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偶然と言う名の永遠

月下の抱擁

作者: 高杉 幹

15年位前に某短編小説コンクール的なものに応募して落選した作品です。

落選した作品なのでそれなりというかなんと言うか。

一応、その時からは結構加筆を加えています。前より良くなっていればいいのですけれど。


「お山の~」とは全く違った世界観ですが書いたのは実はこっちの方が先だったりします。


なので、私にはこちらの方が想い出深いというか、キャラに思い入れが深いかも知れません。


あといくつか短編で書いたものがあるので内容を確認して出せたら出していきます。


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【余談(笑)】


 もしかしたらお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが(いたらいいなぁ)この話は私の大好きな小説、紅月いずき先生の【雪蟷螂】(ゆきかまきりと読みます)からのオマージュです。


 私は雪蟷螂の中に出てくる【ロージア】という女戦士が大好きで、まあ敵の将にかなわぬ恋をしているわけです。オマージュとはいっても世界観そのものが全然違うので、紅月先生のファンに怒られてしまうかもしれませんが。ファンの皆様ごめんなさい。

 もしよろしければとても素敵な小説なので皆さんに読んでいただけたら嬉しいなあ。

 青年は寒さで目を覚ました。頬に感じる水滴は雨だろうか。何故こんなところで、といぶかしりながらあたりを伺う。


 暗い……。そして、全身を苛むこの痛みは……?


 歴戦のカンが不用意に動くことを自分に禁じていた。戦場で気絶し、死亡されたものとみなされ、そのまま放置された事もある。それも一度や二度ではなかった。


 気絶したまま放置される状況といえば、大体は自分たちの隊が劣勢で、安否を確認できないまま退却を余儀なくされた時だ。


 焦りそうになる心を鎮めるため深く呼吸をしながら、しばしあたりの気配を伺ってみるが、周りには人の気配どころか、雨音以外何も聞こえてはこなかった。


 青年はゆっくりと左手を軽く握り、そしてまた開いてみる。多少の痛みは感じるが、動く様だ。そのままの動作で、軽くひじから下を上げてみる。


 とりあえず、利き手は無事な様だ。


 青年はそのまま左腕にすがる様に身を起そうとした。


「痛……っ」


 その直後に右腕に鈍い痛みを感じ、体から力を抜く。流石に五体満足とはいかなかった様だ。


 もう一度、今度はなるべく右腕に負担をかけない様心がけながら身を起こす。


 その作業は慎重に行っても、想像以上に骨の折れるものだった。自分の体だというのにこれ程まで自由が効かないとは。


 青年はそれでも何とか身を起こすことに成功し、すぐ近くにあった石の壁になんとか背中をもたせ、一息ついた。


「……誰か……いるの?」


 不安げな、しかし毅然とした声が聞こえた。


 すぐそばではない。息遣いなどは聞こえないほどの距離。


 それは、よく聞き知った声。けれど同時に、憎悪とまでないかなくても、敵愾心てきがいしんをかきたてる声でもあった。それは、近くにいる生存者が味方ではない可能性が強い事を示している。


「……あぁ」


 青年の発する声で相手が緊張をしたのが判る。


 失血のせいでくらくらする頭を、それでもなんとか働かせながら青年は続ける。この声……例え前後の状況を思い出せなくとも忘れる筈などありえない。


「……どうも、お互い最悪の状況で生き残った様ですな」


 声の主が息を飲む気配に、青年は自嘲気味に笑った。目の前に敵がいるとしても、立つ事すらままならぬこの状態では戦うことなどできるわけがなかった。


 利き腕で抑えた右の肘から下は、血でべっとりと濡れそぼっており、このまま放置すれば命の危険を伴う傷だと長年のカンの様なものが告げている。


 気づけば苦労して手に入れた、闇の中でもなお黒光りするその鎧と揃いの兜も失っており、その髪に雨を受けていたのだ。


 ちっっと小さく舌打ちをする。彼の鎧には魔法の効果(エンチャント)が掛けてある。防御力を高め、さらに敵の弱点を見分け易くするという。しかしそれも、すべての防具が揃っているという条件が必要だった。


