書かれている。
無表情の真宵アリスはビールケースに乗った。
プラカードを掲げて、抑揚のない声でシュプレヒコールを上げる。
「『誹謗中傷を許すな』『流言飛語に厳罰を』『個人情報の保護を』『ネットでなにをやってもいいと思うな』『VTuberに人権はないのか』」
無機質な声色。
力強さは感じられない。
それなのに声量は十分にあり、ステージ上に響き渡る。
とても空虚に広がっていく。
シュプレヒコールを終えると、真宵アリスの瞳に生気が戻る。
少し潤んでいて泣きそうな眼だ。
「本日はクソコラの件や私の身バレや誹謗中傷など、色々と言いたいことはあります。でも私がこのステージでどれだけ泣き叫んでも伝えたい人には届きません。今日のスタージャムを見ている視聴者様はわかってくれている。わざわざ私が言わなくても理解してくれている。人を貶めてはいけません。デマを流してはいけません。こんなの常識ですよね」
:びくっ!
:怖い
:メイド服の幼女が微笑んでいるのに
:こら幼女言うな!
:アリス怒ってる
:リアルで瞳のハイライト消すな
:無表情だと余計に怖いな
:実写で登場した方が本物のメイドロボっぽいとか
:顔が整い過ぎて現実味ない
:ビールケースとプラカード?
:デビュー配信のやつwww
:まさか野比家に?
:誹謗中傷を許すな!
:流言飛語に厳罰を!
:VTuberに人権はないのか!
:今日は真面目なシュプレヒコールだった
:うん
:でもちゃんと言わないといけない大事なことだよな
プラカードがだらりと下げられる。
やるせない。
どうしようもない。
もう笑うしかない。
そんな表情を浮かべる。
「二年前、私は経験しました。自分の言葉が誰にも届かない絶望を」
言葉が紡がれる。
年齢相応ではない。
見た目相応の幼さを残した声色で発せられた。
「一年前、私は経験しました。自分の言葉が誰かに届く喜びを」
ぎゅっと胸の前で拳が握りしめられる。
瞳はカメラからそらさない。
「言葉は聞こうとしてくれている人には届く。けれど聞く気のない人にはどれだけ泣き叫んでも届かない。伝えたい相手に言葉を届けるのはとても大変です。すごく難しいことです」
泣きそうなのにもう涙は流れない。
見る人。
聞く人。
全ての人の心に語りかけていく。
「私は多くの人に言葉を伝える手段としてVTuberという職業を選びました。だからよく理解してます。ずっと考えています。どのように言葉を伝えるべきか。どのような言葉が届くのか。どうすれば相手に理解してもらえるのか」
真宵アリスの苦悩が言葉ににじむ。
過去を知るリスナーは固唾を飲んで耳を傾ける。
初見の視聴者は真宵アリスに圧倒されていた。
「けれど悪意を持っている人には、どれだけ言葉を費やしても無駄かもしれない。最初から聞く気がない。そんな人にどのような言葉が届くのでしょう? どうすれば伝わるのでしょう? 理解してもらうことはできるの? ……届いたとしても嘲笑われるだけ。相手を貶めて、苦しむ反応を見て楽しむ。必死に言葉を費やせば費やすほど『遊びにマジになっているバカ』と笑われる」
口調は淡々と。
しかし熱が帯びる。
真宵アリスは再びプラカードを持ち上げて、角の部分が指さされた。
「だから今回の騒動で私はプラカードを思いっきり振り下ろすことにしました。面ではありません。角です。危険なプラカードの角でいきます。今日のステージは過激ですよ。皆様も角で殴られないように気をつけてください」
それは言葉が届かない相手への宣戦布告だった。
シュプレヒコールのような抗議活動ではない。
戦いの宣言だ。
ステージ上に設置されていた怪物の箱とマットはいつの間にか姿を消していた。
代わりにクロマキー合成用の緑のシートが敷かれている。
次の舞台の準備完了だ。
真宵アリスはプラカードを置き、ビールケースの上で背筋を伸ばした。
そしてエプロンドレスのスカートの裾をそっと持ち上げる。
そして左足を後方内側に引き、右足の膝を軽く折り曲げてお辞儀する。
とても美しいカーテシー。
「さて冒頭からお騒がせして申しわけありません。スタージャムは音楽番組です。このような主張を行う場所ではありません。皆様を楽しませる場です。視聴者を楽しませる。それが一番大事なことでございます。失礼してしまい申し訳ございません」
いつのまにか落ち着きのある大人の声色に変わっている。
表情も柔和だ。
見る人を安心させるように笑っている。
先ほどまでの張りつめた空気はなんだったのか。
視聴者は安堵の息をはいて、真宵アリスという少女を再認識しようとする。
しかし、できなかった。
「それでは準備が整いましたので次のショーに移りましょう。仮想空間の映像を取り入れたミュージカル風の楽曲です。題名は『Alice』」
そこにいるはずなのに像がつかめない。
力強い跳躍。
強気で怖い笑顔。
人形のような無表情。
泣きそうな少女。
大人びた女性。
真宵アリスは一人なのに、全ての存在がなにも繋がらない。
慣れているリスナーだけは理解していた。
すでにアリス劇場は始まっている。
舞台はバーチャルではなくリアル。
世界が違うはずなのにステージ上で同じ光景を見た。
違和感は感じない。
これはいつものアリス劇場だと受け入れていた。
ならば最後まで鑑賞しようと。
真宵アリスはカーテシーを終えて、お腹の前に両手を重ねている。
「本当はアバターを用いた楽曲なので、今日のような実写では映像が対応しきれていません。今回は急な決定でしたから不完全な舞台かもしれません。完成品は三期生デビュー一周年の四人でのコラボ配信をお待ちください」
ステージがゆっくりと暗転していく。
真宵アリスもビールケースから降りた。
そして微笑む。
「私の過去と現在と未来を描いた舞台の始まりです」
:二年前と一年前で真逆で過酷な経験を積んでいる十七歳
:経験に裏打ちされた言葉が重い
:改めて真宵アリスのデビューのきっかけが……
:またプラカードを振りおろすのか
:ねこグローブ先生
:角w
:そっか角か
:相変わらず声がコロコロ変わるな
:久しぶりの大人びた声
:生カーテシー
:姿勢が綺麗だな
:いつの間にか怪物の箱が消えてた
:謝罪とお礼はしっかりしているよね……謝罪とお礼は
:ねこグローブ先生w
:懐かしい
:今回は生贄にされなかったな
:Alice
:ミュージカル?
:初お披露目
:なんというか……アリス劇場だな
:リアルもバーチャルも関係ない
:むしろ表情が見えるリアルの方がヤバいなこいつ
:バーチャルの方が異常さが抑えられていたのか
:過去と現在と未来か
:アリスの過去は重いな
:……真宵アリスってVTuberじゃなかったの?
:初見か?
:初見さんいらっしゃい
:リアルでも通じそうなのになぜバーチャル?
:引きこもりだから
:詳しくは今から行われる過去を見ればわかるよ
お読みいただきありがとうございます。
毎日1話 朝7時頃更新です。




