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悪役除霊嬢は今日も拳で祓いたい  作者: 梔子依織
閑話
16/17

君の知りえない話の続きを


 薄暗い部屋。男子寮の最上階にあるその部屋は、どの寮室よりも広く、豪華だ。


 けれど締め切られた分厚いカーテンのせいで、昼間だというのにその華美さは鳴りを潜めている。室内には二人の人物が背を向け座り合っていた。


 一人は輝く金髪を持つ、シリル・シモンズ。赤いビロード張りの長椅子に深く腰掛け、頬杖をつき宙を睨みつけている。第二王子であるシリルに与えられたこの部屋は、シリルを満足させるには程遠い。どうして王宮から通学できないのか。何度も学園長に持ち掛けては、未だ降りない許可に彼は苛立っていた。


 そしてもう一つ、彼を苛立たせる原因は——。


「アリシア・オルコット……とても綺麗な子ですね」


 苛立ちの原因を告げた人物を咎めるべく、シリルは背後へ視線を向ける。

 背もたれに座るように浅く寄り掛かる女は、シリルの視線をものともせず、優雅に微笑んでみせた。


「……ユーリア。その名を口にするな」

「嫉妬深い男は嫌われますよ」


 ユーリアは普段周囲に見せるか弱い少女の皮を脱ぎ捨て、ぞっとするような薄暗い瞳を細める。長い銀髪をくるくると指に絡めながら「それで、いったい何の用かしら?」と首を傾げる。


 シリルは苛立ちを隠そうとせず「お前に対する用なんて一つしかないだろ」と吐き捨てた。


「何かしら? 男女が密室で二人なんて、私に思いつくことは一つだけだわ」


 するりとユーリアの手が、背後からシリルの胸元を這う。その蛇のような指先を、シリルは躊躇うことなく振り払った。


「ふざけるのも大概にしろ」

「ふざけてませんわ。私は常識を言ったまでです。婚約者を差し置いて、別の女を私室に呼ぶ。誰かに見られていたらどう言い訳するつもりなんです?」


 ユーリアは体重をかけるのをやめ、シリルの前へと回り込むと、甘えるようにその膝の上へと座り込んだ。両腕をシリルの首に回し、豊満な胸を密着させる。

 眉を寄せただけで、今度は振り払おうとしないシリルに、気分を良くしたユーリアは猫のようにすり寄った。金と銀が、交じり合う。


「ねぇ、アリシア・オルコットなんて捨てて私に乗り換えたほうが得だと思いません? 侯爵家の変な女を嫁にするより、庶民の私を迎え入れたほうが国民からも支持を——」


 そこまで言いかけて、ユーリアは思わず身を離す。だが少し遅く、ユーリアは呆気なく地面へと転がっていた。ずきずきと全身が痛む。


(この王子、ほんとに女の扱いが分かってないわね!)


 ユーリアは内心毒づきながらシリルを見上げる。


 容赦なく突き落としたユーリアを労わることなく、むしろ優しくしてやったと言わんばかりにシリルはユーリアを見下した。


「言っただろう。アリシアの名前を呼ぶな」


 ひゅっと思わず喉が鳴るほどの威圧感。足を組み替えたシリルの靴先がユーリアの顎を掠め、思わず座り込んだまま後ずさった。


(落ち着け、ユーリア・カルヴァン! すべては目的のためよ)


 ユーリア何度か浅く呼吸を繰り返し、気丈にも立ち上がる。


「……シリル・シモンズ。私たちはあくまで協力関係のはずよ。上下なんてない、対等な——」

「誰が、誰にモノを言ってる」


 全身から汗が吹き出し。意志に反して体が震え始める。守るように抱えた両腕に、爪先が食い込むのですら自分の意志では止められなかった。


 アリシア・オルコットは知っているのだろうか。第一王子と比較されては、落第のレッテルを貼られてきたこの男が、何よりも狡猾で残忍だということに。いや、知る筈もない。彼女は婚約者から嫌われているなんて、馬鹿な勘違いをしているような女だ。


 ぐっと唇を噛みしめ、何とか倒れ込むことだけは避けたユーリアは「あくまで、協力関係よ」と再度強調した。


「あなたの望みを叶える。その代わり私の計画に協力してもらう。これはどちらか一方が不利益になってはならないわ」

「……分かっている。そして俺は十分に協力してやっただろう? なぁ、ユーリア」


 大衆の前で見せるような甘やかな笑みを作ったシリルは「全てお前の望み通りになったはずだ」と一瞬で表情を消す。


「お前の言う通り、まるで好いているような姿も演じてやった。下らない七不思議も広めてやった。金で雇った女をナサリー・オルフェスに近づけ嘘を伝えた。……これ以上、何を望む?」


 シリルの言ったことは全て、ユーリアが指示したことだ。ユーリアの望む未来のために。ユーリア・カルヴァンが自分自身をやり直すために。それでもまだ足りない。

 憎いオルコット家を絶望の淵から突き落とすためにはまだ——。


(馬鹿な男。アリシア・オルコットのためにやっていることが、彼女の首を絞めているなんて思いもしないでしょう。〈視えて〉さえいれば、気づけることなのに)