 防具の一つを失えばその効果はもう期待できない。


「……貴方が敵ならば、今すぐその剣をとって、私にとどめを刺すことね……。私はウィザードよ、武器などなくても、回復さえすればすぐ貴方を殺せるわ……」


 気丈な台詞を吐く声は、裏腹にか弱く、今にも消えてしまいそうだ。


「ご婦人であれば、自分自身の命より誇りの方が大事でしょうな。特に戦場に出るほどの気丈な方ならば」


 つまりそれは、戦場において略奪と同じくらい陵辱は日常茶飯事だということだ。


 相手の沈黙はその肯定であろう。


「……ですが、私も騎士(ナイト)のはしくれ。そういう意味ではご安心されよ、リーファ殿」


「!!」


 相手の反応に笑みを深くしながら、青年は衝撃で大分変形してしまった籠手こてを外しにかかる。


「驚かれたか?」


 籠手はもともと歪んでしまっている上に片手では思うように外れず、ガチャガチャと音をたてながら、青年は持ち前のシニカルさで陽気に種明かしをした。


「戦場に出る女性は元々多くない。ましてやヒーラーや薬師でない女性は。……そして嵐が来て俺たちをこの崖に叩き落す直前まで戦ってたエルフたちの中には、女性の魔導師は一人しかいなかった」


 台詞の内容を吟味して、リーファと呼ばれた女性は一応の安堵をした様子で皮肉にも似た返答をした。


 声を覚えるほど戦場で相見あいまみえる相手ではあるが、何故かそれを告げる気にはなれなかった。


「……なるほど。でも残念だわ、エルフの一族でも悪名高い闇騎士(ダークナイト)のレアン殿に知られる程、私も名が売れたのかと思ったのに」


 自分の通り名は噂でこぼれ聞いていた。ダークエルフの騎士は皆、闇騎士と呼ばれる。彼の勇猛果敢な戦いぶりはエルフの間で”悪魔”と恐れをこめて呼ばれているらしい。


「我が神、女神ルナの手先とまで謳われるとは光栄のきわみですな」


 名を言い当てられ手もさしたる驚きはもしない。それは自分がどれだけ戦果を上げてきたかの証なのだから。


 成り上がりの貧乏騎士である。後ろ盾などあるわけがく、名を上げるには戦果を上げるしかない。このように敵に名を知られ恐れられる事は、無上の喜びと言ってもいい。


「くそ……これはもう使い物にならんな」


 やっとの思いで取り外した籠手を見下ろすその表情は、あまりにも人間的で悪魔には程遠いものだったが。


 その情けない呟きにほんの少し警戒を解いたのか、リーファがかすかに笑った様だ。


「……で、いつまで姿を隠しておられるつもです?一時休戦といきませんか?このままじゃ二人とも生きて戻れるかもあやしい」


「隠れているわけではないの。脚が折れてしまって動く事もできないわ。残念だけど生きて、世界樹の下に戻るのは難しいかもね」


 思いの他に素直な返答には、諦めが滲んでいた。


 力なく笑う様な気配を漂わせながら、まぁ、エルフの戦士が減るのはあなた方には好都合でしょうけれど……と呟く声が聞こえる。


 長距離移動するために一瞬にして移動できる魔法は確立されていたが、それは未だ個人で簡単に使える汎用性までは備わっていない。


 ゲートキーパーといわれる特殊かつ高等な訓練を受けた、専用魔術師だけが行えるもので、大掛かりな装置と魔法の両方が揃ってやっと運用が可能になる程度だ。


 戦場までは飛ぶ事が出来ても、それ以後の移動手段は徒歩か騎馬が主流である。通常の魔導師に使えるのは、風の力を借りてより早く走る事くらいか。


 それも基本は補助・回復に特化されたヒーラーと呼ばれる回復・援護を専門にする魔術師たちにしか使えず、それ以外の者はヒーラーに風の魔法を掛けて貰うか、特殊な薬草と魔法を組み合わせて精製したポーションを使う他はない。


