第三章 ②
見れば、『それ』は二つの巨大な手だった。手首から下の存在しない、真っ白な手袋のようなものをはめて宙を漂う『手』。手ごたえは柔らかく、斬りつけた刀身が呑み込まれてしまいそうになるくらい。かと思えば、受け止めても押し込まれる威力の平手打ち。
「先生が相手だからって遠慮しなくていいんですよ、ルーミック君。君の全力はその程度なんですか?」
余裕しゃくしゃく。ルーミックの相手をしながらも、セフィアの注意はエイリスにも向けられている。その態度が、ルーミックに文字通り火を点けた。
「なら、お言葉に甘えて!」
噴き出した炎は刀に纏い全身まで包み込む。
触れる物を焼き焦がす紅蓮は、先日の上級生との戦いでは使うまでもなかったルーミックの力!
踏みしめた左足は雄々しく地を掴む。
渾身を持って振るう剣が――グッと押し留められた。
「短絡的すぎです」
「ぐっ――!」
もう一つの拳に打たれて吹き飛ばされる少年。立ち上がった彼の隣には、一連の攻防を遠巻きに観察していたパートナー。
「……どうだった?」
「そうね……ある程度は先生の動きに連動してるようだけど、あの手は物理的な移動はしてないみたい。手を引き離して、なんていうのは無駄そうね。あなたは?」
「これといって。硬かったり柔らかかったりするし、エイリスの言うようにどっからでも割り込んでくるし。何より両手分あるのがキツイな」
見て手に入れた情報と、実際に戦ってみて手に入れた情報。
決めらていれた手筈ではなくて、たまたま二人のスタイルが綺麗に分かれただけ。
しかし、それぞれを共有してもわかったことはごく僅かだ。
「決めつけは軽率よ。まだまだ色々と隠してるでしょうし」
ついさっきまで抱いていた侮りは鳴りを潜めて。
自分一人で戦うには荷が重い。でも、と。それを認めたうえで、エイリスは不敵に笑った。
「あれだけのことを言ったんだもの。まさかあれが全力ってわけはないわよね」
「そんなの決まってるだろ」
「なら、二人がかりで一気に行きましょう」
「オーケー」
パートナーであるルーミックも初めて見る、エイリスの力。
――切先から、柄尻から。巻き上がるは水。
例えば、シャワーの水は汚れを洗い流す。
例えば、滝の水は岩を穿ち地形を変える。
なら、その先は――?
放出の勢いと圧力によって、水は時に鋼をも貫く!
「はあぁぁっ!」
「――つかまえましたぁ」
だが、それすらも。
エイリスの刺突はセフィアの手に深々と突き刺さったものの貫通には至らず、逆に捕えられてしまった。
「ルーミック!」
「おお!」
注意が逸れたのはほんの一瞬。その一瞬を狙って、ルーミックの一太刀が炎の尾を引いた。
「おおっと……危ないですね」
「ちょっと! 今の私にまで当たりそうだったじゃない!」
「悪い! けど――」
――これで終われるか。
この力の差だ。一度受けに回ってしまうと巻き返しは難しい。ほんの僅かのきっかけでも強引に攻めていくしかない。その点で、生徒二人の思考は共通していた。してしまったが故に……。
ガキンッ!
響いたのは、二人の武器がぶつかった音。
「何やってんのよ!」
「そっちこそ!」
戦いそっちのけで口論を始めようとする二人。そんな彼らを諌めるために、悠々と距離をとったセフィアが手を叩く。
「そんなにケンカしてはいけませんよ。残り時間も少ないですが、何より今は戦闘中です。敵の眼前でそんなことをしていてどうするんですか」
「…………」
「……むぅ」
残った不満を強引に飲み込んで、わかりやすくむくれる生徒たち。
「さ、これが最後のチャンスです。頑張って私に攻撃を届かせてみてください。このままだと無傷どころか一度も触れられることもないまま終わってしまうそうですから」
あからさまな挑発も頭に血が上っている二人には効果的。
意識は攻撃一辺倒。ルーミックの乱撃の合間を縫って、その動作は舞いの如く。長物を使っているとは思えないほどの軽やかさで、エイリスは近接戦に対応する。
まさしく怒涛の勢いに、たまらず後ろに退く相手。
それは、今日一番の好機。
剣を両手で握り、頭上高くに掲げた少年。《焔》の刀身で燃え盛る赤。エイリスは左半身を前にして、槍の先端を前方に構える。
炎が、水が、広がる。
「おおおおっっ!」
「はあぁぁぁっ!」
片や、炎を飛ばす純然たる斬撃。
片や、多量の水を纏っての突進と刺突。
共に両者の大技で、当たれば威力は絶大。
どちらかだけでも十分に脅威になりうるであろうものが二つ同時に。その迫力にさすがの教師も身構える。
二人の渾身を込めた一撃が――相殺した。