雛鳥日常より墜つ
ここには誰もいなかった。
いつもの夕暮れ。日はいつ見ても慣れない茜色で、雲すらその色に倣い染まっていた。
ふと気づいたら、ここまで来ていた。
誰も探しやしないだろう。だってここは名前も知らぬ無人駅。その名前のとおり人の姿はない、一人を除いて。
風に揺れたストラップに、彼女を垣間見る。
そして記憶を瞬けば、世界は少しだけ巻き戻る。あの恥だらけの、青い麻酔の効いた世界に。
だだの痴態みたいな恋だった。
憧れを恋と勘違いをしているよりも青臭く、愛を自称するよりも独りよがりな。
誰よりも、好きだった。だった、そうだ、すでにこの気持ちは過去のもの。思い返しても他人事のような、だけど、認識はできるだけの記録。
最初は髪の揺らめき。長い髪は誰の目をも惹いた。
次にこちらを見つめる瞳。その目は愛という恩恵を知る目だった。
その次は、今思い返してもどうかと思うが、脳だ。
彼女の頭から紡がれた言葉は、他の人間よりも澄んでいて、かつ、見えない泥にまみれていた。だというのに、彼女の口から溢れるのは僕にとってまさしく金言で。
そのひとつひとつが僕の心を揺さぶるのに、彼女は口を開けば己を卑下した。
クラスメイトは彼女が大好きだ。
全員が揃って好きというわけではないが、それは当たり前。百人のうち百人に愛されるなど、どれだけの善人でも無理な話だ。
他人として好きだと誰かは言った。人間性が好きだと誰かは言った。恋愛として好きだと誰かは言って、憧れとして好きだと誰かは言った。
だけど彼女は否定した。
私は好かれていない、ただ好印象が積もっているだけ。いつ悪印象が顔を出すかもわからない。好かれているのは今だけだ。
ずっと、彼女はずっとこう言っていた。
誰よりも愛されているのに、愛されていないと思っている。
誰よりも純であるのに、誰よりも穢れを知っている。
なら、僕はなんなんだ?
「いいのよあなた、それでいいの」
彼女は最期、そう言った。
そして今、彼女はもういない、どこだかへ旅立った。
僕もどこかへ行くべきだ。
清らかな愛憎にまみれた、彼女に肯定をされたのだ、この行動が間違っているなんてことはない。
僕は携帯を置いて歩きだした、そこへの足場は無い。
行き先はきっと、彼女なら知っている。俗物に腐れながらもひどく善良な、僕の世界だった彼女なら。
どうか、また会えたなら、僕のことを愛してくれないか。僕のことを肯定したように、その腕で僕をそっと、抱き止めてくれないか。
その口からこぼれる言葉がなんであろうと、僕は一喜一憂する。恨みごとでも、愛を睦む言葉でも。
だって今、こんなにもあの一言だけに揺さぶられている。
ああ、きっと。きっとこれが、恋なんだろう。
だって僕は今、君に会いたくて、恋しくて仕方がない。
そうだ。最期に君へ、拙いながらも手紙を送ろうか。
書き出しは、きっとこうだ。
『僕が殺した君へ』