 つまり、魔法が発達した今でも、移動手段である脚をやられてしまえば生存率は激減するのだ。


 夜目の利くレアンが声のする方に目を向けても、そこには深い闇が広がるだけで人影らしきものは見えない。


「なるほど。これで貴女が死んだ場合、貴女の遺品を持って帰れば、労せず私は叙勲(じょくん)されるというわけですな」


「残念だけれど、そういうことね。願わくば苦しまないで死にたいわ……」


 脅しにも似た発言にも、返ってきた他人事の様に冷たい声に感心しながら、レアンは自分の両足の具合も確かめてみた。


 感心したのはこの期に及んでなお、命乞いをしないという気概にだ。


 痛みはあるものの、幸い彼女とは違って自分の両足は、何とか動いてくれそうだ。


 死を前にしてさえ乞う慈悲は誇りの守護のみ。命乞いをしない潔いその精神は、騎士であるレアンには好ましいものだった。だから、レアンは決めた。


 自分の体の性能を確かめる様に、ゆっくりと立ち上がり、声を頼りに歩く。


 進むたびに体がきしむ。けれど、痛みは生の証でもある。


 程なくして、レアンは闇の中であってなお、虹色に光る布の様なものを見つけた。


 リーファが身に着けている白いローブの端だ。レアンが身に着けていた鎧と比べれは、泣きたくなる程に格段に高価であるそれは、落下のショックで無残にやぶけ、血にまみれていた。


 虹色の光はただの布に防御力を高める護符を特別に清めた糸で細かく刺繍しているがためにそう見えるのだ。


「……失礼を」


 レアンは身をかがめ、彼女の傷の状態を調べてみた。幸いと言うべきか、リーファの傷も右足の骨折以外はそれほど大きな外傷は見当たらない。


 ここは雨季には川になっているのかもしれない。二人のいる谷底には厚く苔の様な植物がはびこっており、それが衝撃を緩めたのだろう。五メートルはあろうかという高さから落ちての怪我としては奇跡的なほど軽症だ。


 レアンは自らの片袖を破り、持ってきた鎧の残骸とともに、リーファの折れている右足に巻きつけた。いや正確には巻きつけようとした。


「……すまない。右手が折れてましてな、手伝っていただけますか」


「どうして……」


 呟く声は戸惑っているが、疑問はあれど傷の手当てをして貰えるなら否やはない。痛みをこらえてはがねの添え木をそでの包帯で巻く作業を手伝う。


「騎士とは言えダークエルフには慈悲も正義もないと教えられましたけれど」


 エルフやヒューマンのような騎士道はダークエルフには通用しないと言うのはこの世界では一般的な見識だ。


 いらえがない事に少々イライラを募らせたのは痛みゆえか。言葉がきつい事を自覚しながらもリーファは尋ねる。


「そのとおりですな」


 シニカルな笑み共にリーファは抱え上げられた。


「雨の吹き込まないところを探します。こちらも怪我人故、無作法はお許しあれ」


 抱え上げるとはいっても、片手の使えないレアンのことである、要は荷物の様に肩に担ぎ上げられたにすぎない。


 驚きと全身の痛みにリーファは声もない。


「あ、杖が……!」


 辛うじて出た言葉は、ウィザードの称号を得た後に父から授けられた、祝いの品を惜しむ言葉だった。


「高価な品を多く持つと大変ですな」


 明らかに揶揄(やゆ)を含んだ声にリーファはカッっとなって声を荒げた。


「アレはお父様から借り受けた大事な物なのに!」


「生きて戻れなければ同じでしょう」


 失う物の少なさゆえか、陽気ともいえる声に更にイライラを募らせるリーファだったが、理はレアンにあるのは判っている。


 そもそも杖云々は衝撃を隠すための言い訳にすぎなかった。


 非常時とはいえ、ここまで男性と接近した経験を持ち合わせていなかった彼女は、その事で慌てふためいていることをレアンに知られたくなかったのだ。


「……先ほどの質問に答えていませんわ、レアン様」


 必死に冷静を取り(つくろ)い、低い声を仕立てる若き女魔術師に、レアンは新鮮な楽しみを見出していた。


「先ほどの……?」


「何故私を助けるのです?」


「あぁ、正義も慈悲もなく無作法なダークナイトである私が貴女を助ける理由ですか?」


「無作法とは言ってませんっ!」


 素直な反応にとうとうクックッっと声に出して笑い出す。リーファが憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべてるのは想像に難くない。


