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04 杖術士エミーナ 三

 前回までのあらすじ


・主人公、ヒロイン暗殺部隊を自分暗殺部隊と誤解

・主人公、何度も殺されながら異次元レベルの魔導技術で全敵無力化

・ヒロインからは見えない場所で戦闘終了

 ノスッタ・バートンは今年で四二になる。


 現地工作員の彼に妻子はいない。組織はむしろ家庭を作れとせっついてくるのだが、彼の故郷は東部にある。

 彼にとっての世界とは東部と、まあぎりぎり中央首都が含まれるくらいであって、西部で家族を作ろうなどと考えたことは一度もない。

 実際、家族がいたらこんな任務はできないだろうと思う。現行秩序に不満を持つ盗賊団に入り込んで現地有力者暗殺の手引きをするなど。


 なお、暗殺は失敗した。自分で手を下すでもないイージーミッションのはずだったのだが。

 そもそも暗殺そのものは本来余禄でしかなかった。成功しても失敗してもよかったのだ。本命はあくまで現地不安定化工作だったのだから。

 現行政体に不満を持つひとびとを扇動、まとめあげられた民兵戦力が出現し、社会不安が起きていることを内外に知らしめる。それが彼の仕事だった。


 だったというのは、その扇動した勢力のほとんどが一個人に腕ずくで鎮圧されてしまったからだ。

 暗殺未遂事件が東部メディアの社会面の片隅に載る。記事の末尾は次のような一文で締められる――「西部情勢は未だ安定から遠く、現状に不満を持つ失業者たちの怒りはくすぶり続けているようだ」と。それだけでよかったはずなのに、現実にはこれ以上なく鎮定されてしまったのだった。


 逃げ散ることすら許されず、後方に置いていた非戦闘員まで含めて一人残らず捕縛されたと聞いている。

 根こそぎの摘発である。

 文章にしてみればごく単純な成り行きなのだが、いまだに夢でも見ているのではないかと思わされる。


 非対称戦というのはふつうそうした終わり方にならない。というより、そもそも非対称戦には明確な終わりがない。

 政府や国家といった大きすぎて倒せない敵と正面きって戦えないからこそ、草の根レベルであちこちにはびこり、相手に全体像を掴ませず一方的に攻撃し弱体化させる。それが非対称戦だ。


 そう。絶滅回避をなにより優先する戦略をもってしてなお絶滅した。

 それも個人戦力相手にだ。


 そして、バートンはいまも取り調べを受けている。

 サラドネ地方はスパルティアン領南部、戦時難民支援区の一角に設けられた収容所の一室。

 日の差さない地下室で両手両足に枷でも嵌められ鎖で繋がれて、鞭打たれた痕が化膿し爛れて異臭でも放っていればいかにも西部のやりくちなのだが、現実には魔王に殴打された患部へ貼られた湿布から立ち上る臭いに難渋するばかりだった。清潔な貫頭衣も毎日替えを渡され、衛視の立ち合いのもとで理容師から髭も当てられている。

 叩き折られた鎖骨など、どこかの臓器へ突き刺さらないうちに当の魔王の手によって治癒せしめられていた。

 およそ地方豪族とはいえその一人娘を暗殺しようとした一味へ与える待遇ではない。


「エネル・コルトンさん」バートンの偽名を呼ばわってきた地方豪族は、取調室の机にみずから置いた書類へ目もくれずバートンの目を覗き込むようにして言った。「まずはあなたの言い分を聞こうと思う」


「おれの言い分?」エネル・コルトンは北部の乾燥地帯からあぶれたはみ出し者という設定だった。野卑で、周囲に流されやすく、ひとりでは何もできないが自分の欲求とだれかの欲求が重なるなら一もにもなく飛びついてしまう。そんな愚鈍な男を演じている。「金だよ。みんなが金を出した事業で裏切られたんだ。ほかに何があるんだ?」


「だが、それはみんな同じことだ。思うようにいかなかったという意味ではね」


「いいや、同じじゃない。あんたたちは征服と入植が思うようにいかなかったのかもしれない。運命に裏切られたのかもしれない」コルトンを演じる男は言った。「だが、おれたちはあんたたちに裏切られたんだよ。魔界の抵抗は強かったんだろう。激しかったんだろう。逆侵攻もされたんだろう。でも、だから?」


「最後の一人まで殺しつくされても異郷で戦って土へ還ってこい。そう言いたいわけかな」

「それがあんたたちの仕事じゃないのか。なのにあんたたちは生き残って、植民事業で梯子を外されたおれたちは干からびて死のうとしている。出資金も返ってこない」

「私たちが裏切ったと」

「裏切りでなくてなんなんだ? 西部では市民を守るために軍があるんじゃない。軍を守るために市民が捨て石にされる。もとからそうだとでも?」


「ふむ」じきじきに赴いて噛みつかれたスパルティアン家当主は苦笑した。挑発されたというのに怒りのひとつもにじみ出ることはなかった。「誤解がふたつあるようだ」


「誤解だと?」

「まずひとつ。軍はすでに最後のひとりまで殺しつくされている」

「それじゃなにか。あんたの背後に立ってるふたりの衛視は幽霊か屍鬼のたぐいってことか」

「似たようなものだろうな」


 まさかそう返ってくるとは思わず、コルトンを演じるバートンは言葉を失った。亡者と揶揄された当のふたりのでくのぼうは微動だにせず視線を水平に保っている。かれらを背に当主は肩をすくめた。


「かれらはいちどひとりひとり両手両足を拘束されたんだよ。たったひとりの魔王相手にね。とどめを刺されなかったのはただの温情だ」

「……それでも生きてるじゃないか!」

「そう。あなたたちが生きてるのと同じ程度にはね。勝てる未来を失ってなお、のうのうと恥をさらして生き延びている」

「ちがう、あんただ。あんたがまだ生きてるじゃないか! 西部方面総司令官のあんたが!」

「私だって死んだんだよ」

「……は?」

「西部ということでなら、むしろ私が真っ先に狙われたさ。最高権限保持者を拘束、そこから司令部を強襲。指揮系統をぼろぼろにされた我が軍、忠良たる我が手足はひとりひとりすり潰されていった」


 あなたたちもそうだったろう? 疲れきった様子の冥府の王者が眉間を揉むのに、バートンは何も言い返すことができなかった。


「魔王が私たちを殺さなかった理由はいくつかあった」当主は瞑目したまま状況を並べた。「ひとつには、魔王が講和を望んでいるからだ。破壊ではなく支配と権益の進出を望む。まるで人間みたいじゃないか、ええ?」


「それに応じたのか?」

「ほかにどんな選択肢があるというんだね。徹底抗戦かね。現代の戦争というのは兵站に支えられた高度な職業軍人が外交目的の達成を目指すものだ。補給もなく外交担当者もない終わりのない戦争をやれば残るのは絶滅だけで、そして絶滅させられるだけの戦力差を見せつけられてもいる。政体を失えば降伏すらできなくなるが、あなたはそれが望みかね」

「詭弁だ。中央にだって政体はあるんだ」

「国王陛下には内々に話を通してあるんだよ」

「あんたが一方的に西部王室とやらを立ち上げて通告しただけのことだろう!? そんなものは裏切りの方便に過ぎない!」


「そうだったらどれほど救いがあっただろうね」西部連合をとりまとめる長は自嘲した。「残念ながら、話を通したのは私ではないんだよ」


「この期に及んで責任逃れか。連合内有力者が別にいて、そいつらが勝手に動いているとでも言うのか」

「違う。言っただろう。魔王のやり口を」


 魔王のやり口。

 その言葉の意味が脳に浸透するまで、少なからぬ時間を要した。

 バートンはコルトンを演じることをなかば忘れて呆然とつぶやいた。


「……まさか」


「そうだ」当主は目を伏せたまま右手を掲げた。部屋の隅に控えていた側付きが恭しく進み出ると両手に持っていたケースを開くのを見もせずにその中へ手を伸ばし葉巻を手に取る。側付きに吸い口を切り落とさせ、先端をじっくり炙らせるのを待って、紫煙の中で目を開けた。その眼球には誰の姿も映していなかった。「もうこの世界に安全圏なんてどこにもない。西部侵攻が始まる前に、王都中枢は侵入されていた。国王陛下と内々に話をつけていたんだよ、かの魔王は」






