第141話 休憩時間の裏話①-エスプレッソを最大限台無しにした味-
『引きこもりVTuberは伝えたい』第2巻
電撃の新文芸から今夏発売中!
前話までのおふざけ配信回からの真面目なリアル回突入です。
二期生はただのコント集団ではなく、ある意味リスナーに一番近い苦労人の集団なのですよ。
――ゴクゴク。
喉で弾ける強炭酸。
トロッとした強い甘みが薬の風味を誤魔化し、糖分のエネルギーを全身に供給する。
過剰な糖分とカフェインの奔流が染みわたる。
身体への影響が強いので、エナジードリンクの頻繁な摂取は健康に良くないとされている。
その中でも一際ヤバいと言われているのが、ゲーマー御用達のドラゴンブレイク。
この施設の自販機を管理している人はわかっている。
体育館が隣接した施設だ、
糖分に需要があるのだろう。
ドラゴンブレイク以外にも、いくつも心惹かれる怪しい飲料が並んでいた。
だがドラゴンブレイクが置いているならば、ドラゴンブレイク以外の選択肢がないのが真のフリークである。
そんなどうでもいいことを考えながら、結家詠はボーとした頭でドラゴンブレイクを喉に流し込んでいた。
「……ふう」
今日はまだ終わっていない。
でも疲れた。
特にゲームの最終戦。
ずっとパニックになりながらバタバタしていた。どう動いたのかも覚えていない。
途中でペンライトが光らないことに気づいて、何度スイッチをカチカチしたかわからない。
上からグレネードは降ってくるし、いきなり斬りつけられるし、碧衣リン先輩が味方から滅茶苦茶撃たれている。
思い返してもハチャメチャだ。
私は自分の記憶が正しいのか自信がない。
碧衣リン先輩はなぜ仲間に撃たれていたんだろう。
記憶を疑うほどに疲労困憊だ。
あと一曲。
次に行われる夜のライブパートで私の出番は終了だ。
歌うのは『アームズ・ナイトギア』のエンディングの通常バージョン。
テンポの速い曲ではなくダンスもない。
まだ大丈夫。
問題なく歌うことができる。
気合を入れるためグッと拳を握りしめた。
「よし頑張るぞ」
アニバーサリー祭が始まってからずっと動き続けている。
運動量だけならば、メンバーの中で私が一番は多いかもしれない。
それを活動内容がライブにFPSゲームなど大型イベントの中心に置かれてるからだ。
けれどその活動に集中するために、配信の回しやフリートークなどが大幅に免除されている。
総合司会のリズ姉とミサキさんはずっと配信に出ずっぱりだ。
華と存在感のあるセツにゃんはサポートの立ち位置。
メリハリと勢いをつけるための重要なアクセント。
随所に登場して配信を盛り上げているらしい。
二期生の先輩方はずっとコントをやり続けているかのように騒いでいる。
合間のミニコーナーで笑いを取る。
予定時間をオーバーしては、リズ姉からレッドカードを出されて退場処分。
今日初めてのはずなのに、すでに配信から追い出される流れが完成していて盛り上がっているらしい。
一期生の先輩方はオープニングライブで私よりも多く歌って踊っていた。
今回の配信ではメインで進行をしていない。
目立つ役目は二期生三期生に任せる方針だ。
それでも配信に出続けているし、配信の流れをスムーズにするための安定剤として機能している。
活動量は二期生三期生よりも多いだろう。
それなのに笑顔を絶やさない。
本当に楽しそう配信の雰囲気を盛り上げている。
やはり虹色ボイスの顔は一期生なのだ。
私も準備や出番待ちもあり、今日の配信の全てを確認できているわけではない。
マネジャーからは過去最大の盛り上がりと聞かされている。
その成功は皆の活躍があってこそ。
全員が自分の役割を果たしているからだ。
配信休憩中の今も他のメンバーは移動の準備を手伝っている。
「先輩方はもっと大変なはず。まだ後夜祭パートまであるし。私も役立てるようにならないと。疲れている場合じゃない」
重要な役割は任されていると思う。
でも言われたことをやっているだけだ。
配信の進行などを考えずにいられる立ち位置だ。
精神的な疲れなどは他の皆より少ないはず。
それなのに私だけが休憩するように言われてしまった。
疲れが顔に出てしまっていたのもあるだろう。
けれど純粋に手伝えることが少ないのもまた事実。
普段から運営スタッフとは距離を取っている弊害だ。
コミュ障で、男性スタッフに近寄れない。
スタッフと直接コミュニケーションを取ることがない。
そんな私が急に手伝おうとしても邪魔になるだけだとわかっている。
「もっと人と接する。いつまでもマネージャーやセツにゃん達に庇ってもらうのはダメ」
気合を入れ直す。
やる気再充電だ。
だいぶ人と話せるようになった。関われるようになった。だからもう一歩前に。
そう決意していると、不意に人の気配を感じた。
見知った気配。
でも一人は珍しい。普段から賑やかな二期生のキツネ先輩だ。
「アリスちゃんここに居ったんか」
「なにかご用ですか?」
「用は用やけど、用事やないよ。アリスちゃんと話したいことがあってな。隣いいか?」
「はい」
拒否する理由もないので了承する。
翠仙キツネ先輩は安心したように笑って、自販機で缶コーヒーを買った。
私も利用した癖の強い自販機で。
「あ……それ」
「ん? ただの缶コーヒーや……で? なんやこれ!?」
「確かその自販機に缶コーヒーは『ミルク増しすぎてエスプレッソを最大限台無しにしたうえで甘さの極みに挑戦した激糖味』しか置いてなかったはず」
「商品名を全部覚えているやと!? 合ってる……合ってるけど遭ってもうた気分や。あー……興味あるんやったら一口いるか?」
非常に心惹かれる提案だった。
未だかつて『エスプレッソを最大限台無しにした』と商品名に明記された缶コーヒーに出会ったことはない。
あまりの衝撃に十秒ほど自販機前で凝視してしまった。
ドラゴンブレイク一択だったはずなのに迷ったのだ。
たぶん平時ならば買っていた。
でも今日は理性が勝った。
疲労困憊なときに飲料で冒険してはいけない。
だがしかし!