「貴女のおっしゃるとおり、我々には貴女方エルフが言う様な崇高(すうこう)な正義などはありません」


 しばらく歩いて雨風のしのげそうな横穴を見つけたレアンは、一度言葉を切り中の様子を伺う。


「女神ルナの教義においては、死は安らぎ。他者に安らぎを与える事を躊躇(ためら)うこともない。……そして正義という偽善を何よりも嫌うのが我々です」


「ならばなおさら……」


 穴の内部を探索し、一応の安全を確認すると、レアンはなるべくそっとリーファを下ろした。


 下ろされた場所は枯れて乾いた苔が幾重にもかさなっていて、ふかふかのベットとまではいかいがそれなりに快適そうに見えた。


「ルナは己の欲望に忠実であれと説いておられる」


 わざと不安を掻き立てる言い方をしていると気づいた。人の悪い笑みを浮かべた青年がこちらの反応を面白がるように窺っている。


 だからリーファは悠然と微笑んでやった。それがレアンに見えるかどうかは判らなかったが。


「貴女は私に慈悲を乞う事もしなかった」


 やや間をおいて呟く様に黒い騎士は言った。まるで愛を語るような深いバリトンの声。


「その精神は戦士としての私個人の心に響いた。そういう理由では不服ですか?」


 意外な、けれど嬉しい評価に自然と彼女の頬に赤みがさす。


「……いいえ。むしろ光栄だわ。それは私個人を高く評価してくれたということですもの」


 村では村長がわがまま放題に育てた、おてんば娘としか思われてないもの、と彼女は皮肉気に笑った。


 レアンはリーファから少し距離を置き、くずおれる様に壁に身をもたせ座り込んだ。そのまま、死んだように動かなくなった。


 しばらく無言の時間が流れる。今更ながらリーファは、レアン自身が傷の手当てをしていない事に気付く。


 出血を放ったまま、鎧も脱がず、雨の中人一人を担いで移動してきたのだ。消耗の程度も想像がつく。


 このままでは自分より先にレアンの方が参ってしまいそうだ。


 戦場であればむしろ願うであろうレアンの死を、今はどうしても願う事はできない。


 まして自分は正義を愛する種族である。受けた恩は返すのが義というものだ。


 リーファは足を引きずり二人の間に枯れた苔をうずたかく積んだ。


 出血と疲労で半ば朦朧(もうろう)としているレアンがかすかに目を上げる。しかし、何をしようとしてるのかわからず戸惑っている様子だ。


 リーファは高く積んだ苔から少し離れると小さく呟いた。


 途端に苔が燃え上がりあたりを明るくした。が、苔は一瞬で燃え尽きてしまう。


「あぁ、やはりに苔だけじゃ焚き火にならないわ……」


 考えの甘さに唇を噛む。


「何か燃える物をを探してきましょう」


 気を利かせ立ち上がろうとしたのを止めたのは、彼女の鋭い声だ。


「ダメよ。貴方は傷の手当てもしていないのに」


「私の身を案じていただけるので?」


「皮肉らないで。せめて傷の手当てをして鎧を脱がなければ。でなければ貴方の方が先に参ってしまうわ」


 動けない彼女に手当てをしてもらうには、レアン自身が彼女の側に移動して来なければいけない。


 まるで相手を誘っている様で微妙な気恥ずかしさを感じないでもなかったが、今は非常時と自分に言い聞かせた。


「こちらへ来て、鎧の脱着ならお父様で慣れてるわ。傷薬も包帯もなんとか手放さずにすんだみたいだし」


 レアンは意外にも素直に応じた。消耗が激しく限界を感じただけかも知れないが。


 まず、肘の上をきつくしばり止血して傷をする。


「ひどい傷……!このまま歩いてきたなんて……」


 レアンは皮肉気な笑みをはりつけたまま何も答えなかった。もとより片腕では止血もままならない。


 傷口をぬぐい、薬を塗った清潔な布を押し当てて包帯を巻く。その手さばきは手馴れていた。


 間を置かずリーファはレアンの鎧を外しに掛かる。


「積極的なご婦人だ……」


「もうっ!傷口を叩いて、その皮肉ばっかりの口閉じさせるわよっ」