 かの魔王と呼ばれた男、かつて王都中枢に乗り込んでこの世界の王を恐喝し西部連合立ち上げをスパルティアン家当主へと命じさせた悪魔は、そのときむずがゆくなった鼻の頭をこすって顔をしかめていた。


「ようどうした魔王。くしゃみが出そうで出ねえみたいな顔して。かぎたばこでもやるかい」

「そういう用途ではねえだろ、かぎたばこってな」


 西部連合を束ねるスパルティアン家、その本家敷地でのことだ。地元の気のいい酔っ払いどものための椅子や机を運ぶ手伝いを地元の労働者に交じって魔王はやっていた。

 一昨日令嬢の手によってあちこち消し飛ばされた会場も、急ピッチで復旧が進んでいる。今週末には何事もなかったかのように番組収録が再開されるだろう。


 番組といえば、その主人公となる扱いの息子のトーマは平日の日課、謎拳法の修練に専念している。なんでも、魔力なしで人を殴打する技法なのだそうだ。実に怪しげな話である。

 あれが何の役に立つのかいまいち魔王には理解しかねるのだが、それを言えばこの番組じたいがそもそも茶番なのだからどうでもいいことではあった。

 しょせん時間稼ぎである。現地人をまとめて消し飛ばさないために現地のお遊びみたいな体術を習得するのも、現地人に混ざってどうでもいい労務をこなすのも、どちらも付き合いとして考えるなら等価と言えるのかもしれなかった。


 なんにせよ、魔王は小脇に抱えていた20人掛けの長椅子を持ち直しながら、今度は頭を掻いた。


「まあ気持ちだけ受け取っとくわ。死んだカカアとの約束でな。酒はやっても煙草はやらねえって決まりなんだ」

「へえ、そいつは……」


 労働者たちも深く突っ込んできづらい話題を選んで謝絶すると、魔王は作業に戻りつつ声をかけてきた労働者たちと馬鹿話で盛り上がるいっぽうで思考の海に再び深く潜っていた。


 現地人たちとの付き合いで強いて問題を挙げるとすれば、かれらは魔王の息子の強さを知らないことだろうか。なにせくだんの番組でだいたい反撃できずにボコボコにやられているところしか見られていないのだから、しかたのないところではあった。


 何事にも功罪両面が存在するもので、それで得られている利点もひとつたしかにある。

 少なくとも息子だけは恐怖の対象とはされていないことだ。力のある自分。力のない息子。両者への対応の差があれば、それは相手の思考や価値観を読み解く鍵になる。


 読み解いたからなんになるのだと一度も考えなかったと言えば、それは嘘になる。まとめて一切合切を滅ぼしてしまうのがより手堅くかつ楽なのだから。違う種の生き物と割り切って駆除したとて、かれら自身以外からは苦情のひとつも出るまい。


 だれもが自分たち親子のことを偉大な父親とその後を継ぐのに苦労している息子と見做している。息子自身その節がある。

 だが、魔王に言わせればそうではないのだ。自分は怪物の力の及ぶ範囲内で可能なことをやっているに過ぎない。人類をひとりずつ滅ぼすのも、人類の要人を制圧し脅して言うことを聞かせるのも、かれにとってそれほど大きな違いはなかった。


 魔王は博愛主義者ではない。いざとなればすべて殺す。すべて殺せる。なんであれば、いますぐにも。隣を共に歩く気のいい労働者たちだって、気が向けば次の瞬間にだって縊り殺せる。怪物として牙を剥けばこの場のみなすべて散り散りに逃げ惑うだろうが、それらすべてに追いついて頭部をひとりずつ挿げ替える遊びだってやろうと思えばやれる。

 それをしないのは、結局のところ、いつでもそれができるからだ。先送りにしたところで何の支障もないからだ。


 息子だって同じには違いない。怪物の宿命を背負って生まれ、怪物の業をまっとうして育ち、怪物の天意を果たすべくこの世界へ到った。だが、生き方まで怪物の習性に委ねることはなかった。怪物の呪われた力が及ぶ範囲、その外側にあるものを求めた。

 すなわち、魔王の発想の外側でもあった。怪物にできることをなぞっただけの魔王と、怪物どころか誰に可能かも不確かな恒久平和を望んだ息子。親の欲目というやつかもしれないが、魔王はそこに息子の器の大きさを感じていた。


 当人はおろか、その器の大きさで救われようとしている当事者たちが息子の価値を認識できていないというのがなんとも歯がゆい話ではあるが、いっぽうで自分だけが拾い上げられているという優越感もまた否定できない。


 いまが戯れ、虚飾の時間に過ぎないと魔王は断じていたが、この無駄な回り道が自分にも父性があったことを思い出させてくれてもいる。それを認めるのもまた快かった。


 息子の挑戦はおそらく十中八九失敗に終わるだろう。息子の心に癒えないひっかき傷を作ることになるのだろう。

 だが、もとは怪物の器に収まらないからこそ生じた機会だ。若さと絶望を噛みしめる猶予くらい作ってやろうと思う。蹂躙や殺戮といった怪物の本性を思い出すのはそのあとでも遅くはない。


 息子と同い年の青年が屋敷の女中との仲をおっさんどもから冷やかされる輪へ自然に溶け込みながら、魔王は今日も自らの獣性を巧みにあやしなだめていた。


 魔王にとって時間はいくらでもあった。それが無限ではないにせよ。






「トーマ殿が姫様をテロリストからお救いになったと聞きましたよ」


 修練の空き時間。遠巻きにトーマを囲んでいた撮影班からディレクターが進み出てきて飲み物を渡しに来るのに、トーマはええとかまあとかそんなような返事を口ごもるように返した。

 ディレクターは撮影が終わって思い思いに機材片づけを進めていくスタッフたちを眺めながら、タダ酒を逃がして惜しんでいるような顔をした。


「撮りたかったなあ、その事件。きっといい画になったと思うんですよ」

「どうですかね。現場は人間の背より高い草が茂ってましたから、難しかったんじゃないですか」


「ふむ……?」短く整えたあごひげを親指の腹で撫でながらディレクターは眉間に皺を寄せた。そして思い当たったことをそのまま口にする。「……あれ? それだと姫様からもトーマ殿の活躍は見えなかったということでは?」


「そうでしょうね」


 あちゃあ、とディレクターは自分の額を大げさにぴしゃりと叩いた。どうにも似合わないというか馬鹿にされてるようにしか見えないのだが、悪意があっておどけているのではないらしいとトーマは結論付けていた。難しい年ごろの少年の機嫌を損ねるのを避けるべく、上から目線にならないよう気を遣いながら距離を縮めているつもりなのだ。


 それ滑ってますよという指摘をするのも憚られ、結果、かれは今日も空回りを続けている。


「もったいなかったですなあ」

「いえ。かえってよかったです。何度か刺されて死にましたしね」

「そんな痛い思いしたんなら、なおさら身体張ったところを見てもらわなきゃ損って気もしますが」

「人の生き死にって、怖いですよ。間近に生で見てしまえば、もう安全のことしか考えられなくなる」

「ふむ」


 撮影班の片づけを並んで見守るトーマの言葉に、ディレクターのまなじりが少し下がった。

 この少年はやはり愚直だが、愚劣ではないという思いを新たにした。


 そう、この少年と自分はみずから進んで道化を演じている。


 ナマの死が人の心にどれほどの恐慌と憎悪を呼び起こすかを、たぶん自分たちふたり以外はだれも正確に理解できていない。それはおそらくトーマ殿の父君たる前魔王も例外ではあるまい。


 番組が少々大げさにコミカルなタッチを採ることについて否定的な声も大きくないが、自分はこれをなかば強硬に主張してこのかたちとしていた。

 こんなプロジェクトの責任を取りたがる者もそうはおらず、そこまで言うならとかれの声が通ったかたちだ。いま思い返しても、値千金の仕事だったと感じる。


 異世界から侵攻してきた怪物が政治的な解決を求めるのではダメなのだ。自分たちと同じ価値観を持つ、ただ自分たちとちょっと異なる特徴を持つ少年が、自分たちに出会い、不器用にアプローチを続ける。そうでなくてはならない。

 そのアプローチは迂遠で、不必要なくらい高峰に置かれた場所を目指すものだ。ほかのだれもできないようなことを笑ってしまうくらい大真面目にやるものでなくてはならない。あまりにも不可能なのが目に見えていて、かえってだれも挑戦しようとしないような、ばかばかしい事業だ。

