白ずむ者
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
いつまでも学校にいないで、早く家へ帰りなさい。
放課後、校舎に残っていて先生に出くわすと、まずいわれる言葉だ。耳にしない人の方が少ないんじゃないだろうか。
生徒たちの安全を確保する意味合い。先生たちの行う業務を減らす意味合い。ぱっと考えるだけでも、理由はいくつか思い至る。
特に不審者の目撃情報などは強い。
いや、事件性のあるものを「強い」などと表すのは不謹慎かもしれないが、根拠としては確かなもの。反論だってしづらい。
かといって、じかに見ていない、被害に遭っていない子供たちにとってはまゆつばものの情報だ。先生の目を盗んで、かくれんぼじみた「居残り」を続けているケースだってなくはない。
だからこそ、じかに味わった経験は強烈。理屈を知ろうと知るまいと、心に残って、なますを吹き続けるほどの警戒をさせる。
僕も居残りは避けた方がいいかな、と思った不可解な経験があってね。その時のこと、聞いてみないかい?
僕は昔からシューティングやアクションゲームが好きでね。特に、熟達するとクリアまで数時間程度で済む、短編系にはまって、暇を見つけては何度も行う。
RPGとかが好きな友達の中には、理解を示してくれない子もいる。「どうして分かり切ったネタばかりのステージを、何度も繰り返すのか。時間の無駄じゃないのか」とね。
指摘する子の好きなゲームは、プレイ中に何度もセーブして、話を紡いでいく長いものだ。その積み重ねなしに、さっとクリアしては、また初めからプレイし直すヤツの感覚が分からないらしかった。
個人的に分析すると、僕は一種の芸術作品を作りたいのだと思う。
実機でのプレイと補助なしの純粋な指さばきでもって、よりスマートに、よりスピーディーにステージクリアを成したい。
試行するたび、うまくいったところも改良点も見えてくる。そこをただちに直し、よりよいワンプレイをこなしていく。そのトライアンドエラーは休みの日など、朝から晩まで続けることもざらだったよ。
「あんたもよく飽きないねえ」と、親がコメントするくらいののめり込みようだった。
当時の僕の家には、祖母も一緒に暮らしていた。
祖母は落ちもの系のパズルゲームが好きでね。僕が学校から帰ってきた時など、居間でひと昔前のゲーム機をテレビへつなぎ、プレイしていることがある。いつも占拠している僕の、間隙を縫うタイミングというか。
祖母もまた、プレイするステージや設定が決まっている。
デフォルトで選べる最高レベルのステージと落下速度。あとは延々、詰まるまでやる。
落ちてくるパーツ、色、消せるものの配置など、僕が遊ぶものに比べれば乱数に左右される局面も多い。ときに無理ゲーやクソゲーじみた、展開もあり得る。
しかし、祖母はそのランダム性も好きらしい。いわく、自分のアドリブ力、処理能力が試されるから、と。
それでも、ステージのノルマなど縛られる要素はある。そして祖母のテクニックにも、どこか芸術センスを見出す僕は、祖母のクリアぷりを後ろから眺めることもしばしばだった。
その日は、文化祭を控えた準備があった。
居残って仕事をせねばならず、ようやく区切りがつくころには、日も暮れかける時刻になっている。
昼間より人は少ない。でも、皆無というほどじゃない。
近くの教室から人の気配はするし、外からも階下からも誰かしらの話し声が聞こえてくる。さびしい、と評するにはまだにぎやかさがあった。
その中、頼まれた飾りつけ道具を片付け、ひょいと顔をあげたときのこと。
数十メートル先の、廊下奥。階段の真ん前あたりが、「見えなくなっていた」。
本来、視界に入るべき、更なる廊下の続きと教室の並び、そして上り下りする階段の一部。
それらがすっかり、黒い影の中へ沈んで、見えなくなってしまっているんだ。
一度、顔をこすって二度見したけど、消えない。目に入ったゴミなどじゃない。
それでも黒い影がとどまっていたのは、二秒かそこら。
ほどなく影の一部、廊下と天井の中央辺りの高さに、ぽかりとピンポン玉くらいの穴が空く。それは見る間に膨らんで、影を内側からすっぽり埋める。
白いのっぺりとした壁と化すや、次の瞬間には本来あるべき景色が戻ってきていたんだ。