 その皮肉を言う口調すら、最初と比べて弱々しくなっていることが、一番の気がかりだった。


 鎧をすっかり脱いでしまうと大分楽になったのか、レアンはそのままリーファの横で倒れる様に横になった。本当はもう移動するのすら辛かったのだろう。


「どうして……、私はあなたの守るべき民ではないのに」


「理由なら先ほどに……我々は戦いに真摯(しんし)な者のみに……敬意を払うの…だ……」


 ウィザードの称号を終えて尚、半人前の扱いに甘んじてきた彼女にとって、それは何よりも望んでいた賞賛であり、紛うことなく一人の戦士として扱っているとう証であった。


 それが最大の理由であることは事実であったが、リーファのあまりにも若く可憐な姿が、レアンにそこまでさせた理由のひとつでもあった。


 よこしまな欲望を持ったわけではない。この大輪の花はまだ十分に美しく、今ここで散らすにはあまりにも惜しかったのだ。


「死はルナの恩恵で恐れる事はないとはいっても、敵の兵士を助けての死じゃ、女神に会わせる顔もないでしょうに……」


 レアンは答えない。疲労困憊(ひろうこんぱい)し意識を保つのもままならない。重く体を制約する鎧を外したことで楽になった体は睡眠を要求していた。


 敵の魔術師ではなくか弱きものを助けて果てるのならば、ソレは騎士としてはふさわしい死に様の様にも思えた。


 まして美しい婦人となれば、不服はない。


「長く戦場を渡り歩き……剣ひとつ盾ひとつで生きて来た……」


 寝入ってしまったと思われたレアンが、消え入りそうな声でつぶやいた。


「その最後を見取るのが貴女なら、それもまた一興……」


 騎士を志して村を出て、どれほどの時が経ったのだろう。ただ戦場を生き抜き、周囲に認められる事に精一杯で、色恋沙汰(ざた)に興味を示す暇などなかった。


 立ち寄る村で一夜の情を金で買ったこともあった。


 身を焦がす相手もおらず、潔癖(けっぺき)を誓うほどの崇高(すうこう)さもなく。


 名声を得てからは言い寄る女は増えていったが、戦場での決闘よりも血を焦がす相手にめぐり合う事もできなかった。


 もしいたとするのなら、それは戦場でしばしば相見(あいまみ)える魔術師か……。


 敵のおさの隣に控える、可憐にして、晴れ渡る青空のような瞳に強い光を宿した娘。


 レアンの冷え切った体にリーファはそっと寄り添った。


 今、彼を暖める物は自分の体温以外には持ち合わせていない。


 ただ、死んで欲しくない。願ったのはそれだけだった。


 互いに助かったとしても、次に逢うのはきっとまた戦場だろう。次に逢うの「も」というべきか。


 そして相対すれば、一対一の戦いであれば、間違いなくレアンに分があるのも知っていた。装備だけでは覆せない経験の差が二人を深く別けていた。


 所詮小娘とそしられるだろうか。


「死なせないわ……!」


 ほんの少し優しくされて舞い上がっていると。


 それは今までの彼女ならば、断じて許せない事ではあったが、何故か今はどうでもいい事だったのかもしれないと思った。


 世間を知らない箱入りと言われた。父親の地位のお陰で好き放題していると。


 でも確かにその通りだった。今までは。


 だけど、生きて帰ったら。明日は。そうでなくなるかもしれない。


 死に直面してなお思う。強く生きたいと。本当の死の恐怖を知ったからこそ思うのかもしれなかった。


 生きたい、この人と今日を。


 だからジブリール様、今だけは。


 例え罪であろうとも、その願いはささやか過ぎて。慈愛の女神ならば目を伏せて許すだろう。


 私をお許しください。


 リーファはそっとレアンを抱きしめた。


 そして小さな声で繰りかえし、回復の呪文を唱える。


 攻撃系の魔法を得意とする彼女では、その威力は微弱なものであったが。


 子守唄の様にやさしく。哀歌の様にはかなく。


 痛みと疲労で意識を失う直前に、レアンが自分を抱きしめ返してくれた様な気がした。