 他人の恋路とは、まさにそういったものの代表的な出来事だろう。


 もし仮に。


 少年を無味乾燥なニュースに載せるとして、我々の世界に一方的に押し付けられる政治外交方針の転向を報じたなら、次に起こったのは大多数が他人事でしかない世論を主体とした全面的な反発に当然行き着いただろう。

 そして、その転向を覆すことが困難だと、大量の死を伴う圧倒的な武力行使で理解せしめられたら、次に起こるのは恐怖だ。政治的要求は必ずエスカレートして繰り返されることを、世界統一されるまでの過程の歴史で人類はもう知ってしまっている。次に何を要求されても譲歩ひとつ作れず呑むしかないストレスは、ひとびとの心に高圧をかけてどこかへ発散を求めることになる。


 そこから生まれる憎悪は連鎖する。トーマは自身へ憎悪を集めることをおそらく苦にはしない。この少年にはもっと嫌がることがあって、それはきっと自分と同じものなのだ。

 人類同士の憎悪。自分を当事者とせず、ゆえに第三者として介入すればこじれるだけの憎悪の連鎖だ。


 この少年は、何の縁もないこの世界にそんな地獄をもたらすのを避けようとしてくれている。人類そのものを滅ぼすことなどできるはずもなかろうが、おそらくそれに近いところまで行きかけてしまったのをどうにか別の結末へと軌道修正を試みているのだ。


 そんなだいそれた案件を異世界から来た少年ひとりに任せてしまっていいわけがない。

 ディレクターはおおげさにわしわし自分の頭を掻きながら、世界の壁を越えて志を同じくする少年へまったく通じていない親愛と敬意を込めてそらっとぼけた。


「じゃあやっぱり企画会議がんばらないといけないですねえ」

「いやその企画会議で後退してる気もするんですが」

「こんなにがんばってるのに」

「がんばってるからこそというか。よけいに問題がこじれているというか」

「まま。そんなに遠慮せずとも」

「心底本心なんですけど……」

「私にまかせていただければ、よりエキサイティングでより数字の獲れる内容にしてみせますから」

「姫様求めてるの絶対それじゃないと思うんですけどね」

「まま。まままま」


 少年が絶望を演じているのを横に、ディレクターは翌日午後から予定されている企画会議に少年へ報いることができるようななにかを盛り込めないかを真剣に考え始めた。






「さて、コルトンさん」スパルティアン家当主は無言で葉巻を半ば灰と化すまで薫らせた。その間、かれの私兵は微動だにしない。ときどきよどんだ目で卓上の灰皿に灰を押し付けて折る以外、当主もなんら意味のある動きを見せなかった。ひどく長く、無意味に時間を浪費したあとで、当主はバートンの偽名を呼んできた。「実のところ、私はあなたを待っていたのだ」


「なんだと?」


 展開に焦れていたはずのバートンの心臓がどきりと跳ねた。跳ねて、それを無理やり自制心で押さえつけるのを待つかのように、じっくりと取調官の椅子に座る当主は間をおいた。


「あなたの潜入した組織については当局に逐一動向を追わせていた。あれが社会不安につながることはわかっていたが、泳がせておきたい理由があったのだ」生ける屍の王を僭称する男は、のたのたと言った。「わかるかね、()()()()()()


 発音の抑揚に独特の節をつけられた。意味など特にないのかもしれない。あってもただの見当違いなことだってありうる。

 だが、文脈から考えれば、それはどうしたってバートンの素性を掴んでいるように思えてならない言い回しだった。


 バートンはカラカラの喉をついて言葉が出そうになるのを必死に堪えた。何を言ってもボロが出るだけだ。果たして当主はバートンの目に食いついて離す気配がなかった。うっすらと笑みさえたたえながら。

 それは相手の虚を突いたことに満足してのものではなかった。バートンの職業意識の片鱗をうかがいみて、押さえつけていたものがつい洩れた、そんな様子だった。まるで邪悪な生き物が鎌首をもたげ、のこのこ巣に迷い込んできた哀れな獲物を睥睨するかのような、そんな。


「それでよい、コルトンさん。それでよい」

「…………」

「これは私の勘違いであり独り言なのだ。そう。この葉巻にはきっと幻覚作用かなにかがあって、思ってもいない言葉が聞こえたりすることもあるかもしれない」

「…………」

「さて、どこまで話したのだったか。そう。魔王のやり口についてだったか」

「…………」

「我々はいちど死んでいる。それはもう言ったか。では、もういちど死ぬ覚悟があるという話はしたかね。まだだったかね」


 どうだ、ロッファ。発言の意図するところを正確につかめないままバートンが沈黙を貫いていると、当主は後ろに控えている男に話を振った。葉巻を用意し、主人のために火まで点けてやった人物。スパルティアン家内部のすべてを取り仕切る執事。当主の右腕とも呼ぶべき、そんな存在である。

 ロッファはそっけなく答えた。


「まだですな。しかし察することが可能な内容かと」

「そうかね」

「旦那様。やはり私にはこれが旦那様が買われるほど血の巡りのよさそうな人物には見えません。処断するのも選択肢では」

「東部の主戦派に所属する……まあ何者かだ、コルトンさんは。当然かれらにとって都合のいい情報しか与えられておるまい。いまは混乱するのも無理ないことだ。違うかね」

「……は」


 ロッファが具申を取り下げると、当主は葉巻をくわえたまましばし黙り込む。

 バートンは自分がいま何を見せられているのかと訝っていた。お前の命は自分の胸三寸にかかっているという下手な芝居の可能性もある。それならばただの脅しだ。スパイの末路などとうに知れているのだから、考えるに値しない。


 だが。


「そう。主戦派は西部を魔王にまるまるぶつけて時間を稼ぐ算段のはずだ。そして西部連合はなるべく出血を抑えて方針転換したいと考えている。あなたの認識はそうなのだろう」

「…………」

「建前ではまた別だ。もちろん。だが、それをなじるつもりはない。私も同じなのだから」

「…………」


「これは独り言だ。西()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのための覚悟が私にはある。西部連合諸侯たちすべての合意などもちろんとりつけようがないがね」くわえたままの葉巻を外し、灰皿に置いて、物言わぬ取調室の空間で当主は壁打ちを続けた。「むろん、ただでとはいかない。相応の戦後支援も内々に負担してもらう。被害は甚大なものになるだろう。値引き交渉の類が多少はあるとしても、それでもまあ東部の財政も大きく傾くレベルでだ。――ただし、それはあくまで余禄だ」


 当主はぎろりと目を剥いた。凶相を露わにする男へバートンは無表情を貫いたが、内心では精神の平衡を保つのに必死だった。


「余禄もなにも、まずは勝ってこそだ。生き残ってこそだ。東部の諸兄らは自分が何の尾を踏もうとしているのかを理解していない。私が危惧するのはそれだ」当主は身を前に乗り出してバートンへ迫った。「私はこれでも愛国者のつもりだ。勝利のための捨て石ならば喜んでそれになろう。時間を稼げと内々に国王陛下から密命を下されれば逆賊の汚名を着て連合内王家のひとつも立ち上げよう」それまでののろくさとした言動が嘘のように、狂った男は並べ立てた。「あなたも戦った魔王の息子を見ればわかるように、そも魔王は殺すことができぬ。ならば骨肉相食んででも共に地獄へ落ちてそこへ縛り付け封じもしよう。だが、そのための手立てが我々にはない。危機感を持つ我々にすらないのに、楽観的な東部諸兄らにもあろうはずがない。まして魔王の手が東部にも易々と届くだろうことすら知ろうともしない。東部主戦派諸兄らはあなたを騙そうとして魔王王都侵入の痕跡について語らなかったわけではない。かれらはそんなことがあるなどとは夢にも思っていないのだよ」


 当主はバートンの肩に手を置いた。

 バートンは話の内容にまるで興味が持てないふりをすべく当主の手に視線を落とそうとしたが、できなかった。とうに目の前の男の狂気に飲まれていた。死兵を束ねて牙を研ぐものから目をそらすことなどできるわけがない。

 死してなおその身を燃やし刺し違えようとする悪魔の体熱がバートンの冷静な判断力をじわじわと削ぎ炙り焦がしていく。


「私の言うことすべてを鵜呑みにせよとは言わない。だが、西部を捨て石にしている間に勝算を探るのではあまりに遅すぎるのだ。かの魔王が西部と戦う前に王都中枢を攻略したように、東部中枢に手を出さないわけがないのだから」

