2
兄に謝罪を促されたものの、アルマの本日の活動区域である屋敷の中には魔女がおらず、顔を合わせる機会すらなかった。魔女と向き合わさなかった事実と大義名分に安心しつつ、アルマは部屋でため息を吐く。
「お……」
ふと窓から外を見ると、門に一台の馬車が到着していた。扉が開き、中から父親と小さな魔女が出てきた。流行からいくらか型落ちした古い馬車と、流行の最先端のローブを纏う魔女の対比を見て、アルマは子供ながらになんとも言えない気持ちになった。
まあ、しかし。それも明日までである。
(……いいや、もう知らね)
魔女の滞在が終わるまで部屋から出る気のないアルマは、生涯の中でもう二度と会わないであろう魔女のことを考えるのを止めた。
「魔女様が我が家にしばらく滞在することになった」
ただひたすらに部屋で過ごすことしかできなかったアルマの前に現れた父親は、突然そんなことを言い出した。
「はぁ!? 聞いてない!」
「今日の昼頃決まったんだ」
「なッ……!」
魔女とその従者を部屋まで送ってからすぐに来たのだろう。外套を纏ったまま土も払わずに部屋に入るとは、よほど動揺しているようだった。
貴族の中でも位の低い「領主」でありながらも、一日中王族とも引けを取らない立場の人間と相対していたからだろうか、父の顔はひどく疲れ切っている。
だが、黒の魔女が領地に長らく滞在する栄誉が嬉しいようで、口元は緩やかに弧を描いていた。
「明日までだって言ってたのに?」
しかしアルマにとっては微塵も嬉しくない。
家から出られない期間が延びる上、魔女に謝る機会が増えてしまうではないか。
「なんで」
「慰問の期間を延ばしてまで、わざわざ領地をすべて回ってくださるそうだ。ありがたいことだ」
ありがたくない!! アルマは、自分の顔が険しくなったのを自分でもわかったが、騒ぎたい気持ちをこらえて話を聞く。
「……母さんはなんて言ってるんだよ」
「ああ、母さんも了承済みだ。今は魔女様とお付きの方の食事を用意してる。張り切って明日以降の献立を考えていたよ」
「へ~え……」
この家で一番強いと言っても過言ではない母親の許可は得たのか。一応聞いてみたがどうやら杞憂だったようで、父親の話だけで厨房で楽しそうに料理をする母親の姿が目に浮かんできた。
それどころか「女の子が我が家にいるなんて!」と心を躍らせている様子すら手に取るようにわかる。
兄だって、この国の騎士らしく魔女に敬愛を抱いている。
どうも魔女が我が家で過ごすことに反対しているのはアルマだけのようだった。
そんな彼の肩に父親の大きな手が置かれる。
「で、だ」
まるで逃げられないように両肩を掴まれたアルマは、嫌でも父親の顔を見なければならなかった。
「魔女様に心置きなくお過ごしいただくために、アルマにはしっかりと謝罪をしてもらうからな!!」
「うぇ、なんでだよ!? 罰は受けてるだろ!」
「馬鹿者! 自宅で何不自由なく過ごしていたくせに何が罰だ!」
そもそも領主の息子ごときがあのような口を聞いて無事であることが不思議なんだ! と父が熱弁する声が鼓膜によく響く。父は「それにな、」とアルマの反応などお構いなしに言葉を続けた。
「訪問先で魔女様がお前を酷く気にしていてな……」
「は? 黒の魔女様が?」
「ああ」
怪訝な顔つきのままアルマが聞けば、父親はすんなりと教えてくれた。
曰く、アルマと別れてから彼女はずっと罰を与えられた子息を憐れんでくれていたらしい。
訪問先や移動中の馬車でもそわそわと落ち着きがなく、領主が不思議に思い聞いてみると、
『ご子息が私のせいで外に行けないのは可哀そうです』
『私が小さいのは事実ですもの』
『私は気分を害していませんから、気にせずにどうかご子息を許して差し上げてくださいませ』
まあ、要約するとこんな慈悲深いお言葉をかけてくださったらしい。
父親の話を聞いて、アルマはカッと顔に熱が昇ってくるのを感じた。恥か、怒りかは分からなかったが、少なくとも良い感情ではなかった。
(気に入らない……!)
余裕のある年下の魔女の行動。そして彼女に対する自分の行動の幼さが露呈した気がして胃がムカムカと落ち着かなかった。
自分だって子供のくせに。魔女の立場なのに兄を守れなかった子供のくせに。
未熟者のくせに。
うつむいて黙りこくったアルマを前に、父親はそっと肩から手を離した。
「……魔女様たちは客間で食事を摂られるそうだ。母さんと一緒にお運びしなさい」
「……」
「きちんと謝罪と感謝をお伝えするんだぞ。わかったな」
父親ではなく、「領主」としての厳しい言葉が頭上から降りかかる。
その顔を見るのがとても怖くて、アルマはうつむいたまま小さな声で「はい」と返事をするのが精いっぱいだった。