オルフェス商会
「……まさかナサリー・オルフェスが男だったなんて」
「アリシアの父親から、女装して学園に通えって命令されたんだよ。趣味じゃないからな」
「僕は男に求婚したのか……」
ダリルと和解した週の日曜日。アリシア達は外出届を提出し、街に繰り出していた。フェイズ学園は週に一度、届を出すことで門限である午後九時まで外出することができる。
たいていの学生はこの機会を逃さず、友人と遊びに行ったり、実家に帰省したりしていた。
「そんなに落ち込まないでダリル。ライの女装に気づいた人は今までいないもの」
元の姿に戻ったライの隣で、どんよりと肩を落とすダリルを気休め程度に慰める。
外出のためアリシアも私服である水色のワンピースに身を包んでいるが、ダリルの私服姿も似合っていた。貴族の息子にしてはラフな姿のダリルは「で?」と誤魔化すように眼鏡を押し上げた。
「どこに向かっているんだ?」
「オルフェス商会だ。オルコット邸に向かうには馬車がいるからな」
フェイズ学園はヴィルフェバーデュ国でも一、二を争う大都市コロジーデュラを囲むように連なる山々の中に建てられている。そのため学生たちは一度コロジーデュラを経由し、それぞれの目的地へ向かうのが通例となっていた。
「オルフェス商会というと、君の実家の」
「あー、正確には実家じゃねぇ。学園に通うために名前を借りてるだけだ」
「ライは元々孤児なの。今は私の家に仕えていて、オルフェス商会には私の母の妹であるハンナ叔母さんがいるのよ」
ハンナ叔母さんはオルフェス商会に嫁いだため、オルフェス家とオルコット家は親族なのだ。そのため、様々なことに協力してもらっていたりする。
「なるほど、じゃあオルフェスじゃなくてライと呼んだほうがいいか?」
「好きにしろ。呼び名にこだわりはねぇ」
「あっ、着いたよ二人とも」
目の前には開け放たれた巨大な門。ひっきりなしに人が出入りし、高い壁に囲まれていても中の賑やかさは漏れ聞こえていた。
「いつ見ても凄いな」
「オルフェス商会はコロジーデュラを拠点に他国と主に取引している商会だからな。そこらの商会とは規模がちげぇ」
門の中に入るも、アリシア達は賑わう商会本部に向かう道を逸れて行く。
「本部じゃないのか?」
「ハンナ叔母さんは私たちと同じ〈視える〉人だから、人が多いところは苦手なの。いつも敷地内の端にある小屋にいるわ」
敷地を囲む壁沿いを歩き数分。倉庫のような建物をいくつも抜け、アリシアはようやく窓一つない小屋の前で足をとめた。
「ライはどうする?」
「……俺はここで待ってる。積もる話もあんだろ」
そう言って壁に背を預けたライは、アリシアに続こうとしたダリルを呼び止め「お前はこっちだ」と自分の隣に並ばせた。
「ん、じゃあ行ってくる」
小屋の扉が静かに閉まったのを確認し、ライは所在なさげに立つダリルを見下ろした。
「おまえ、どうしてユーリア・カルヴァンの側にいた」
その言葉にダリルは目を見開く。
「宰相の息子だからな。親に言われてあのクソ王子の側に居なくちゃいけないのは分かる。だけどユーリア・カルヴァンを気遣うのはなんでだ? 王子が気に入っているからか?」
答えによっては容赦しないとライの雰囲気が語っていた。
「なんで、か……」
ダリルにとってユーリア・カルヴァンは——。
「危険だと思った。ユーリアが王子や僕に近づく目的がみえない。何か裏がある」
彼女の目はいつでも笑っていない。それがダリルにとって酷く不気味で。平気な顔でマガイ達を連れている姿を見れば尚更だ。
最初、ダリルは彼女が同じように〈視える〉人間だと思っていた。少し探りを入れてみれば、それはすぐに勘違いだと気づく。それでも、ダリルは未だに疑っていた。
ユーリア・カルヴァンは、何か目的があってシリル王子に近づいている。
ダリルの答えを聞いたライは緊張を緩め「それならいい」と息を吐いた。
「……僕が本気でユーリアに惚れていると言ったらどうするつもりだったんだ?」
「殴って気絶させて、お嬢には腹痛で帰ったと伝えていた」
「君たちは思考が乱暴だな……」
そうならなくてよかった。
ダリルは呟きながら、降って湧いてきた疑問を何気なく口に出した。
「そういう君はアリシアのことをどう思ってるんだ?」
ライは変わらない表情のまま「さあな」と睫毛を伏せた。何故かそれ以上追及してはいけないような気がして、ダリルも静かに空を見上げ、アリシアの帰りを待った。