 ソレは夢だったのかもしれない。でも、それでもいいと。


 それでいいのだと思った。夢である方が幸せなのだ、自分たちにとっては……。


 嵐が去り、柔らかな月の光だけがその声を聞いていた。




 レアンは失血で体温を失い、朦朧として意識を現にさ迷わせていた。


 あぁ、このまま眠れば死の女神の元へいざなわれるのだろうと感じた。


 それでもいいと思った。まだ、自らの望む高みには達していなかったが。


 ダークエルフにとって死は永遠の安らぎ。冷酷で美しい女神の元で眠れるのなら、無上の幸福であった。


「死なせないわ……!」


 その声は優しく、暖かく、けれど涙にむせている様であった。


 ふわりと甘い香りとともに、ほの暖かい熱に包まれる。


 懐かしいエルフの古代語が、甘やかな声と共に流れる。まるで子守唄の様に。


 懐かしいなどと感じる筈はない。自分はダークエルフとエルフが袂を別った時代など知らないのだから。けれど、体に沁み込む様に聞こえてくるその言葉は、母の胎内にいる様に温かく優しく懐かしかった。


 どうして、別たれなければいけなかったのだろう。


 仕組まれた様に別たれた二つの種族。光と闇。


 それは必然だったのだろう。光がなければ闇も存在せず、闇がなければ光は意味を成さない。


 ならば、争うのは無意味なのかもしれない。二つが存在することが自然の摂理ならば。


 自分たちに戦いをやめる権利などありはしない。互いがその種族を背負っているから。だから、せめて今だけ。


 彼女を連れて逃げることが出来たなら、自分たちは幸せになれるのかもしれない。


 そんな世迷言が頭をよぎる。共に逃げることを提案しても、リーファは否やとは言わないのではないかとも思った。今ならば。


 けれど。そうだとしても。


 自分たちはお互いに戦士だった。大切なものを守るために、自らを賭して、死する事も覚悟して戦ってきたのだ。


 そして、互いが戦場にいたからこそ、出会うことができた。


 戦いなしでは生まれることすらない思いだったのだ。


 レアンは自らを(あざわら)う様に微笑んだ。


 やさしく髪を撫でる手を掴み、握り締める。


 思いを伝える事は叶わない。たとえ互いしかいないこの場でも。


 その思いは種族への裏切り、自らの守る大切なものへの裏切りだから。


 けれど、この熱だけは伝えたかった。いとおしむ様にそっと。その手が握り返してきたをの確かめると、夢見る様に微笑んでレアンは闇に落ちていった。


 月はただ無言で、許しすら願わないその真摯な声を聞いていた。




 外のざわめきと明るさで、レアンは目を覚ました。


 人の気配がする。


 警戒しながらゆっくりと目を開き、利き腕に力を込める。眠りに落ちる前よりも、指に力が戻っている。


 周りに異変がないことを確認してから、ゆっくりと身を起し、横になってる時には見えなかった場所へ、視界をめぐらせる。


 誰かに呼びかけるような声は外からしてくるようだ。


 折れた右腕は塞がりこそしていなかったが出血は止まっており痛みも薄らいでいた。小さい傷に至ってはほぼふさがり、体力も大分戻っている。


 横でまだ眠っている女魔導師が子守唄のように何事か唱えていたのを思い出す。おそらくあれは初歩の回復魔法。


 ならば今まだ生きていられるのは彼女のお陰ということになる。


 人の気配は大分近づいていた。今や声も良く聞こえている。その声は聞き覚えがあり、探されているのは自分だった。


 彼の部下達が捨てて来た片手だけの籠手を見つけたのかも知れない。


 レアンは今の状況を確認しながら思案する。自分の隊の者ならば、エルフを見つけただけで殺そうとしたりはしないだろう。


 庶子(しょし)の出である彼に付いてくる人間は、総じて変わり者が多かった。エルフに対する盲目的な嫌悪感を持ってるものは少ない。また、貴族階級で頭の硬い連中は、あまりレアンを好いておらず、自分の隊の者と一緒になって、自分を探しに来る事もないだろう。


