第七話「静謐」
夜も更ける中、百余段の階段を上がり着いた場所は寺だった。
当然周りには誰もおらず、虫の音がチラホラと聴こえてくるほどに音も少ない。
大きな境内は清掃が良くされていてゴミ一つ見つかりはしない。
修景寺。歴史は古く、江戸時代の人形使いの拠点ともされていたそこには、今でも多くの人形使いが修行と鍛錬に励む場所となっている。
「かつてはここが啝式協会の本元だった。とはいえ江戸時代の頃の話だが」
「【風詠】。予知系の特異で最強の名を轟かせていた時代か」
特異。それは日本人形、つまりは啝式にのみ与えられた異能力。
風詠という人形は、未来を見通し何百年も先の未来を視ていたという。
「とはいえ、彼女が何百年もの未来を視たのは一度きりだがな」
「【異形】の復活。よね?」
「あぁ、江戸時代に現れた人ならざる影。人形はそれらを倒すために作られたものだ。そして異形が消え去ってもなお作られ続けるのは、異形が復活するという風詠の予言があるからだ」
数百年前の人形の言葉を信じ、存続し続ける。そこには何か宗教的なものを感じる。
「もし、このまま復活してこなかったらどうするつもりなんだ」
シュレイの問いかけに、詩ノ原は苦笑した。
「それは悪魔の証明だ。来るかもしれないし来ないかもしれない。災害と同じものだ。異形という存在がこの世に現れかもしれないとなった以上、私たちは備えねばならんのだよ」
「その予言のせいで起こる火種があるわけだが。それも世界中に広がるものが」
ドールヒートラインが収束することは当分ないだろう。
今や日本のものだけではなくなった人形。それが無くなることはいつになるのだろうか。
詩ノ原は天を仰ぎ、
「私は国の違いで争ってほしくはない。どちらも人間が操り、人形が従う。それに違いはないのだからな」
詭弁だ。
戦場を歩く私の率直な感想はそれだった。
同じ国の人間だろうと争いは起こる。
気に入らない人間を淘汰し、内戦で友人を殺し合うことだってある人間に、そんな手と手を取り合うなどということは、主人の話のとおり同調圧力という力による抑止でしかあり得ない。
そんな会話をしていると、寺の正面の扉が開いた。
「こんな夜更けに君から連絡があるとは、私も驚いたよ。詩ノ原」
出てきたのは坊主だった。
黒い和装を見に纏い、柔和な表情。しかし、どこか無機質な雰囲気を含む男は、詩ノ原にそう言った。
「すまんな統蓮路。お前にしか頼めないことでな」
そう言って、詩ノ原は私が担いでいる少年に視線を送ると、統蓮路もこちらに視線を移す。
「ふむ、さっきの連絡で言ってた子か。【栞】、あの子を医務室へ」
周りには誰もいない。
誰に言っているのかと尋ねようとした瞬間、
「はい、かしこまりました」
「……ッ!」
声はすぐ後方から聞こえた。
振り向くとそこには黒い髪に赤い瞳、目元を紅で染めた着物の女が立っていた。
「お預かりします」
「……頼む」
呆気にとられながらも私が少年を預けると、女は寺の奥へと歩き出していく。
「今の人ー、全く気配を感じなかったよー」
「ええ、まるで突然現れたかのようだったわ」
ミィナとクリアノーツは、それぞれ驚きの声を漏らす。
「アレが序列一位の人形か?」
シュレイの問いに対し、統蓮路は頷く。
「そう。あの子、栞が私の相棒だ。以後お見知り置きを、モルフォ部隊の皆さん。それじゃ、どうぞお入りください」
そう言われ、俺たちは寺の中へ案内された。
「まさか啝式協会がそこまで黒いとは、私の想定以上だ」
大広間に誘われた私たちは、序列一位の主人、統蓮路に今知っている情報を伝えた。
統蓮路はため息をつく。
「とりあえず、当分は第一支部に赴かないほうが良いだろう。【八咫烏】も動いていることだろうしね」
「八咫烏というのは?」
シュレイの問いかけに詩ノ原が口を開く。
