第145話 休憩時間の裏話⑤-翠仙キツネの懺悔-
『引きこもりVTuberは伝えたい』第2巻
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キツネ先輩は立ち上がり、自販機横のゴミ箱まで歩いていった。
カランという軽い音。
いつの間にか缶コーヒーを飲み終わっていたようだ。
私はドラゴンブレイクがまだ残っている。
話に聞き入ってしまっていたから。
「さてようやくアリスちゃんへの懺悔や」
「さっき言っていた自己満行為条例違反ですか?」
「そうそれや。去年のアニバーサリー祭が終わったあとに二期生は破綻した。アリスちゃんも知っての通りロリコーン事件発生でな。ヴァニラの心が折れた。あのときはアオリンが動いた。一期生の先輩方も事務所の上層部に噛みついて滅茶苦茶動いてくれとった。あの人らは『ヴァニラを守らなかったら事務所を辞める』と脅してたんやで」
「一期生の先輩方がそんなことを?」
「ずっと事務所が矢面に立って演者を守るべきや。そう働きかけててんて。誹謗中傷の被害の把握。顧問弁護士雇って訴訟すべきかどうかのライン策定。すぐに事務所が動ける体制を徐々に整えとったところやった。一期生はアンチの矛先が二期生に向かっていることを、ずっと気にしてくれとったんや」
まだ私が所属していない頃の虹色ボイス事務所の内部事情だ。
一期生が辞める。
それは虹色ボイス事務所の崩壊を意味している。
受け入れられるはずがない。
それほどまでに大きく揺れていたのだろう。
動かなければいけないときに動いた。ずっと準備し、働きかけていた。
だから一期生の先輩方は演者だけではなく、スタッフ一同から慕われているのかもしれない。
「当時のウチは自分勝手な義憤に駆られて、当たり散らすだけの大バカやった。アオリンの暴走も知らんかった。先輩方の動きも気づかんかった。全部後で知ったことや。ホンマ……役立たずやったわ」
「役立たずではないです。キツネ先輩とカレン先輩がヴァニラ先輩と何度も話して立ち直らせたって」
「うん……そこやねん。なぜ腐りきっていたウチがそんな行動に移せたか。それはアリスちゃんの存在があったからや。あの日ウチは事務所を辞めるつもりでおった。ヴァニラが辞めたら二期生も崩壊。ウチもいなくていい。もう自分から辞めたろ。そういうつもりで事務所を訪れた」
「自分から辞めるつもりで」
初めて聞いた。
ヴァニラ先輩が辞めようとしていた。
そのことは聞いていたけど、まさかキツネ先輩までとは。
「まあ性根から腐ってたからな。被害妄想が爆発しとったんよ。なんでヴァニラが誹謗中傷されなあかんねん。ネットのろくでもない連中が全部悪いやん。この一年頑張っていたんやぞ。なんでこんなことで。ウチも色々溜まっていて限界やったんやろな。完全に自暴自棄や。そこで出会ったんが三期生デビューの話。ちょうどアリスちゃんとこの従姉の姉ちゃんとマネージャーが『真宵アリスをよろしくお願いします』って頭下げてたんよ」
「ねこ姉とマネージャーはそんなことをしていたんですね」
「大事にされとるな。『弱い子かもしれません。でも自分を変えようと必死に足掻いているんです。ずっと足搔き続けているんです』って事務所内を根回しや」
「……足掻く。さっきの」
「そこで聞いたんや。ウチは三期生デビューは二期生を見捨てるためやと思い込んでた。応援する気なんか毛頭ない。あったのはただの自分勝手な怒り。完全に八つ当たりやな。一年近く引きこもっている弱い子をデビューさせるなんてあり得ん。潰れるだけや。本人の望みでもバカなことさせるな。叱りつけて家から出せばいいやろってな」
「それは……そうですよね」
常識的に考えればその通りだ。
おかしかったのは私。
コネを使ったのも私。
ねこ姉もマネージャーも無理を通してくれただけだ。
「とにかく否定したくて近づいた。……そして見事に返り討ちや」
「返り討ち?」
キツネ先輩はそう言って私の前に立った。
そして深々と頭を下げる。
「申し訳ございませんでした。私はアリスちゃんが引きこもる原因になったネット冤罪の件で書き込みしてた一人です」
「え? ……え?」
「今更謝られても困るのはわかっています。謝罪は自己満足に過ぎない。不特定多数でしかないネットの誹謗中傷の加害者が名乗り出て、謝罪しても困惑するだけかもしれません。けれど、あの日からずっと謝罪したかった」
「あー……えっとキツネ先輩頭を上げてください。私は気にしていないので」
驚いた。ビックリした。
キツネ先輩が書き込みしていた一人だったことよりも、急に謝罪されたことに。
怒りも憎しみも湧かない。
あるのは驚きと困惑だけだ。
ネットの誹謗中傷なんてそんなもの、と割り切っている。
発生した事実は悲しい。
けれど顔の見えない不特定多数の犯人捜しには興味がなかった。
名乗り出られても正直困る。
キツネ先輩は顔を上げて、大きく肩を落とした。
「……やっぱりそういう反応になるよな。ヴァニラからも言われとってん。『ただの迷惑。自己満行為条例違反だからやめなさい』って。ヴァニラも被害者やったからな」
「えーと……はい。そうなりました」
三度キツネ先輩が頭を抱えて私の横に座った。
なんというか……いたたまれない!