 レアンはリーファを起さない様に、そっと片手で抱き上げた。


 今度は荷物の様にではなく、子供を抱く様に腕に腰掛けさせて。


 疲労のせいか失血ゆえかリーファが目を覚ます気配はない。


 ゆっくりと洞窟を抜けると、想像通り自分の隊の人間たちが谷を捜索していた。


 隊長の無事を知って、次々に集まって来る。


「無事か、悪運の強いやつめ。……いや、女神ルナに嫌われてるのかな?」


 彼の副官である悪友が嬉しそうに憎まれ口をたたく。


「心配させてすまなかったな」


 レアンはみなに声を掛ける。部下たちは口々に隊長の生存を喜び合っている。


「そいつは……崖に落ちる前にやりあってた相手か、殺ったのか?」


 レアンに抱きかかえているリーファを覗き込みながら副官がいう。勿論顔色を確認して、生きているのを知っての上で聞いてるのだ。


 見ると副官は片手に見覚えのない武器をもっていた。


 金の輝きを有した、魔法の杖。双剣士(そうけんし)ある彼には無縁の筈の品だ。


「いや、助けられたんだ。できれば、その恩に報いたい。彼女をエルフ村に帰したい」


「……エルフを助けたのが上にばれたら、お叱りを受けるが……」


 などと一応の言葉を連ねては見るが、台詞とは裏腹な表情を浮かべて副官は、隊員たちを見回した。


 心酔するレアンを助けたとなれば、彼らに否やはなかった。


「んじゃ、コレはお姫様のものかな。売れば大金持ちだったんだがなぁ……」


 さして未練もないのだろう、軽口のように小さく吐き出して、宝珠の埋め込まれた杖をくるくる回しながら、副官は隊に号令をかける。


 隊員の一人が傷ついたレアンのために、自分の馬を差し出した。


 レアンは手を借りてリーファを馬に乗せると自分も跨った。目指すは故郷である月の村だが、ほんのちょっと寄り道する余裕はあるだろう。 


 エルフの女性のその両耳にピンクの光を放つ小さなイアリングを、片方だけそっと外すと、レアンはそれを懐にしまった。


 小さな邂逅(かいこう)の証に。




 次に目を覚ました時。光が痛いほどに目を射した。


 一番最初に目に張ったのは見慣れた天井。彼女は暖かく柔らかい寝具に包まれていた。


 瞬きを数回。夢だったのだろうか。ダークエルフと恋に落ちる夢など悪趣味もいいところだが。


 そういえばそんな戯曲(ぎきょく)が昔流行ったかもしれないなどと思いながら、目をこする腕に体に鈍い痛みと未だ残った疲労感が彼女を包む。


 驚いて目を見開く。


 丹念に拭われた後ではあったが、その手には隠し様のない血の匂いがしていた。


 ソレは自分の血ではなかったはずだ。あのダークエルフにしては気高すぎる男の……。


「夢じゃないのね……」


 呟く声に涙が混じる。


 あの嵐の中自分たちを捜索してた者達がいたのだろう。


 彼女のベットのそばにはなくしたと思っていた杖が立てかけてある。


 もしかしたら父が出した捜索隊の手によって、レアンは殺されてしまったのかもしれない。


 そう思うと涙が止まらなかった。けれど。不思議と死を望む気持ちにはならなかった。


 むしろ死の淵から救ってくれたレアンに報いるためには、強く生きるしかないのだと、そういう思いの方が強かった。


 それに捜索していたのはエルフ側だけではあるまい。


 ダークエルフ側の指揮官の一人であるレアンの方こそ、熱心に捜索されていた筈だ。


 一縷の望みに過ぎないとしてもリーファはそう信じることにした。


 いつか戦場で再びまみえる日がくるのだと願った。


 その再会は甘さなどないだろう。ただお互いの無事を確認し、その後にはまた殺しあうのだろう。


 けれど。それでいいと思った。それこそが望み。


 次に逢うただそれだけのために、強くなる。リーファは心に誓った。




 時は流れ……、女神は運命の糸を紡ぐ。


 リーファは天を仰いだ。


 まるであの時を思い出させる様な曇天(どんてん)。嵐の到来を思わせる強い風。


 髪を乱されまいと強く抑え、彼女は前方に目を戻した。


 あぁ……。


 生き延びていた事は風の便りに聞いていた。そして更に戦果をあげ、十指に入ると(うた)われるほどの騎士になったという事も。


 赤と銀の鎧を身に纏い、一団を率い、見える陣を敷いたその先頭に立つ人崖。背には高位であることを示す漆黒マント。