「まだ、目標は達成されていません。何より、知りたいのでしょう? 彼女が一体何を〈視ている〉のか」


 シリル・シモンズの望みはただ一つ。婚約者であるアリシア・オルコットの秘密を暴くこと。それは彼女との婚約解消をするためでも、晒し物にするためでもない。

 ただ、自分を見ずに他の何かに視線を向ける彼女の、その見つめる先を知りたいだけなのだ。シリルはそれだけのために、ユーリアへの協力を惜しまない。


 シリル・シモンズにとって、アリシア・オルコットは間違いなく嫌いな存在だった。



 十歳の時、彼女に告げた言葉は、間違いなく彼の本音だ。


 シリルは実の母である、ミュシャ・シモンズを何よりも美しい者だと崇めている。金色の波打つ髪に、サファイアブルーの瞳。父ではなく母に似た自身の容姿は何よりの誇りで、婚約者に相応しいのも母のような人だと本気で思っていた。


 それなのに神がシリルの婚約者に選んだのは、正反対の不気味な女で——。


——「こんな女が俺の婚約者だと? この醜い女が?」


 そう告げられたアリシアの表情を今でもシリルは憶えている。

 小さな唇が僅かに開き、覗いた赤い舌先が震えている。泣くわけでもなく、瞳は乾ききっているのに、器用にも目は悲しみをうつしていた。


 それが最初で最後だった。アリシアがしっかりとシリルを見たのは。


 その後、婚約者として互いの立場もあり、何度も会う機会はあった。王宮の庭園で開かれる茶会、互いの誕生会、十四の頃から招待されるようになった夜会。普通の婚約者よりは少ないが、それでも顔を合わせる頻度はそれなりにあったのだ。


 それなのに、あの日から一度も、アリシアはシリルを見ることがない。……いや、正確には彼女はきちんとシリルに目を合わせている。けど、すぐにその視線はそらされ、いつもどこか遠くを、存在しない何かばかり探しているようだった。


 自分から突き放した。溝を作った。こんな婚約は認めたくなかった。


 それなのに年月が経つにつれ、アリシアと一緒に様々なパーティーに参加する度に、シリルは自身の気持ちがアリシアへと傾いていることに気づいていた。


 シリル・シモンズにとって、アリシア・オルコットは特別な人間になってしまった。


 気づいていからのシリルは早かった。特別なことがなければ会うことのないアリシアとの接触を増やし、彼女の好みそうなものをプレゼントした。甘い言葉を並べ、優しく彼女の手を取ることも厭わなかった。


 けれど、どれだけ態度を改めても、アリシアが自分を見ることはない。


 それに気づいたのは皮肉にもフェイズ学園に入学してからだった。


 ナサリー・オルフェスが彼女の隣に現れたのだ。秘密を共有しあうように、彼女の〈視ている〉ものが分かるとでも言わんげに、ナサリーがどこに行くにもアリシアの隣にいた。そして怯えるように人と距離を取るアリシアもまた、ナサリーだけには気を許していた。


 なぜ。なぜ自分の隣ではないのだろうか。


 学園に入り、シリルがアリシアに会うことが全くなくなっても気に留める様子すらない。アリシアにとって自分はその程度に人間でしかない。


——「第一王子は素晴らしい方だが、シリル様はなぁ」

——「いや、逆に幸運じゃないですか。下手に優秀じゃない分、王位を脅かされることもない。神託のせいで他国との婚約が出来なくなったのは痛いが……」

——「オルコット家も災難だな。王子とはいえお荷物を抱えることになって。ああ、でもあそこの娘もたいそう変わり者だと言うじゃないか。案外、お似合いかもな」


 柱の陰で、耐え忍び聞いた言葉の数々が、シリルの胸を煮えたぎらせる。


 どうしたらいい、どうしたらアリシアは俺のことを——。


「アリシア・オルコットが何を視ているのか、知りたくありませんか?」


 入学して一年半。季節外れの入学者として話題になっていたユーリア・カルヴァンはそう声をかけてきた。上辺だけの笑みで他人を操ろうとする、性根の腐った女。それが分かっていながら、シリルは迷うことなく手を取った。


(自分から突き放したくせに、今更欲しがるなんて、どこまでも馬鹿な男だわ)


 ユーリアは目的を達成するためならどんな手段でも使う。まだ、彼女の思惑は始まったばかりだ。こんなところでシリルを手放すことは避けたかった。


「……私は約束を違えたりしません。アリシア・オルコットと同じように、あなたを視える人間にすることもできる。でも、それには」

「俺の協力が必要なんだろう。何度も言わなくても分かっている。けど俺を安く見積もると後悔するぞ。よく覚えておけ」


(とっくに後悔してるわよ)


 なんて本音は喉の奥に押し込め、ユーリアは普段の花が咲くような笑みを浮かべた。


「ええ、もちろん。では次に行きましょう。夏が明ければ、最後の年ですもの」


 舞台の幕は下ろさない。それがどんなに凄惨な結末になろうとも、ユーリア・カルヴァンがユーリア・カルヴァンでいるために。


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