「…………」

「西部が魔王と戦争を再開するときにはもう勝算が立っていなくてはならない。東部をはじめとした世界すべてが死に物狂いで魔王を封じる態勢が整っていなくてはならない。あなたも言っていたが、我々は死ぬのが仕事だ。その通りなのだ。それはよい。それはよいが、そののちだれもかの脅威を取り除けないのであれば、それは意味のない仕事なのだ。無意味な犬死なのだ」

「…………」


 当主はバートンの肩越しに魂の中核へ押し当てていた呪われし焼きごてを取り払うと、その両手を腕組みして椅子から立ち上がった。その眼はよどみ、ふたたび室内のだれも視界に入れず、亡者のように狭い取調室を彷徨した。

 ささやく。


「コルトンさん。あなたはおそらく西部情勢不安定化を命じられていたはずだ。私は当局にあなたの潜入していた組織の動向を調べさせていたが、その慎重かつ地道で丁寧な仕事ぶりは報告越しにも伝わってきた」文字通りバートンの耳目、五感のうちのふたつを奪い去った戦争狂はそこから体内で生産されるどろどろした毒入りのマグマのような体液を流し込んできた。「それはつまりあなたの属する組織社会いずれかに強い忠誠を持つか、ないし大事な家族がそこにいるということだ。私がどれほど歓喜したかあなたにわかるだろうか。私たちが地獄へ突撃した後事を任せるに足る人材を見いだせたことの意味があなたに伝わるだろうか」


 さすがにバートンもそこで陥落した。もう黙ってはいられなかった。

 コルトンとかいう愚鈍な男の設定を捨てたわけではない。任務をあきらめたわけではない。 

 だが、バートンだろうとコルトンだろうと、そんなまがまがしい重責をよろこばしげにワルツを踊りながら拘束された両腕の中に放り込まれれば、さすがに悲鳴をあげないわけにはいかなかった。

 そんな狂気の沙汰を受け入れられるものなどこの地上に存在するわけがないのだから。


 この死兵たちを除けば。そう、こいつらは俺さえも死兵へとつくりかえようとしているのだ――


「待て。待ってくれ。もうやめてくれ――」

「いいや待たない。私は断腸の思いで我が忠良たる手足たちへ待機を命じた。サラドネの武門スパルティアン家に連なる勇者たちへ名誉ある死出の旅立ちを引き延ばさせたのだ。もう待てぬ。もう抑えが効かぬ」沈黙を保つ後ろ二人の死兵どもと対照的に、当主はその饒舌を止めなかった。「私自身、早く征きたいのだ。魔王たちはこの世界では死者を出してはおらぬ。だが、かの魔界での被害はあったのだ。ふたりの息子たちが黄泉路で私が追いつくのを待っているのだ。わかるか。わかるか。我が戦争をだれにも、だれにも奪わせるわけにはいかぬのだ」


 いまとなってはバートンは自分たち東部主戦派が大きく思い違いしていたと認めざるを得なかった。

 西部が臆病風に吹かれて停戦へ日和ったなどとんでもない。西部連合政治外交を主導するはずのほかならぬスパルティアン家が戦争再開へと逸っていたなどと。


 バートンは根底から覆った状況に混乱していた。自分の任務は看破されたとおり西部情勢の不安定化だ。

 なぜ不安定にするのかと言えば、西部連合に再び戦争もやむなしとする決断へ転ばせるためだ。


 では戦争が再開されたあとのことはバートンの関知するところではないのか。

 そうではない。

 そうではないはずだ。


 東部は、世界は、最終的に勝利しなければならない。

 未曽有の危機を克服し、再び魔界開拓を再開できなくてはならない。

 そうでなければ採算が合わない。


 だが、それもこれも、魔王に勝ててこその話だ。そして魔王はあの魔王の息子よりも手に負えないという。


 魔王の息子はたしかに殺せた。二度は殺せた。

 だが、殺せたところでなんだというのか。

 戦闘をしかける前から勝利条件を絶対不可能なものに挿げ替えられ、あとで甦ってくるというのなら、そんな実績に何の意味があろうか。


 伝え聞くところでは、昨日の戦闘で襲撃者たちに死人は一人も出なかったという。手加減して遊ばれたのだ。

 ほかならぬ自分が叩き折られた鎖骨を魔王自身の手によって癒されたように。


 では、魔王どもが不殺の枷から解き放たれて今度こそ戦争をやるとなれば、果たして自分たちにはなにができるのか。


 バートンは自分が完全に当事者の立場に引っ立てられたことへ気づいた。外野から戦争を囃し立てる役回りに努めていたら、「じゃあお前がやってみろよ」と連れ出され船の舵まで預けられてしまった。


 バートンが絶句していると、室内をうろついていた当主はバートンの背後で立ち止まった。バートンは首をねじって振り返ろうとしたが、絶妙な死角に当主は入り込んでいた。

 姿なき声は言った。


「我らに待てを命じたいのなら、猟犬にちらつかせるエサはひとつしかない。勝利だ。勝利だけが我らの希求するものだ。あとはどうでもよい。なんの意味も持たない」呪わしい声は室内に陰々と響いた。「そのためにあなたという存在を待った。娘の命を囮にしてでも誘き出した。あの盗賊団はな、あなたを囲い込むための罠だったんだよ。我々は戦争に勝つために状況を用意したのだ。残された東部の勝算をゼロからわずかでもひねりだすために。そしてそれは成功した」


「成功していない!」バートンは悲鳴をあげた。「失敗しているだろ、現に! 魔王とやらの暗殺に失敗しているんだから!」


「魔王ではない。魔王の息子だ。そしてその失敗は織り込み済みだ。最後の最後に勝利するために必要な敗北だった」

「じゃあどうやってあんな怪物に勝つんだ! いちど負けただけで勝算が生まれるなら苦労はない!」


 バートンは自分に言い聞かせた。これは立場が逆転したのではない。任務の延長上でしかない。自分は東部が最終的な勝利を収めるために任務に従事している。東部が勝利を収めるために西部を戦争へ駆り立てようとしている。だが、特攻を目的としてはいない。魔王の侵攻を遅滞させ西部で消耗させるための戦線を作るのが自分の任務なのだ。


 けっして、けっして西部の好戦的な勢力を制する役回りに回ったわけではない。このままでは目的が果たせなくなると判断しただけなのだ――


「ではなにが必要かね」歩みを止めた足を再び動かし、当主はバートンの目が届く場所へ帰ってきた。「世界が魔王に勝つためになにが必要かね。まだ足りないと断言できるものがほかにあるかね」


「少なくとも時間は必要だろう!?」

「どれくらいあればよいのだね。時間があっても死ぬ覚悟を先送りにできるだけではないかね」

「いいや違う……情報だってまだまだ足りないんじゃないか!? 魔王の弱点とか――」


「そんなものはない」当主は失望の色も露わに言った。「そんなものがあればとっくに我々が寝首を掻いているに決まっているではないかね。見出せそうなら勝利に飢える我が配下に抑えが効かぬなどあるはずもない」


 道理だった。


「なんにせよ、東部へ最低限の義理は果たした。いずれ必ず起こる危機への警告を、コルトンさん、あなたを通して」取調卓をぐるりと一周して、当主はまたバートンの死角となる位置へ近づいてきた。「あとの憂いはない。それだけを言いたかったのだ、コルトンさん」


 当主がバートンの視界から再び消えれば、次こそ破滅への疾走が始まる。


 そんなわけのわからない焦燥に駆り立てられて、バートンは口走った。なんでもよかった。当主にとって予想外のひとこと。当主の足を止められる要素。


「あの番組だ!」


 はたして。

 当主はその室内に入ってからはじめて怪訝な顔をしてぴたりと歩みを止めた。ここを先途とばかりバートンは首をねじって投手を見失わないように努めながら当主を見上げようとした。逃がしてはならない。なんとしても。