「啝式協会直属の特殊部隊と思ってもらうのが、一番手っ取り早いかも知れんな。我々序列入りが純粋な力のトップだとしたら、彼ら八咫烏は技術のトップだ」
「つまり、私たちみたいな感じってことー?」
「……そうかもしれん。暗殺、証拠隠滅、偽装はお手の物で、人形と互角に渡り合える主人もいる」
「それは中々ね、興味が湧いてくるわ」
クリアノーツが舌舐めずりをすると、詩ノ原は手で静止する。
「やめておけ。貴殿らでは人形同士の一対一ではどうにかなるかもしれんが、主人を含めば勝ち目は薄い。それに、貴殿らがこの事件に関わっているということがバレるのは都合が悪いはずだ」
「……冗談よ。全くこれだから年配者は嫌いなのよ」
「はは、年配者と来たか。確かに私たちはもう人生のターニングポイントは超えてるしなぁ」
統蓮路は笑いながら膝を叩いた。
「しかし、まだ現役引退というわけにも行かない。この事件くらいは解決していかないとな」
「自主的に引退することができるのか?」
「可能だよ。今時、殉職まで現役で居座り続けるというのは時代錯誤だ」
それが言えるのは平和ゆえの事だ。戦場なら未だにそれはホットワードだ。
「もし私が引退したら、次に一位になるのは……」
「私、もしくは序列四位の月宮だろうな」
「序列二位じゃないのー?」
ミィナの質問に、統蓮路は茶を啜りつつ、
「二位の双樹院殿は【不動の二位】だからね……」
「……訳アリということか」
双樹院自体の名は有名だ。何十年もの間、啝式協会を支え続けたいわば生きる伝説となっている。
周囲を業火で焼き払う啝式【気焔】との連携は世界中に轟いている。
「さて本題に戻そう。少年がいた場所は啝式協会第一支部の研究室だった。それに間違いはないね」
「問題はなぜそんな場所に居たかよね」
「……つまらん話だが、人体実験以外の何物でもないだろう」
「私も主人に同意します」
今まで口を開いていなかった無縁は、そう言って詩ノ原に同調する。
しかし、問題はその研究の内容だ。子供を使った人体実験。逆に言えば子供しか使わない研究とは一体何なんだろうか。
「頭部が無くなっているというのも気になる。なぜ切り落とした」
「んー、これはミステリーだね。啝式協会に直接尋ねるのが一番ラクだけど、答えてくれるとは思わないし、気分を害して八咫烏達とやり合いたくもない」
「そうであれば、我々が独自に動くしかあるまい」
「……私たちは一時モルフォ部隊本部に戻る。今回の作戦の予想よりも長期化しそうだし、報告もしなければならない」
「……その報告を待ってもらうのは」
統蓮路の言葉にクリアノーツは即座に首を振る。
「無理よ。私たちは国家に帰属しない。誰かの為に私的な事で動かないことによって今、この地位が成立している」
一年前。アメリカに帰属していた私たちは多くの損害を受けた。同志の死も多く、その戦争で国家間の上下関係はより際立った。
それからというもの、モルフォ部隊は国に帰属するのではなく独立へと移行した。地獄を歩む時間は増え、激務も多くなったものの、わずか一年で人形傭兵部隊最強の名を手にすることができた。
それをいまさら、どこかに肩入れして崩すというのは絶対にやりたくはない。
「それもそうだね、いやすまない。君たちにも主義というのが存在するのだね」
「二度と同じ過ちは犯したくないからな」
シュレイの言葉は、事情を知っている私たちにはひどく重い言葉に聞こえた。
「さて、一旦お開きにしようか。モルフォ部隊が帰るとなれば、少し時間をあけてもう一度ここに来てもらおうか。作戦会議も兼ねてね。三日後でいいかな?」
私が三人に目配せすると全員小さく頷く。
「それじゃ一旦解散ということで。くれぐれもみんな裏切らないでね?」
そう言って統連路は短くウインクをした。