 薄い銀色の瞳。青銀(アイスブルー)の髪。まるで氷の様だ、と思った。


 あの嵐の夜の邂逅がまるで夢かと思うほどに、凍りついた冷酷な眼差し。


 覚えていたのは自分だけという事なのだろう。


 自嘲気味(じちょうぎみ)に彼女は笑い、新調したばかりの不思議に緑色を放つ杖を握りなおした。


 父から認められ一団を任され、飛ぶ様に時は過ぎて遥か昔の様にも思えるが、まだほんの数年前の出来事だ。


 けれど忘れるにはちょうどいい時間でもあるかもしれない。


「リーファ様、お時間です」


 彼女の副官が硬い声で告げる。


 開戦の前は互いの将が「会戦の口上」を述べるのが戦の慣わしというものだ、行かなければ。


 無言で頷き、濃紺を基調としたローブをなびかせ、馬に乗る。


 その背後を副官が同じく馬で続く。


 同じ様に馬にまたがりこちらへ向かってくる影。


 動悸が早くなるのを感じる。開戦のためではない。今までももう何度も戦闘を指揮してきたのだ。


 どうして……こんなにも心が乱れるのだろう?


 心の中で呟く。忘れて去られてしまったかも知れない。何故それだけの事でこれほど心が騒ぐのだ。


 再び相見(あいまみ)えるだけでこれ程心が揺れるのだ。


 もう小娘ではないというのに。


 はっきりと顔が見える位置まで馬を進め、彼女は止まった。


 声を震わさない様、つとめて意識しながら名乗りを上げる。


 レアンがそれに答える。聞き覚えのある張りのある声。近くで見ると尚更冷たく見える銀の瞳。にこりともしない。当然だった。


 胸が震えるのを止められない。この声が聞きたかった。


 その頬に触れたい。あの時の様に笑って欲しい。……叶わぬ思いが心をよぎる。


 逢えただけで幸運、それ以上何を望むというのだ。今から殺し合うというのに。


「では、ご武運を……」


 そのレアンの言葉が別れの合図であった。


 ああ、行ってしまう……、戻らなければ……。揺れ動く心。


 レアンが馬を(ひるがえ)した。ほんの一瞬手が触れ合う。何かを握らされた。


「……拝借した耳飾の代わりに」


 ほんの小さな囁き声。優しい優しい響き。


 そのまま馬上の騎士は振り返らずに歩みさってしまう。


 リーファは握らされた何かを見下ろした。


 手の中には小さなアイスブルーの石がはめ込まれた指輪。


 お気に入りのイアリングの片方がなくなっていたのは気付いていたが、落下の時に落としたものと思っていた。


 そういえばと思い返して振り返る。つい先程まで顔を合わせていたレアンの左耳に小さなピンク色のピアスが光っていたことに。


 あの時にはなかったものだからこそ、違和感として目に入っていたのだ。石の色以外は形も変わっており、何よりリーファの耳飾り(イヤリング)は金細工だった。


 先程見たレアンのソレは銀の台座にピンクの石だけが付けられたシンプルなものだった。だから言われるまで気が付かなかったのだ。


 けれどピンクのダイヤは貴重なものである。とくにダークエルフの済む地域では手に入りにくい。


「……リーファ様?」


 遠ざかるレアンの背を見詰めたまま、動かない彼女を訝る副官の声が後ろから掛かる。


 気を取り直し馬を操り、元来た道を歩み出す。


 覚えていてくれた……。それだけで胸に火が灯った。


 元より望みなどない思い。だから忘れてはいけない。思いで心の剣を鈍らせてはいけないと。


 私たちは共に誇りを持ち、戦場に立つ者。守る物がある、守る者がいる。


 全力をもって相対する事こそが、思いの証。


 そう、戦果を上げ続ける彼に、追いつく為だけに今まで研鑽けんさんを重ねてきたのだ。


 陣に戻り前を見据える。


 迷いは消えていた。


 指輪をそっと左手の薬指にはめ、グローブをする。


 深く息を吸い声を張り上げる。


(とき)をあげよ!!」


 嵐を呼ぶ風に開戦の合図が流れる。激しくたなびく旗。声を上げて前進する兵士たち。


 まっすぐに。ただまっすぐに彼女は見ていた。同じく号令を発する馬上の銀影ぎんえいを。


『ご武運を』


 誰かの声が響くようだった。

H30-09-13 ルビ振り。

H30-09-23 誤字脱字訂正・一部加筆

R04-10-20 一部改稿

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