「――番組だと。娘を晒し物にしているあれのことかね」

「どうでもいい。なんにせよ魔王はあれで何度も死んでいる!」

「魔王の息子だ」

「どっちでもいい! なんにせよ、あいつはあれで死んでる!」


 自分でも何が言いたいのかわからないまま、バートンは思いつくことを並べたが、当主は目を細めた。


「本気を出していないのだ。わかるだろう。ほかならぬあなたなら。魔王の息子に制圧されたあなたなら」

「俺は奴を二回殺った!」

「――報告は聞いている。だから? それを言えば娘の別棟にいる女中たちでさえ何度も殺している」

「だからあの番組だと言ってる!」


 意味がわからないという顔で当主は顔をしかめた。首がつりそうになっているバートンに合わせて歩みを戻し、取調卓の側面に回り込んだ。


「なにが言いたい」


 バートンは、くちびるをなめ、荒らげていた息を少し整えて言った。


「少なくとも魔王の息子を俺があの番組で殺してやるって言ってるんだ――何度でも。何度でも。あんたは開戦のタイミングをそのどこかに合わせればいい」

「あの番組で魔王の息子が何度死んでいると思っているのだね。あなたの力を借りずともそれはできるのだよ、そのくらいは」

「だが、奴を確実に殺すことはできないだろう。あの番組にはある程度腕の覚えがある人間はいても、殺意を持って魔王の息子を殺そうとする人間は混ざっていない。トラップワークもあって、結果奴は死んでいるというだけだ」

「計画として組み込むには不確定要素があると言いたいのかね」

「そうだ」

「なるほど。だが、コルトンさん。それはできない相談だ。あなたは東部の人間だ。これは西部の戦争なのだ」

「その西部の勇み足で東部が計画を狂わされたら困るという話をしている」


 当主は渋面を作った。しばらく言葉を探してから重くなった口を開いた。


「だが東部に計画などあるまい。あれば我々もこうも苦慮はすまい」

「計画の有無など知らんよ。俺はスパイじゃない」

「そう。そうだったな、コルトンさん」

「しかしもし東部が戦争を望んでいるのだとしたら、少なくとも西部戦線が崩壊したとき魔王がふたりとも生き残っているなんて状態は避けたいんじゃないか。奴らの再生は速い。損耗などでは生ぬるい。最低でもどちらか無力化してもらわなくては」

「それを確実にあなた自身の手でやると?」


 バートンはうなずいた。自分から言い出した以上否応もなかった。


「俺をあの番組に出せ。そうすればうまいこと要所で奴を殺してやる」

「…………」


 はじめて当主が押し黙り、逡巡した様子を見せた。

 バートンは黙して当主を睨みつける。

 ややもして、当主は言った。


「――よかろう。次の週末。力を貸してもらう。そして開戦だ」

「いや。それもまだ早い」

「なんだと?」

「俺のいた盗賊団は、仲間たちは負けた。なぜ負けたかわかるか」

「練度が違うからだろう」

「違う。魔導技術の水準も規模も発想も、この世界の標準的なそれとは異質すぎたからだ」

「…………時間稼ぎのつもりかね」


「ある意味ではそうだ」敵意も露わに睨みつけてくる当主に、バートンは主導権を握った状態で余裕を取り戻してうなずき返した。「奴に何ができるかできないのかがわからない状態で戦うというのがどれほど危険なことかは言うまでもないな?」


「むしろそれは我が軍が真っ先に直面した事態だった」

「ああそうだろうよ」

「だが、魔王が手の内を明かすとも思えぬ」

「もうひとりがいるだろう」

「魔王の息子のことかね」

「そうだ」

「かれからなら引き出せると?」

「やり方次第でな」


 こいつ、本気で言っているのか――当主がそう言いたげな探るような眼でバートンを覗き込んでくるのに、バートンは唇の端をひん曲げて言った。


「五階ある専用棟。武門の家からの嫁獲りのならわしにのっとり、花婿は正門から乗り込んで配されている刺客すべてを打ち倒せ。娘がたどり着いた花婿にその身を与えるならば成婚として扱う。そうだったな?」

「ああ」

「で、ここまで奴は毎週一階で全敗している。なぜだ?」

「手を抜いているからだろう」

「正しいようで、実は違う。奴は刺客を殺さずに倒す自信がないのだと俺は見るね」

「同じことだ」

「全然違うさ。つまり、奴は戦いたくとも本気で戦えないんだ。だからこの世界の体術なんぞを一から学んでいる」


 立ち話の間に執事が椅子の位置を取調卓側面へと直すと、当主は見もせずそこに腰かけた。話を聞く気になったということか。


「ふむ?」

「奴が本気を出すのは、あくまで相手を殺さない前提だ。俺たちの時がそうだった。そして、俺たちなら多少痛めつけても問題ないと判断した。ではあの番組ではどうだ? 刺客たちに一度でもダメージらしいダメージ、手傷らしい手傷を負わせたことがあったか?」

「……ないな。おそらくない。配信されているすべてを見ているわけではないから、必ずしも定かではないが」

「そう。西部王室唯一の未婚の女子、その居住する別棟に詰めているのはすべて女だ。腕に覚えがあるとはいえ、立ちふさがる障害だからと有り余る魔導技術の力を流用して叩きつけるには気が引けるのさ。だからなんとかこの世界の体術を学んで同じ土俵で無力化できないかを試しているんだろう」


 当主は灰皿に置かれたままの葉巻にちらと視線を落としたが、もう火は消えていた。彼らのやりとりに熱を奪われたかのように。それを言えば当主の狂気もいつしか影を潜め沈静化していた。


「…………なるほど。なるほど、そうか。言わんとするところはわかった」

「奴がためらいなく魔導の力を引き出せるようなルール改定をやるんだ。手加減しなきゃ相手を殺しかねないからこちらの世界の技術に頼る。最初から相手を殺さずに済む勝利条件を整えてやれ。そうすれば魔王は魔導を駆使して勝利を得ようとするだろう」

「それをサンプルとして相手の技術水準を測る手掛かりにすると」

「そうだ。お遊びみたいなもんだが、奴らからすれば人間を殺害せずに自身の戦力を誇示できる絶好の機会だ。抑止力になるかもしれないからな」

「だが、それではだれも魔王の息子を止められなくなるのではないか」


「だから俺が入るんだろうが」あきれたようにバートンは言った。「隠し芸ていどの手管なら俺にもまだいくらかストックはある。要所要所で奴を殺して足止め、時間を稼いでやるよ。奴から情報を絞り尽くしたところで殺して開戦、それならどうだ。少なくとも今週末闇雲に特攻するよりはましになるんじゃないのか」


 どうなんだ、ええ? バートンがうながすと、当主は唇を引き結んで腕組みし、不機嫌そうなうなり声をあげた。不満を隠そうともしない。が、反論するところが見当たらないようだった。


 最終的に苦々しげに首肯せざるを得なくなった当主を前に、バートンは内心ほっと息を吐いた。想定外に次ぐ想定外だったが、なんとか首の皮一枚つながったように感じられた。






「――なんとかなったな」


 取調室を後にしながら、沈鬱な空気をまとって当主は言った。


「肝が冷えました」付き従う執事は咎めるようにささやいた。「あれほど長時間浸されるとは」


 執事を含めた三人から非難の気配を受けて、先頭を行きながら片手を上げる。


「さすがにここで危機感のない東部から横槍を入れられてはかなわんよ。念入りにやるに越したことはない――おまえたちは? 影響はないな? 私を含め拮抗剤を事前投与していたとはいえ気化薬だからな、具合の悪い者はいないか?」

「葉巻から直接吸入していた旦那様ほどではありません」

「そうか。それはまあ、そうだろうが」


「すぐにボルテリ殿のもとへ。収容者診察の名目で別室に待機していただいております」スパルティアン家主治医の名を出し、ちくちくと刺すように執事はたしかめた。「歩き続けられますか。平衡感覚は。ボルテリ殿をこの区画へお呼びすることもできます」


「問題ない。手回しがいいな、ロッファ?」

「当たり前です。捕虜より多く自白剤を呑む取り調べなど聞いたこともない」


「そうは言っても自発的に協力してもらわねばならなかった。あとから思い起こしても自分の意志で選んだ道だと自縄自縛に陥ってもらわねば」ひたすら噴かすだけだったが、それでも薬液の沁みた葉巻の味を思い返しながら当主は顔をしかめた。「背景はトーマどのからの話でほぼ裏付けがとれていたようなものだったしな。私がここでリスクを取らないというのがまずありえまいよ」


 結局のところ、事態はより茶番に近いものだった。万全を期してバートンを盗賊団へ誘き寄せたように話をしつらえたが、実際はもっとおおざっぱでいくつもの幸運に助けられながらなんとかそれらしい状況に転がっただけだ。