影はもう、どこにもなかったんだ。
帰りに、そちらの階段は使わず、遠回りをして家へ帰る。祖母はまた、居間でパズルゲームをやっていたが、僕が入ってくると画面から目をそらさずに問う。
「今日は、少し遅かったんだねえ」と。
文化祭へ向けた準備のためだと話すも、直後に祖母は妙なことを尋ねてきた。
「学校にいる人、100人にならなかったかい?」とね。
学校にいる人の数など、数えていない。
ずばり伝えると、もし人が減り始めても居残ることがあれば、気をつけるようにするべきだと祖母は告げてきた。
「あんたの学校は、少なくともばあちゃんが子供のころより、学校へ通う人数は多いはず。そして毎日のように、総勢が100人を切るときがくるだろうさ。
その101から100になるとき、その敷地のどこかに、かの瞬間を見届けようとするあやかしが現れることがあるのさ。
ばあちゃんたちは、『白ずむ者』なんて呼んでいたけどね」
白ずむ者。
先ほど見た、黒から白へ変わる怪しげな影を思い出した僕は、そのことを祖母へ伝える。
「そうして正解」と、祖母は返してくれたよ。
「出入りの多い場所で100人になる時なんて、たいていはまばたきする間さ。同時に出る人がいれば、それこそなきがごとしだろう。
でも、確実に繰り返されること。それが面白い。彼らにとっては、積み重ねのないその瞬間こそが楽しみ。
だからもし、100人の時が長く続くようなら気をつけておきな。あんたもあたしも、いたずらに長引く遊び、好きじゃないだろう?」
そう話す祖母の画面は、いつも以上に手こずっている。
望みの色がなかなか出てこず、脇へどけたり、やむなく間引いたり。ようやく待ち望んだものを脇へ差し込んで、ようやくクリアを迎えたんだ。
文化祭はその手前の準備も本番も、つづがなく終わった。
だが直後からインフルエンザが大流行してね、閉鎖に追い込まれたクラスもちらほらあったよ。
すっかり生徒数が減るも、月間予定表にある避難訓練は、予告通りに実施される。
廊下に整列する人数も、普段の朝礼時などからは考えられないほど少ない。そこに体調不良で保健室に向かう子が。
よほど近い家に住んでいるのだろう。生徒たちがグラウンドへ避難し終わるころには、もう家の人がお迎えに来ていたよ。
その子たちが、学校の敷地内を出たとたん。僕は見てしまう。
先ほど、僕たちが移動前に整列していた廊下。窓越しにのぞくその一角が、真っ黒く塗りつぶされているのを。
光の加減じゃない。壁に貼ってある掲示物まで完全に隠されて、ちらりとも見えなかった。
――白ずむ者か?
そう思うや、ヤツはふっと消えた。あるべき景色が戻ってきた。
だが去ったわけじゃない。
ヤツはいま、視界の右端。生徒たちを囲むようにして立つ、先生たちのやや後方にたたずんでいる。
陽のさす下、景色をすっかり隠す姿はひときわ気味が悪い。ジャージを着る先生たちより、ひとまわり膨らみを帯びるほどの大きさのそれは、じわじわこちらへ近づいてくるように見えたよ。
「あ」と僕が声をあげるのと、影が高潮のように広く、大きい波の格好となって、前に立つ先生たちへ覆いかぶさったのは、ほぼ同時のことだった。
これもまた何秒とかからない。複数名へ覆いかぶさった波は、またあっという間に白ずんで消えてしまったんだ。
あとに出てくるは、またいつもそこにあるべき景色。波に包まれた先生たちも、おのおのがまばたきしたとしか思えないのか、異状には気づいていないらしかった。
いきなり声をあげた僕は、列のすぐ後ろに控える担任の先生にとがめられる。その時は平謝りするも、あらためて影が白ずんだ後を見やって、気づいたよ。
いない。波に呑まれた先生のひとりが。
学年が違うこともあって、あまりよく知らない先生方が並ぶ。すぐに誰とは判断がつかなかった。でも、人数は確実にひとり減っている。
避難訓練そのものは粛々と進むも、直後から先生たちがざわつくのが分かったよ。行方不明になった先生に気づいたんだろう。
結局、その先生は戻ってくることはなく、代わりの先生が学校へやってきたんだよ。
あの消え方ばかりじゃない。
「百」を即座にひとり減らしにかかる者。それこそ彼らが「白」ずむ者と呼ばれるゆえんじゃないかと、僕は思うんだよ。