薔薇迷宮のワイルドハント
フェイズ学園の庭園は、貴族の子息子女が通う学校なだけあって豪奢で、珍しい異国の花々が年中咲き誇っている。学園お抱えの庭師が数人がかりで手入れして景観を保っているらしく、アリシアは常々無駄なところにお金をかけるな……と庭園を見るたびに思っていた。その筆頭が、七不思議の一つに数えられた薔薇迷宮だったりする。
「……相変わらず意味が分からないわね」
アリシアは庭園の一角、薔薇迷宮の入り口で仁王立ちしながら、不満げに呟いた。
「金持ちのすることに意味なんてないだろ」
「一応、私もその金持ちなんだけど」
「お嬢は感覚が庶民すぎるからなぁ」
昨晩のニッケル事件に続き、今日もアリシアたちは学校の怪談を検証しに来ていた。隣には相も変わらず完璧な女装姿を披露したライが立っている。
——庭園の薔薇迷宮に現れるワイルドハント。
「そもそもワイルドハントって嵐の夜に来るんじゃなかった?」
自身の背丈よりも高い生垣を睨みつけながら、アリシアは疑問を口にする。
ワイルドハントとはヴィルフェバーデュ国を含むプロフィルデラ大陸に古くから言い伝えられているお伽話だ。
嵐の夜、死者の霊が黒い馬や猟犬と共に夜空を行進し、運悪く遭遇した人間を異界に連れ去る。この国に住んでいる人間なら、寝物語に何度も聞かされた話だろうに。今更、七不思議に数えるのも変な話だ。
嵐の夜じゃないと意味がないとしても、一応迷宮内を確認したほうがいいのかな? と悩むアリシアを尻目に「次行くぞ」とライは踵を返した。
「確認しなくていいの?」
「〈視た〉限り、これはただの噂みたいだしな。お嬢も何も感じないだろ。それに——」
そこまで言いかけたライの背後から突風が吹き抜ける。薔薇の葉が擦れる音の中に、微かに人の囁き声が聞こえた気がした。
「今のって……」
「あー、見せたほうが早いか。お嬢、こっちだ」
ライはアリシアを引きつれ、迷宮の外側を生け垣に沿って歩き出す。最初から全て分かっているのか、ライは迷うことなく目的の場所で立ち止まった。
生垣の間。葉と葉の小さな隙間から微かに光が漏れている。
(深夜の、しかも庭園に光? ライトアップなんて粋なことしてたかしら……?)
恐る恐る、隙間を覗き込む。
「なっ⁉」
そこには二人の男女が仲睦まじく抱き合っている姿があった。
赤くなった顔を隠すように頬に手を当てて、アリシアは数歩下がる。
「どんだけウブなんだよ」とライは興味なさそうに歩き出してしまう。
「いっ、今のって‼」
「薔薇迷宮は男女の密会場所になってんだよ。あのカップルだけじゃない。迷宮内には他にもいると思うぞ」
「不純だわ……」
「学校生活の気軽な息抜きだろ。どうせみんな、卒業したら親に言われるがまま知らないヤツと結婚するんだ。それまでの遊びだよ」
ライの言うことは最もで、アリシアは唇を緩く噛みしめる。
アリシアもそうだ。
ここを卒業したら、シリル王子の元へと嫁ぐための準備が本格的に始まる。
そうなればライと気軽に話す関係も終わるだろう。幼い頃から隣にいた存在が、ぽっかりとなくなってしまう未来を想像し、なんだか無性に胸が締め付けられた。
「あそこは逢引の場所になってんだよ。知らない奴がたまたま通りがかって、聞こえてきた話し声をワイルドハントだと思ったんだろ」
応えないアリシアを不思議に思い、ライが振り返る。
「……なんて顔してんだよ」
困ったようなライの表情は珍しい。
くしゃりとアリシアの前髪をかき混ぜたライは「次いくぞ」と乱暴に背を向けた。