 東部主戦派が王都中枢で権力闘争をやっていることは調べがついていた。世界統一事業を果たした国王は世論から支持を得ているが、それは逆に言えば西部で王家を僭称するスパルティアン家を公に擁護できないということでもある。

 国王じきじきの通信を受け、王家を立てて講和の道を探れと主命を授かってもだ。


 国王が二枚舌でみずから主戦派に与し保身に走るといったことはなくとも、状況の静観を続けていればそれをよいことに自分の都合を通そうとするものは自然増える。

 この場合は直接の被害を被っていない主戦派たちである。


 好き放題やっている主戦派を切り崩しあぐねていたところへ、一月前当局から報せが入った。不満分子を集めた武装勢力の存在が内偵で明らかになったという。

 慌てて確認させると、もう内密に働きかけて自然消滅させる段階をとうに超えていた。東側資本が複数のペーパー企業を経て無造作に突っ込まれており、これを糾弾すればしたでいくらか政治的な応手がなされる可能性が高い。

 なにより魔王の手の届くところへ無邪気にエージェントを送り込んでくるというのが、これ以上なくかれらの危機感のなさを物語っていた。


 しかして当主は一計を案じた。武装勢力が規模をこれ以上拡大する前により旨いエサで釣るのだ。

 ロッファの一存で一人娘のシルフィアを外出させる手筈をとれば、屋敷内に潜入している内通者がその好機を見逃さず組織へ連絡を取るはずだ。そのうえで娘を魔王か魔王の息子に追わせる。鉢合えばあとは勝手にかれらがまとめて地に寝かせてくれるだろう。

 かれらに貸しを作ることになるが、それはどうでもいい。スパルティアン家はどうせこの代を以て畳むのだ。払える当てのない借金は借金と呼べない――


 シナリオを決めれば、あとは当局総出を命じた。かれらはよく応えてくれたと思う。不眠不休で作戦決行日までに武装勢力の全容を解明、根こそぎ拘束に成功した。

 それらはすべて魔王の息子の手柄だと吹聴させてある。情報操作はなにも東部ばかりの手札ではない。


 総じて各所へ大きな負荷をかけたが、なんとかやり遂げることができた。


 その仕上げに先ほど東部工作員と接触したわけだ。

 こちら側へ取り込めるとまでは思っていないが、東部の動きに楔を刺すくらいは期待してよかろう。実際、魔王が動くとなればどんな奇想天外なことを仕掛けてくるかわからないのだ。事実さえ共有されればあとは有能な東部の政治屋たちが勝手にそろばんを弾き直してくれる。


 これでひと段落と言ってよいのか。そう胸中でつぶやいて、どっと疲れが押し寄せてくるのを感じた。ふらつきこそしなかったが、歩幅が縮まり、やがて足が止まる。壁に手を突こうとして、その手が震えているのに気がついた。気づけばだらだらと冷や汗が全身に垂れ伝っている。


「やはり歩くのはよしましょう。近くに部屋を用意させます」

「よい。時間が惜しいのだ、ロッファ。そして事はだれにも知られてはならない。部屋を徴発すればその部屋に居合わせた者に事情を説明せねばならなくなる。そこからバートン氏に話が漏れたら、もう今日ここで体を張った意味がなくなるのだ。それよりはお前の小言を杖に主治医どのへ怒られに行くのがよほどよい」

「……は」


 不承不承といった口調で鉄面皮の執事はそれで話を切り上げた。

 スパルティアン家当主は歩を進めながら、窓の外に望める戦時難民支援区収容所の中庭、そこにいるひとびとの様子に目を細めた。

 魔界入植事業に従事し、魔界移住のさきがけを志し、魔王の活躍によって約束された土地を追われ、事業無期限停止の報を受けて立ち上がれなくなった無気力なひとびとがそこにいる。


 世相に明るくない子供たちだけは元気に走り回っているが、かれらがいずれ昏い眼をしてバートンの建前のような恨み言を口にするようになると思えば、それも決して胸のつかえを晴らす姿とはいえなかった。


 ――金だよ。みんなが金を出した事業で裏切られたんだ。ほかに何があるんだ?

 ――あんたたちは運命に裏切られたのかもしれない。だが、おれたちはあんたたちに裏切られたんだよ。

 ――魔界の抵抗は強かったんだろう。激しかったんだろう。逆侵攻もされたんだろう。でも、だから?

 ――あんたたちは生き残って、植民事業で梯子を外されたおれたちは干からびて死のうとしている。

 ――裏切りでなくてなんなんだ?

 ――西部では市民を守るために軍があるんじゃない。軍を守るために市民が捨て石にされる。


 目をつぶれば、子供たちが大人たちと同じような眼をした若者になって当主をなじる幻覚がぐるぐるとよぎった。早逝した息子たちが、まだ生きている息子が、末の娘が、その糾弾の輪に混ざった。

 さすがに堪えられなかった。膝は屈さずとも、喉から呪いがほとばしり出てくるのをもう止められなかった。


「私は暗君だ。難民のケアが一部不十分だったために危機感のない東部工作員の跋扈を招いた。その失態を元から計算のうえでそうしたかのように取り繕い、狂人を演じて政敵の常識に付け込もうとしている。そのために娘の命を囮に内通者を泳がせ、娘と齢の近い学友ともども危機に晒した。薬物を使って相手の思考を誘導し、芝居臭さを消すために自らも薬物に溺れ、あまつさえ先に逝ったエディとリアム、ふたりの息子の名を騙りさえした」薬物のせいか。弱音がついに漏れたのを自覚しながら、当主は深く嘆息し、自嘲した。「もうふたりと同じ場所へは逝けぬな」


「おふたりこそ誰より旦那様を誇っておられましょうとも」執事がたしなめるように言った。「魔界からの撤退戦で勇戦し命を落とされたおふたりです。その後の世界の行く末をだれより案じておられるでしょう。そんな弱気でどうなさいます」


「そうか。……そうだな」

「はい」


 孤独な王者は執事の言葉にうなずきはしたが、納得はできなかった。この自罰的な感傷は死ぬまで自身を苛むだろうとわけもなく予感し、それも憂鬱の種になった。


 止めた足が動き出すのには、それから数分の時間を要した。泣き出すほどに弱ってはいなかったが、バートンに語った戦争を望む本音が自分の心の奥底にまだ少し残っていた時点で、すでに施政者としての強靭さを欠きつつあるとは言えた。誰に認めることもできないのを含めて。


 日はまだ高い。週末へ向けて多数の調整が残っている当主の執務に終わりが見える気配はまだまだなかった。その先にある憩いの時間など言うに及ばず。






 で。


「――以上の理由から、エミーナ女史を新しい一階フロアマスターに推挙します」


 翌日午後。予定されていた企画会議に急遽列席させられたエミーナは、ぱちぱちと皆が拍手するなか我が耳を疑って椅子を蹴立てて立ち上がった。居並ぶ面々を見渡す。右から左へぐるりと視線を巡らせれば、最後は隣にいるシルフィアにたどり着く。


 事前に根回ししてあったらしいエミーナの生徒は姉のように慕う女へ鼻息荒くふんすと笑みを返し、ぐっとサムズアップしてみせた。


 いやそーではない。悪いけどそーゆー反応先生全然求めてない。

 全力で困惑しかないエミーナにシルフィアは小声でささやいてきた。


「先生はメイドさんの服かわいいからすごく好きって言ってたなと思って」

「はあ」

「フロアマスターの制服はさらにフリルいっぱいですよ!」

「すげえいい仕事してやりましたみたいな顔で言うことなんですかお嬢様!?」


 シルフィアの胸倉掴んでがくがく縦に揺さぶる。正気に戻れという念をこれでもかと込めたのだが、シルフィアは心底無邪気にきょとんとするばかりだった。

 だめだ。これはいつもの天然だ。

 絶望し、放心しかけるところで司会の位置に立っているディレクターがひとこと挟んできた。


「エミーナ女史は王都でも指折りの棒術道場に通っておられたと聞いたのですが」

「杖術をはじめとした護身術学校です。そしてお嬢様の護衛のためにほんの数年稽古をつけてもらっただけで、武家のかたたちに混ざれるほどの腕前では……」

「なら大丈夫ですね!」

「いや大丈夫な要素ひとつもありませんよね!?」


 ディレクターのサムズアップに即座に嚙みついた。


「フロアマスターっていうのはあれですよね!? 毎週番組でフロアの最後でトーマどのと戦う――」

「そう、王都屈指のデザイナーが衣装監修を手掛けたフリフリのメイド服を返り血に染めてトーマ殿をボコる刺客の役割ですな!」

「先生にぴったりの可愛い役回りですよ……!」

「可愛いの定義おかしいって言ってるんですよお嬢様あああああ……!」


 王都で姉妹のように育った女どもが全力でつかみ合いを始める。堂に入った手四つのありさまに、これなら大丈夫そうだとディレクターがうんうんうなずき、魔王が微笑ましそうに見守る横で魔王の息子(トーマ)はなんともコメントしづらそうな顔でこめかみを押さえていた。