キワモノ飲料との出会いは一期一会だ。
ここで逃すともう二度と出会うことはないかもしれない。
いつまでも販売されていると思ってはいけない。
再発売やロングセラーされるならキワモノじゃない。
そんなことが許されているのはエナジードリンク業界だけだ。
できることなら飲んでみたい。
でも相手は先輩だ。
断腸の思いで断ることにする。
「それは……さすがに……悪いですから!」
「そんな自分に言い聞かせるように断らんでも。……ここはウチを助けると思って少し飲んでくれへんか? さすがにこの飲料に一人で挑む勇気はないねん」
「わかりました。一口いただきます」
私の横に座った翠仙キツネ先輩はなぜか爆発物処理班のように慎重になりながら、缶コーヒーのプルタブを引いた。
そして私に缶コーヒーを渡してくる。
「はい。一口目どうぞ。これなら回し飲みとか気にせず飲めるやろ」
「え? えーと……別に気にしませんけど、先にいいんですか?」
「実験台になってくれたまえ。先輩のために先陣切って犠牲になるのも後輩の務めや」
「ふふ……ではいただきます」
私に気を使わせないためだろう。
冗談めかしなキツネ先輩の申し出を素直に受け取る。
缶を受け取って一口。
途端にドラゴンブレイクを上回るねっとりとした甘さが口の中に広がった。
鼻の奥まで届くようなミルク感。
エスプレッソの苦みや香りなど皆無だ。
後味の微かに残るコーヒー牛乳の風味がエスプレッソの残骸か。
見事なまでの敗北。むごいことをする。
飲んだ後も甘さとミルク感が口の中で激しく戦い続けている。
まさに激糖味。
「こ……これは!」
「なんやなんや! 本気でヤバいもんやったんか!? ウチは後輩イジメするつもりは欠片もないで!」
「コーヒー牛乳風味の練乳?」
「………………なんつーか物凄い甘ったるいのは伝わってくるな。不味くはないんやろうけど」
「はい。好きな人は好きかも。でも私は一口で十分です」
缶コーヒーを返して、ドラゴンブレイクで口直しする。
先ほどの一口のせいで甘さに対する味覚が鈍い。口の中に残るミルク感がエナジードリンク特有の薬っぽさと混ざり合う。……エグい。飲み合わせが悪い。でもすぐに慣れるはず。ドラゴンブレイクはこんなところで負ける子ではない。
キツネ先輩はかなり躊躇いながら『ミルク増しすぎエスプレッソを最大限台無しにしたうえで甘さの極みに挑戦した激糖味』を口に含んだ。
「あっま! なんやこのミルキー! 甘さよりも想定をはるかに超えてくる圧倒的なミルキーの存在感! エスプレッソ? コーヒー牛乳の間違いやろ。薫りも苦味も酸味も台無しにされとる! まさか普通のコーヒーやとただの練乳味やからエスプレッソ仕立てにしただけなんか!?」
「……キツネ先輩。お口直しにドラゴンブレイクを一口いります?」
「この流れでドラゴンブレイクやと!? うちもよく飲むけど絶対に合わんやろ。……でもせっかくやから一口もらおか」
「はい」
お返しのドラゴンブレイクを手渡す。
よく飲むという言葉に偽りはないようで、今度はキツネ先輩も躊躇なく口に含んだ。
そして苦悶の表情を浮かべてドラゴンブレイクの缶を返してきた。
「……エグい。甘みはもちろんやけど、それよりもミルキーさとカフェインの独特の薬っぽさの組み合わせがエグい。……なんでアリスちゃんは顔色変えずに飲めるん?」
「訓練すればどんな味の組み合わせでも、ドラゴンブレイクで乗り切れます」
「訓練が必要な時点であかん味やと思うんやけど!?」
お読みいただきありがとうございます。
毎日1話 朝7時頃更新です。




