箱庭の終わり
青い空に白い雲が棚引いている。雲を追いかけて目線を動かすと、白亜の壁で遮られた。雲は白く、壁は白く、空は青い。木陰の下で寝そべり、草を薙ぐ風が髪をなで上げていく。木漏れ日が誘うように閉じられた目蓋へ気まぐれに日差しを落とし、落ちていきそうな意識を手繰り上げる。
ふと、顔に何か細長いものが垂れかかった。
「先生、何をしていらっしゃるのですか?」
目を開けると白い服を纏った眼帯を付けた少女がいた。彼女は見えている方の目を好奇心に輝かせて覆い被さっている。顔に垂れかかる長い金髪を煩わしそうに手で払い、先生と呼ばれた男が起き上がった。
「昼寝……いや、昼寝ラレズだ。邪魔されたからな。」
「まぁ、いけませんわ先生。
もう午後の授業の時間ですのに。」
「今日は風が吹いているから遅刻していくよ。」
そう言いながら男は再び木陰に寝転んだ。組んだ手と紙束を枕の代わりにして木の葉を屋根とし、大地を寝床とする。消え去ろうとしていた眠気が戻ってくるのを感じていた。
「もう、先生は大人なのにワガママですわ!」
少女が両手を伸ばして男の腰の辺りに手を差し込む。少女の身長は百三十と少しほどだろうか。男は頭三つ分くらい背が高い。彼女の腕は男の半分ほどの太さで見た目相応の華奢さだ。
だが、少女が軽く息を吐いて手を上げただけで男の体は呆気なく大地から離れた。男の重心の下へ体を置いて持ち上げたわけではない、単純に腕力で上げたのだ。
「さ、みんなが待っていますわよ!」
白亜の壁で囲まれた土地の中に、一軒の建物がある。天に聳え立つ尖塔に見下されながら中に入る。
「あ、先生!」
左腕を鉛で出来た包帯で覆った少年が嬉しそうに右腕を引き千切れんばかりに振り回していた。
「チャイムなっちゃうよ、早く早く!」
背中から純白の羽毛を生やした足のない少女が、まるでスタート直前のレーシングカーのように車椅子のホイールを小刻みに動かしていた。
「おぉぉおー!あぁあう!ぁぁあぅ!」
鉄仮面で顔を覆われた子供が重い頭を壁に当てて支えながら待っている。片方の腕には管が差し込まれその先は点滴へと繋がっていた。
四つの座り心地の良さそうな椅子と黒板がある部屋へと五人がやって来た。眼帯を付けた少女は男の肩に乗り、片手で少年をもう片方の手で子供の手を握っている。先導して扉を開けたのは車椅子の少女だ。そして、真っ先に部屋に飛び込むと男の席の横に車椅子を停めた。
子供たちを一人ずつ席に着かせて、男も自身の席に腰を下ろす。全員が座ると待っていたように鐘の音が室内に響き渡った。そして、男は酷く嫌そうな顔で言う。
「今日の授業これで終わりにしない?」
「そんな!」「ダメだよー!」「そうだそうだー!」「ぅぅうあー!」
「……しょうがないな…。」
紙束を懐から取り出した。先程まで枕にしていたせいで紙面はぐちゃぐちゃだ。
だが、その内容を読む必要はない。
「………今から、何年前だったかな。
死んだ者すら蘇らせる黄金の林檎がダンジョンで発見された。そのうちの一つを、ある連中が――つまりはこの国だが――そいつを使って実験をした。」
もう不要だと言うかのように紙束を一枚ずつぐしゃぐしゃに丸めて放り投げる。部屋の隅の空き箱に入った。
「生きた人間に使ったらどうなるんだろうか?ってな。
結果は……まぁ、言うまでもないことだ。」
子供たちの輝いていた目に不安げな色が映る。
「さて、その結果を受けてこの国の連中は二つの決定を下した。
一つはこの施設の閉鎖。」
「……もう一つは何なんですの?」
最後に残った紙を空中で折った。完成した紙飛行機はふわりと飛んで窓から外へと飛び出して、壁を超えるどころか届かずに墜ちた。
「実験体の処理さ。」
その言葉を聞いた子供たちには、諦念の色で染まりきっていた。黄金の林檎の効果は身体や知能に大きな影響を施す。あるいは聞くまでもなく察していたのかもしれない。
授業の終わりでもないのに鐘の音が鳴った。その音は別の終わりを示す音であった。
少女はそっと眼帯を外した。金銀双活の異彩はほんの少しだけ先の未来を見せてくれる。
"尖塔を中心にして白亜の壁の内側全ての範囲を、地面から空へ雷が落ちる"
地の底から感じる揺れと何らかの機巧が作動する音を聞きながら、彼らは一つの塊になった。
男のそれぞれの太腿に少年と子供が乗り、横についた飛べない羽を持つ少女は縋るように男の腕を抱き、未来を見てしまった少女は男の首元に抱き着いたまま俯いている。
蒼天へ光の柱が立ち、消えた。ひらり、ふわりと空から墜ちてくるものがあった。
紙飛行機が一機、白亜の壁を越えて草原の上に堕ちる。誇らしげな白い機体は、誰かに踏まれて潰れた。