軽いリアクションしか出来ないことに罪悪感が芽生えてくる。
「そうやろな。アリスちゃんからすれば相手にしてられへん。当時のウチの書き込みなんて知らん。所詮その他大勢の悪意でしかない。今更になって謝られても困るだけやと思うわ」
「…………怒った方が良かったですか?」
「被害者にそこまで気を遣われたら、本気で立ち直られなくなるな」
怒らない方がいいらしい。
対応が難しい。
キツネ先輩は大きくため息を吐く。
「あの日、事務所でアリスちゃんの事情を聞いたウチは打ちのめされたんや。引きこもりのきっかけになった偏差値の高いエリート高校生の醜聞。それにかこつけて、ウチは巻き込まれただけの少女を笑い者にしていたことを思い出した。ヴァニラを誹謗中傷した連中と変わらへん。なに被害者面しとんねや。どの口で三期生デビューを反対しようとした? そこから足掻いて再起かけとる奴の邪魔しようとするとかあり得へんやろ。自分のクズさに吐き気がした」
「………………」
黙ることを選んだ。
言葉が見つからないし、たぶん返事も求められていない。
黙って告白を聞くべきだ。
キツネ先輩は最初から言っていた。懺悔だと。
「怒りに任せて事務所に乗り込んだのに、そのままスゴスゴと逃げ帰った。でも一度自覚したら、もう逃げられへんねん。自己嫌悪と罪悪感と後悔がウチを責め立てた。反発する。誰かのせいにする。ネットのせいにする。それだけを支えにしてた。そんな腐り切った性根がしょーもないプライドとともに粉々になった」
当時のことを思い出したのか、キツネ先輩の顔に乾いた笑みが浮かぶ。
自分自身に向けられた嘲笑だ。
「デビューしてからの出来事が走馬灯のように駆け巡った。ウチはどこまでも空っぽの傍観者やった。自分からはなにもせんかった。したつもりになっていただけ。お客様気分やったのはウチの方。お客様でいることで、安全地帯にいるつもりやった。仲間になろうとしていなかった。そんなタワケがなにを喚いていたんやろ」
私は三期生の中でお客様ではなかった。
それは同期の仲間が積極的に話しかけてくれたからだ。自分から働きかけたわけではない。甘えているのだろう。
同世代で固められた二期生。
世代が少し分かれている三期生。
その違いもあるかもしれない。
「情けなさすぎて流す涙はない。だけど涙以外の無駄なもんはなにもかも零れ落ちていった。……そうしてウチの中に最後に残ったんが聞いたばかりの『足掻け』という言葉。そして『真宵アリスという三期生の後輩ができる』という事実や」
「私ですか?」
「ウチはようやく客観的になれた。二期生がボロボロの状態で三期生をデビューさせるのか? 物凄い負担や。二期生が見捨てられたんやない。このままやと三期生に尻拭いさせようとしているの間違いやろ」
削ぎ落とされて、心の視野を狭めていた遮蔽物も取り除かれる。
私にも覚えがあった。
学校を辞めて区切りをつけた。
少しだけ自由になれた。
「なにかウチにできることはないか。まだなにもしてないやん。ずっとなにもしてこなかったやん。足掻こう。とにかく足掻こう。今このとき足掻かなウチはずっと後悔する。後ろめたさに潰されながら、生きていくことになる。だから足掻け。自分を変えるために足掻こうとしている後輩ができる。その子に謝るためにも足掻くんや」
足掻く。
手足を動かしジタバタする動作。
それだけの意味ではない。正解かはわからない。無様かもしれない。それでも活路を見出すために自分から動き出す。そんな意味もある。
心を溺死させないために。
闇の中で、必死で光り輝く場所を求めているのだ。
「そう決意してウチはカレンに連絡した。……すでにアオリンが暴走しまくったあとで、カレンと二人で爆笑するしかなかったけどな」
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