 上座に陣取るスパルティアン家当主が取っ組み合いの余波で飛んでくる手足をついつい避けながら卓の上で肘を突いて指を組む。執事から無言の圧で姿勢の悪さを咎められながら口を開いた。


「二日前の襲撃事件、くだんの盗賊団に当家シルフィアの遠出情報を流した内通者が一階フロアマスターだったことは複数の証人の存在と当人自白で明らかになっている。被害がなければまだなんとかなるが、被害が実際に出ているのではそのままの人事で続行するわけにもいかないだろう」

「被害……そんなのあったかしら」


 いつのまにやら喉輪を仕掛けられそうになっているシルフィアが掴んでいるエミーナの手首をぷるぷると震わせながら、そこだけのんきに合いの手を挟んだ。

 じろりと当主が横目で睨む。


「おまえ、死にかけたのだぞ」

「死んでないんだからそれでいーじゃない」

「おまえの先生も巻き添えにあったのだぞ」

「だからそのお詫びに、より可愛いメイド服を手配しようって話だったじゃないの」

「お詫びになってないって言ってるんですよおおおおお……!?」

「馬鹿はさておいてだ」


 真横のじゃれ合いに巻き込まれるのを面倒がって娘からの具申を手を振って打ち切ると、正面向こう側に座る魔王親子に視線を投げた。


「さすがに魔王どののご子息へ手傷を負わせたとなれば、責任問題だ。本来なら一味ともども磔刑とするところだが、温情をいただいた以上それを固辞して処断すればそれはそれで先方の面子を潰すことになる」


「そんな気にしなくていいけどな。どうせ治るんだし」魔王はどこまでも明け透けだった。「息子だっておたくの役に立てて本望だって言うし、あとぁ人死にが出ない範囲でいいようにしてくれりゃそれでいい」


「裏切って刃傷沙汰を起こした報いが暇をもらうのではいささか罰が軽すぎるとは思わないでもないが」

「これだけ経済が混乱している中、安定した王室勤めをクビになって野に下るんだぜ。紹介状なし、次の職の世話もされないとなれば十分すぎらあ。情けは人の為ならずってな。ほどほどが一番だよ、大将」

「……私自身納得しかねる部分はあるが、ほかにも決めねばならぬことが山積しているのでな。今回はこの人事を呑んでもらうほかない」


「当主自身思うところがあるが懸案事項はほかにもある」とまで言われればさすがにもうだれも口をはさみようがなかった。ほかならぬエミーナもそれでいったん矛を収めざるを得ない。

 やりましたね! と言わんばかりの笑顔を向けてくるシルフィアには会議の後で教育的指導を施すことを決意する。


「それこそほかの女性の軍人さんとかではだめなのですか?」


「不祥事直後のいま、こと重要なのは強さではないのだ。番組の視聴率もどうでもよい。問題は諸国の対魔王主戦派による工作の疑いが当局担当者から内々に上がってきたことなのだ」その工作員とじかに接触したことなどおくびにも出さずに当主は娘の頭越しにエミーナの疑問へと答えた。「最優先は、なにはともかく愚女(ばかむすめ)を裏切らないという部分へ置きたい。この点エミーナどの以上の適任者はいない。警護や内偵担当者の納得を得られやすいだろう。こう言うのもひどい話だが、エミーナどのも娘とおなじく殺されかけたのだから」


「それはまあ……」


 常識で考えて工作員として潜入させたのに巻き添えで殺しかけることはない。それはそうだろうと思えたが、逆に言えば、それがなければまだ疑われていたかもしれないという状況に、エミーナは暗澹たる気分になった。

 実際遠乗りをシルフィアとロッファに提案したのはエミーナなのである。調書を取られた時も包み隠さずそう述べている。これでシルフィア単独の遠乗りが実現していようものなら、本家お屋敷地下に秘密裏に作られた地下牢でまだ嫌疑をかけられていたかもしれないなどと妄想込みで思い当たると、現在シルフィアを取り巻く環境がそれほど穏当でないという理屈もうなずけた。当主様は疑心暗鬼に陥っておられるのかもしれないと。


 実際には遠乗りの時宜を測って馬房への連絡に内通者を使ったロッファが状況のすべてをコントロールできていたのだが、エミーナの与り知るところではない。妹のように大事に思っている生徒を守れるのはお前だけだと言われれば、さすがにその言葉に応えたくなるていどには自負もくすぐられた。


 あれこれ勘案し、最終的にエミーナは不承不承わかりましたと言わざるを得なかった。私でよいのならと。


 その使命感に曇らされた目には、いやあそれ騙されてるんじゃないかなあという顔の魔王の息子を映すことはついぞなかった。






「さて、もうひとつ私からも付随して提案がある」


 エミーナの人事が会議で通ったあと、当主は後ろに控える執事に目配せをすると、執事はうなずき会議室入り口に控える警護担当者へ指を振って合図をした。警護担当者がそれに応じて別室で待機していた中年男性を連れてくる。

 会議室に居合わせるほぼ全員が絶句するなか、しれっと当主は言った。


「エネル・コルトンさんだ。隠してもしかたがないのではじめに言うが、愚女(シルフィア)の襲撃に関わった人物になる」その言葉にさらにどよめきを増すテレビ局関係者たちをいちど手で制するしぐさを挟んでから、当主は続けた。「どちらかというと騙されて参加させられた人物だ。首謀者とのつながりがないことは当局の十分な調査で判明している。当家の不況対策に一部手抜かりがあり、生活苦から武装勢力に取り込まれた者も少なくなかったため、当該従犯のなかから特にかれを選んで労役で罪を償ってもらうこととした。したがって当家から給与は出せない。だが、不況下で食い詰めての犯行でもあるため、労役の終わりに生活支度金を一定額支払う取り決めとしてある」


「広義の不況対策ってとこか」魔王がにやにやしながら言った。「食っていけないから野盗に身をやつす。最低限食える仕事があるなら馬鹿なこともしないだろうって?」


「まあおおむねその理解で問題ない」当主は鷹揚にうなずいて続けた。「生活困窮者が発生したのは為政者に人徳がないからだ。したがってこれは当家の償いでもある。番組関係者には理解されたい」


 番組関係者。

 その筆頭たるディレクターは面食らったように言った。


「えー。つまり。そのコルトンさんを……番組に出す……んですか?」

「そうだ」


 全員の視線が、そこであらためて仁王立ちしているバートンへと集められた。


 フリルのついたエプロン。

 ワンピース。

 喉元にいじらしくきらめく琥珀のブローチ。

 袖口を彩るやはり琥珀の嵌められた銀のカフス。

 頭髪を結う細い髪紐。

 王道のフリル付きカチューシャ。

 本来ほとんど衆目に晒されるはずのない白いガーターベルトは、丈のあっていないワンピースの裾から一部がはずかしげに顔をのぞかせている。


 それらが屈強なおじさんの肉体をしっとり覆い隠そうとがんばっていたが、どうしたって成人男性のがっしりした肉付きにあっさり力負けしていた。これも肉感的と呼んでよいのだろうか。


 全員が絶句する中、シルフィアがぽつりとつぶやく。


「すげえ。先生とおそろいですよ」


 びきっ。


 姫君の心無いひとことで、エミーナとバートン両名の心へ大きなひびの入る音が室内に響いた。


 エミーナはがっくりうなだれ、バートンはそれでも矜持を保つべく仏頂面を作ろうとしていたが、どうしたって顔面の血流が活性化するのは止めようがない。

 メイド服のおじさんが目尻に光るものをたたえながら、ぷるぷると震えている。どうしたものかと困惑するディレクターだったが、当主が先に述べたように無駄にできる時間などそうないのだった。


 考えることをあきらめて議事を次に進める。


「えー。あー。さいごに。王様からご提案をいただきまして。その、つまり、もうちょっとエキサイティングで視聴率の獲れる仕組みは実現できないかと。現在トーマ殿は一階敗退が続きすぎだと仰せで、それはじっさいもっともな話なんですね」バートンと当主の視線が交錯し、ともに誰の目にもとまらぬほど小さく顎を引く様子をディレクターも気づかぬまま手持ちの資料をめくった。「で、私どもスタッフのほうへ持ち帰らせていただきまして。えー。一晩で、うちの連中ががんばってくれました。どう説明したらいーかな……ま実際に見ていただくのが早いですね。うん。コルトンさん、こちらへ来ていただいてよろしいですか」


 全員衝撃冷めやらぬまま、せめて直視しないことで吹き出すのをこらえていた会議室の面々から、ぶぼっとかそんな汚い効果音が決壊して散発するなか、バートンは会議室最前列へしずしずと進み出た。

 任務だ。これもすべて任務のためなのだ。口の中でもごもごと呪文を唱えている。


 バートンがディレクターの横に並ぶと、ディレクターはどうにもやりにくそうに説明を再開した。


「えー。うー。とにかくですね。かの襲撃事件でトーマ殿が活躍されたのは、相手を倒さなきゃいけない状況に置かれたからです。で、番組で成績が振るわないのは……まあなんといいますか。女性の園に踏み込んで女性に手を上げるのが心理的に抵抗あるだろうからではないかと。そのようなご指摘も王様からありまして」ディレクターは頭を掻きながら、あらためてバートンを示した。「これは仮にコルトンさんに番組へ加わっていただいても、きっとトーマ殿はコルトンさんを殴りつけるのに抵抗をお持ちになると思ったんですね。ですので、新しくルールを設けようかと」


「ルールかね」しかつめらしい顔をして当主は先を促した。「それはどのような?」


「ひとことで言えば、軍事演習のような撃破判定を設けようかと。トーマ殿ならそこから致命打を放てるといったところまで追い込んだら、それで相手は倒されたということにしたらいいのではないかと思い至りました」

「なるほど」

「それは挑戦者に一方的に有利なルールなんじゃないの」


 噛みついたのはシルフィアだった。見方を変えれば一方的に不利になるのは彼女の側なのだから、それもしかたないところではあったが。

 それにディレクターもうなずいた。


「そう。私もそこは考えました。ですが、考えてみてください。トーマどのがこのまま修練を積んで達人級の域に達したとして」

「そんなことある?」


「達したとして」シルフィアの茶々入れを無視してディレクターは続けた。「相手を万が一にも殺さずに制圧するとなると最終的に極め技等になるかと思いますが、番組は毎週続くわけです。お屋敷に詰める刺客のかたがたがいかに腕に覚えありといえ、いずれ毎週ガチンコで関節技をかけられたりなどしたら、お身体が持たないんじゃないかなって」


 む、とシルフィアはうなった。ついさっきまでエミーナと取っ組み合いに使っていた両手を見下ろす。気心の知れた相手とのじゃれ合いならともかく、男性相手に力任せで抑え込まれて跳ね返すのに、関節や腱をおかしくしてしまう可能性はたしかに残るだろう。


「対してこのルールなら女性を力任せに抑え込まなきゃいけないということもありません。つまり、撃破された女性も翌週ベストコンディションで再配置できます。ひいては毎週ベストメンバーで臨みやすくなるメリットが姫様に生まれるわけです。他国からの工作員浸透を警戒しなければならない現状に照らしても、故障者に対する補充人員を考える必要が少なくなり、結果的にいいことのほうが多いんではないかなと」


 むむ。むむむ。うまいこと言いくるめられている気がしてならないシルフィアだが、有効な反論を思いつけないでいた。


「……まあいいわ。それで、具体的には何をしたら撃破判定にするの。溶岩の上に橋を渡して刺客をそこに配置、刺客をかわして対岸に設置してある斧で橋を落としたりとかにするの?」

「それは死んでしまうと思うんですよ」

「なにかの事故を装って溶岩に沈めたらこいつ生き返ってこないかもしれないじゃない」


 控えめに制止するディレクターに、シルフィアが半眼でぶうたれた。

 さすがに溶岩は試したことねえなあとほがらかに笑う魔王をよそに、ディレクターが咳払いする。


「まま。そこで、HP制を考えました。強い打撃を伴わず、人体の急所にタッチしたらHPが減るって仕組みです」


 ディレクターがバートンにおののきながら歩み寄ると、おそれいりますと声をかけてから喉元のブローチに手を差し伸べた。ほうと魔王と唸る。


「なるほどね。喉を突かれたらまあほとんどの人間は悶絶するわな」

「おっしゃるとおりで。ただ、一回触ればそれで勝ちとなると、それはそれでトーマ殿に有利すぎるという声も出るでしょう。ので、HP制なわけです。何度も触られるか、長時間触られ続けると――」

「長時間。つまり首を極められたと判定するわけだな」

「はい。さすがにその段階まで至れば、普通の格闘でもやられちゃうとみていいんじゃないでしょうか」

「そだな」


 魔王に合わせて当主もうなずいた。なるほど、これならわかりやすい。意味があるかどうかはわからないが、バートンの要望にも添うだろう。どうだと聞きたかったが、バートンは全員に注視されている立場だった。いまは自重し、あとで接触することを決める。

 魔王と再戦などとんでもない話だが、バートン相手の演技を続ける必要はあるのだった。


「でもそれって触れてないのに触ったとかあとで難癖つけられるんじゃないの」


 まさにその難癖をシルフィアがつけると、ディレクターは満面の笑みでうなずき返した。


「そこです。スタッフががんばってくれたのは。この琥珀のブローチには魔力コンデンサが搭載されてまして」

「なんでそんな技術の無駄遣いを」

「まあとにかく小道具班が、一定以上の魔力を注ぎ込まれたら、それがトリガーとなって信号を発してくれる仕組みを作ってくれました」

「それが撃破判定ってことね」

「そうです。ただだれの目にもわかりやすく即座に判定が出たほうが事故防止につながるので――」

「事故?」

「たとえば首元を抑え込もうと両者頭に血が上っていたら小さい信号音とかじゃ耳に入らない可能性があるじゃないですか」

「あー」


 自分の身に照らしてなにか思うところがあるのか、シルフィアはちらりと隣のエミーナを見た。エミーナはというと、それをきょとんと見返している。


「ギブギブギブって手を叩いても気づかないことってあるわよね」

「?」

「まあ、それでとてもわかりやすい方法をご用意しました。そろそろかな?」


 バートンの喉元をぎっちり締め上げているサイズの小さなブローチへ下から接触しているディレクターは結果的にバートンを顎クイしているような体勢だったが、彼の言葉が終わるか終わらないかの頃合いで破裂音が発生した。


 ぱあん。

 文字列にすればそんな間の抜けた音である。それだけなら頭に血の上った人間は気づけないだろうと難癖をつけられなくもない、可もなく不可もない音量のそれだった。


 ただ、同時にバートンの全身を覆い隠していたはずのメイド服が木っ端みじんに消し飛んでもいた。




 一〇秒。




 二〇秒。




 三〇秒も経ったあたりで、全裸となりいまだ呆然としているバートンを横に、重苦しい沈黙を破ってディレクターが得意げに笑いかけた。


「どうです。画期的でしょう、これ! なんと合法的にポロリを実現できてしまうんです!」


 その後の企画会議は紛糾した。お前何考えてるんだとかもうそれは聞くに堪えないような罵詈雑言の応酬が繰り返され、すったもんだした結果、最終的に諸々の事情や背景を鑑みて、なんとその狂った仕様のルール改正が最終的に承認されてしまったのだった。






 なお、余談ではあるが。

 抜粋編集された企画会議のもようはこれも全国ネットで共有され、東部工作員(バートン)の全裸は、あますところなく全世界に知れ渡ることとなった。


 これでやっと本編のメイドさんバトルに入れますね。

 ここまでする必要あったのかは自分でもよくわかりません。


 何度書き直してもとにかく長くなるので、あきらめて一番ましな出来になったのを投稿しました。

 これで事前説明は整ったので、次から番組の様子を書いていこーと思います。

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